https://naritaetuko.jp成田悦子の翻訳テキストとちょっとしたこと

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2011年7月2日土曜日

男性週刊誌好きは文字好き

昨夜詩を「涸れた倦み」に投稿した後、週刊新潮を読んだ。
目立つという点からすると、現在の表紙のアンバランスな色彩感覚は、確かにアンバランスでセンスがないだけに目立つ。
七月七日号のスクリーンに映った白黒の絵の発想が極めて幼稚であること、 無意味であること、表紙の空白を単に埋めたに過ぎないと感じられることは、大変残念である。
十二ヶ月毎の契約更新であるなら、来年は、違う人を起用することを考えた方が良い。
脳科学人体実験、厚生労働省と医師会理化学等の人体実験被害者は、猫が意味するものを知っている。

昨日朝、創価学会員の家の猫が創価学会員の家の前で殺され、路上に投げ出してあった。
その猫は、その後私が通行する場所に置かれ、夜にはなくなっていたが、今朝又同じ路上に投げ出してあった。
公明党長屋の猫とこの創価学会員の猫、創価学会仏具店の猫はしょっちゅう変わる。
子供を産んでいるのに、一匹ずつ居なくなり、藪に捨ててあったり、路上やごみ置き場に死体を投げ捨ててある。
私の家の物置の中、物置と母屋の間の通路にも何度か猫の死体が投げ捨ててあった。
私が猫を殺しているのではなく、日本政府、鳥取県警、文部科学省、厚生労働省、創価学会公明党、自民党、社民党等が殺しては被害者の目に入る場所に捨てる。

私が猫を殺して境港線の列車に投げつけていると書いたNTTPlalaBloachの「・・・ブログ」には コメントの削除を要請した。
Plalaにもコメントの削除を要請中である。
昨日又私の名前で私のブログにLINKを貼ってコメントを書き込み、自分でそのコメントに答えを書いていた為、「私が書いたものではない、LINKを貼らないで欲しい、直ぐにこのコメントを含めて削除してください」と書いた。
数時間後コメントは削除された。
嫌がらせは、今後も続くと思う。
猫を殺しているのは、創価学会公明党である。
私は猫を抱くことさえ出来ないほど大嫌いで、猫の側に近寄ることもない。

私は詩を書いている。
詩のイメージを壊すサイトからのLINKは拒否する。
私に対し、日本政府、最高裁、日弁連、出版社、今井書店等が表現の自由、出版の自由を認めていない。
私は日本人でありながら、 日本国憲法の保護下にない。
私に出来ることは、自分のサイトで詩を発表することだけである。
それを妨害しているのが、文部科学省と米子市教育委員会であり、文芸春秋社(村木厚子、田原、田中真紀子、芥川賞、直木賞受賞者などによる記事、詩の盗用と削除改竄)、講談社(上杉隆を使った中傷、脅迫、恐喝等) 、文芸春秋社と共謀し、詩や絵を盗んだ上で改竄した今井書店である。

LARKpremiumQualityは、410円になった。
煙草依存、ニコチン依存について広告に入れなければならなくなっている。
私は、極端な喫煙敵視は嫌である。
依存について言わなければならないものは、他にたくさんある。
NETでは、簡単に医薬品が幾つでも手に入る。
日本政府、警察庁は、国民を薬物中毒にしたいのだろうと、私は思う。

大阪拘置所には、覚醒剤売買で起訴された売春婦と詐欺師しかいないと言っても良い程で、大阪拘置所は売る人間と買う人間を同じ部屋に入れる。
彼らが毎日大阪拘置所内で被告人が話すのは、此処や刑務所を出た時に、又やろう、覚醒剤を売る買う話と、やくざや遊び人の男女の紹介ごっこである。

週刊新潮1ページ2ページのLARKの広告は良い。
いつも配色が良い。
上品で、「物語のある人生を」というキャッチコピーが男性の黒いジャケットの左胸に斜めに入っている。
文字の大きさ形が素晴らしい。
「誰かのために生き抜く男たちへ」と題した女性の左の文章は、更なる物語を提供出来る。
違うライターを使って書かせてみると良い。
男性週刊誌好き、文字好きの読者は、こうした広告の文字を読むことも楽しみの一つである。
すう、すわないはともかくとして、もっと読者の心を躍らせる文章にすることは可能である。
LARKは男性がすうものとは限らない。
匂いが髪や、衣服に付くが、LARKをすう女性もいる。
男性向けのコマーシャルであっても構わないし、敢えて男性向けにしてあることは、Philip Morisという会社の持つ或る種の決意のようなものを感じ、私としては嬉しい。

「蜂蜜 」という映画の宣伝が3ページ目に載っている。
宣伝用の文字の色と大きさ、写真の風景と少年、光りと影の取り入れ方は、映画会社提供である。
私は、「蜂蜜」のホームページに行ってこの映画のことを詳しく調べた。
調べたということは、説得力の有る宣伝だということだ。
予告を見た。
私は映画の予告好きである。

絵、詩、音、光り、影・・それが印象である。
一こま一こまを大切に撮影している映画が少ない。
どの場面も光りと影の取り入れ方が素晴らしく、一幅の絵画である。
絵画のようで、沈黙の詩のようで、静寂の音の中にいるような・・・

synopsis(ストーリー)を書いたのは誰なのか?
翻訳したのだろうが、そうだとすると、大阪大学四年生だという三部作の内の二部の字幕翻訳者の男性だろうか?
それにしても、幼稚な文章である。
ストーリーの書き方如何で入場者が決まるとも言える。
日本語になっていない、と思う箇所が幾つもある。
大学生に字幕翻訳は無理である。
字幕翻訳は、歌詞などの翻訳と同じで、外国語の力がどれだけあるかで決まらない。

「蜂蜜 」は、予告映像が良いために、ストーリー紹介の拙さはカバー出来る。
何もかも最高の状態で映画の宣伝をする、それは当たり前のことだが、映画自体がくだらな過ぎて、宣伝も何も意味がないのが、最近の公開映画である。

週刊新潮今週の「human INTEREST」は霊峰富士である。
散漫な写真が多かったが、これは最近の写真の中では、一番良い。
撮影と文は同一人物である。
写真が良いだけに、文章も簡潔で好感が持てる。
太陽力、生命の力・・と自民党、資生堂、慶応大学出身者が好きな「力」が何箇所かに散りばめられているのは、気になる。
力は何事にも付けていらない。
存在すること、ただ其処にあることが大切である。

毎日投稿妨害が続いています。
私の記事を盗むために、印刷妨害を行い、記事を盗む為に泥棒を毎日入れます。
現在の詩や記事の窃盗主犯は、文部科学省、米子市教育委員会、教師です。

16:19 2011/07/02土曜日