https://naritaetuko.jp成田悦子の翻訳テキストとちょっとしたこと

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2012年6月28日木曜日

The Heart has many Doors/ Emily Dickinson 1567翻訳

The Heart has many Doors —
I can but knock —
For any sweet "Come in"
Impelled to hark —
Not saddened by repulse,
Repast to me
That somewhere, there exists,
Supremacy —
愛情には幾つもの出入り口がある
私はただただノックすればよい
どのような甘美な「入っておいで」も
強いて受け容れさせたのだから・・
拒絶によって悲しませられたのではなく
私に合わせて頂いてほしい
或る時、其処にあるという至高を・・


「貴方がすき」と私は云う
貴方は「僕も君がすき」と云う
「抱いて」と私は云う
貴方は
私を抱く
「分かれましょう」と私が云う
貴方は
「うん」と云う

私は貴方の扉を何度も何度もノックし
貴方は「入りなさい」と云った
私は
けれど
貴方が本当に
私を愛したのか
私は本当に貴方の胸で過ごしたのか
私は本当に貴方と出会い分かれたのか
分からない

「君がすき」と貴方は云う
私は「貴方がすき」と云う
「抱きたい」と貴方が云う
私は
貴方に抱かれた
「分かれよう」と貴方が云う
私は
「そうね」と云う

貴方は私の扉を何度も何度もノックし
私は「入って来て」と云った
貴方は
けれど
私が本当に
貴方を愛したのか
貴方は私を本当にこの胸で抱き締めたのか
貴方は本当に私と出会い分かれたのか
分からない

私は「愛してほしい」
貴方は「愛してほしい」
私は「貴方の愛がほしい」
貴方は「私の愛がほしい」
「愛」には出入り口があり
扉をノックすればいい
けれど
ノックすると
「Come in」と貴方は云う
私も云う
どちらも
愛したのか愛されたのか分からない
ただただ
愛には「「Come in」と云う言葉が用意されていて
私達はそれを云ってしまう・・・

Repast to me
That somewhere, there exists,
Supremacy —
私に合わせて頂いてほしい
或る時、其処に現れる(ある)という至高を・・

私や貴方が扉をノックする
「Come in」を強いる愛ではなく
「或る時、其処に現れる(ある)」という愛の始まり、その至高
「Come in」を強いるノックをするくらいなら
ノックして拒絶された方がまだいい

と云う意味です。

http://en.wikisource.org/wiki/Author:Emily_Dickinson/1-99
これを順番に翻訳して行きます。
まだ幾つか翻訳の終わった詩がありますから、それを公開した後、始めます。