https://naritaetuko.jp成田悦子の翻訳テキストとちょっとしたこと

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2011年7月14日木曜日

WHOや医師が正義をいつ行なった?:林真理子アスクレピオスの愛人

週刊新潮の七月十四日「京都瀟瀟」の田中和義の写真と、添えられて週間新潮社編集の文章がいい。
写真に合わせた文字の色と大きさ字数・・・会社のイメージを作るのは、一つ一つの記事であり写真であり、小説、エッセイ、広告であることがやっと「新潮社にも分かって来たな」、と私は思っている。
文字の一つ、色彩の一つ、紙の材質の一つが、新潮社というイメージを作っている。
出版社であるからこそ何処までも広がる「可能性」、と「誇り」(慎ましくあってほしい)を、大切にしてほしい。
一つの記事の一言が会社を作る、出版という仕事は誇り高き人の仕事であってほしいと願っている。

おそらく一ヶ月前の編集者とは違っている。
人を入れ替えている。
週間新潮社と話す機会は私にはないが、私は私に出来ることをするから、出版社の在り方を変えてほしい。

この「京都瀟瀟」の中に気になる文章がある。
・・・故事によると、・・・天女が・・・「・・・お近くにいます」と言った。
「天女・・が言った。」で、主語と述語は間違っていない。
しかしその前に「故事によると」がある。
簡単に言うと、
「故事によると天女が言った。」ということになる。
「故事によると」を受けるのは、「が言った」である。
「故事によると」を「が言った」は意味が通じないので受けることが出来ない。
例えば「故事によると・・天女が・・と言ったと云う」と云うように、「故事によると」を受ける述語が欲しい。

今日新しい「週刊新潮」を買った。
しかし、今日はそのことには触れない。
「アスクレピオスの愛人」は、笹川良一日本財団の宣伝に過ぎず、WHO、厚生省と笹川良一の黒い関係を暗示し、林真理子のバックがモーターボート協会の日本財団であることを証明するものである。

これほど馬鹿げた小説は私は読まないことにしていた。
しかし、日本政府、日本財団、日本医師会製のあまりにも低レベルの複数ライターを使った有名と言われる林真理子や高樹のぶ子等の小説家の名で発表される小説に日本の文学、日本文化の危機を感じて、仕方なく読んでいる。

七月十四日号のほんの一部のミスを紹介したが、未だ山のようなミスがある。
今日はミスと云うか、愚かと云うか、その一部を紹介したい。

ヒロイン志帆子はこう云う。
「WHOにお金を渡したからには、もうWHOの眼を持たなくてはいけないんです。世界をどう救うかです。それなのに日本の厚労省からかかってくる電話は、いつだって“日本は大丈夫か”なんです。どうしてこんな国がリーダーシップをとれるでしょうか・・・」
「WHOは世界を救っている」と実感したことのある人は日本にいない。

WHO本部は、ジュネーブ。
国連専門機関で、私の生まれる一年前、1948年に世界の人々の健康増進を目的として設立された。
国際連合憲章第一条に国際連合の目的が書いてある。
「人権、基本的自由の尊重、人民の同権、自決原則の尊重、国際平和、安全維持、国際紛争解決と調整を行なう」・・
国際連合が行って来たことは、キリスト教による世界支配と武力による威圧と破壊だけである。
その一つの機関であるWHOはそれに即したことを行なっているはずであり、私達にWHOの全容が明らかにされることはない。
医薬と云うものは、人を支配する道具に過ぎない。
医師は、人を殺し切り裂き、傷つけるとなど平気で行なっている。
私の手足顔体に無数の傷痕があり、実際彼らは無断で私を何処にでも運び、何でも行い、人を人体実験材料としか考えていない。

「人権、基本的自由の尊重、人民の同権、自決原則の尊重、国際平和、安全維持、国際紛争解決と調整を行なう」・・これと逆のことを行なうのが、医師で構成されているWHOである。
医師団を派遣すると誇らしげに云うが、
医師団を派遣して殺すのか?
人体実験材料である人の確保か?
と私は思ってしまう。
医師の横暴と極悪非道ぶりを何も知らない貧しい国に汚れた手を持つWHOには行って欲しくないし、国家間紛争、飢餓はその国家に任せるべきで、国連の介入を当然とすることは間違っている。
紛争処理名目で入ることが出来ない国家に、WHO=人道主義の名目で入る、それがアメリカ、イギリスを中心とした先進国の汚いやり方である。

今も貧困国には人がいる。
そうやってヒトはどのような環境、災害、飢餓にも耐えて生き残って来たのである。
国連は、決して正義とイコールではない。
WHOの眼があるとして、お金を渡したからその眼になれと云うのは、間違っている。
お金を渡すと云うことと、WHOが何をするかを、常に批判的な目で見ることは、同時に行なわなければならない。
お金の多少に関わらず、WHOが世界の人々の健康の為、即ちヒトの命を左右する機関であるならば、厚生労働省としても、国民の命、地球のヒトの命の為に働くといった意識を持ち、大いに口を出すべきである。

こうした小説家の一言によって、政治家や日本財団、日本会議は言論を統制し、厚生労働省の良識と常識を葬る為に働いて来た。
もはや、厚生労働省には常識も良識もなくなったのだろう。
それが、小泉を使った厚生労働省事務次官の殺害、脅迫であり、私と家族に対する麻生太郎、舛添要一太郎会による厚生労働大臣政務官戸井田徹を使った四年間の恐喝・脅迫である。
又、非常識の凱旋と支配の賛歌が、村木厚子と大阪地検の大騒ぎである。
厚生労働省の常識と良識はこの三件によって、一掃されたと思われる。
しかし、私がいる。
乳房を切り裂かれ、卵巣を切り取られた私を日本財団、日本会議と中華人民共和国、韓国、米国、日本政府は殺せるだろう。
私は、死を覚悟して書いている。

リーダーシップを執ることなど何の意味もない。
世界を一つの国、一人の人間、一つの宗教、一つの主義ががリードすべきではない。



12:06 2011/07/14木曜日