https://naritaetuko.jp成田悦子の翻訳テキストとちょっとしたこと

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2011年11月8日火曜日

翻訳scorpions - falling in love/Lyrics: Herman Rarebell

scorpions - falling in love - Animal Magnetism

FALLING IN LOVE
Music:
Herman Rarebell
Lyrics:
Herman Rarebell

I look in your eyes, I really think you´re fooling me
You´re pretty and nice, it doesn´t matter don´t you see
´cause I falling in love, it happens to me every day
I´m falling in love, love just seems to slip away
僕は君の目を見る、君は僕をばかにしているとほんと思う
君は可愛くて素適、恋に落ちるなんて毎日のことだから、君が僕を知らないことなど関係ない
僕は恋をする、恋はなんだかいつのまにか終わってしまう

I´m falling in love
Ooh, oooh
I´m falling in love
Ooh, oooh
I´m falling in love
Ooh, oooh
恋をした
ウー、ウー
恋をした
ウー、ウー
恋をした
ウー、ウー

Don´t tell me your lies, I don´t believe a word you say
You do realize, I move around from day to day
And I´m falling in love, it happens to me every day
I´m falling in love, love just seems to slip away
嘘をつかないで、僕は君の言うことは信じない
君はよく知っている、僕はその日その日転々と動き回る
そして恋をする、恋はなんだかいつの間にか終わってしまう

I´m falling in love
Ooh, oooh
I´m falling in love
Ooh, oooh
I´m falling in love
Ooh, oooh
I´m falling in love
恋をした
ウー、ウー
恋をした
ウー、ウー
恋をした
ウー、ウー
恋をした
ウー、ウー


・・・・・・・・・・・・・・・・・
100字の内30字しか理解されない、そういう時代を文部科学省と教師が作った。
30字で書くことが出来るのは、机の周りのことだけ。
机の周りのことしか書けない、書かない、理解されない、そういう時代にメディアは無用、不要。
その後、文字で伝えることが出来なくなる日が必ず来る。
漫画が具体的、現実的表現から、表現が平面的で、意味を成さない、抽象にも満たない線と面の彩色に変わったように、文字は文字の役割を果たせない、言語として体系付ける道具としての機能をいつか失うだろう。
言葉の概念が崩壊するからである。
概念は言葉によって形成され、言語(音声、文字)は、既に形成された概念と映像(視覚)音声(聴覚)触覚、更なる概念の積み重ね言葉の習得によって再構築を繰り返す。
時代によって言葉は変化する、或る程度の概念の崩壊と変化の容認は止むを得ないが、限度がある。
今、その限度を越えようとしている。

多くの国で、人間が学ぶということをマニュアル化、組織化して久しい。
学ぶということは、そういうことではない。
人は、学校教育、社員教育そのもので作り上げることは出来ない。

漫画は実物の輪郭を削いだものである。
吉田茂によって、旧仮名遣いから新仮名遣いに変更された時、脳内で行われていたある種の処理能力が失われた。
漫画出現で、視覚と言語の一体化が行われた。
視覚、言語の衰退を意味し、人間の処理能力を失わせることになった。
人の複雑な文字処理能力が失われた。

人に訴える時、画像表現、文字表現、音声表現等、一つで感動を与え、意味のあるものにしようとすると、その文化は発展する。
しかし、複数の感覚を刺激する表現方法、文字と音声、或いは文字と画像といった表現方法による作品は、製作者側も受容者側も余程気を付けない限り、人間の表現能力を下降させ、 文化そのもの、人間の機能、能力そのものを衰退させてしまう。

言葉は人が人である為に欠かせない。
言葉は人と人を結び付ける。
人は一人では生きていくことが困難である。
だから言葉は人の命である。
人の命を簡略化すればするほど、人の命は軽んじられる。
自ら命を軽んじることになる。
言葉は人間にとって命であるから、 縮めても略してもいけない。

NHKは私の記事を盗む常習犯である。
NHKと言わず、各放送局は国民の生活を覗き見し、てそれを番組にする。
NHK、各放送局は、私をモニターしている。
NHK記者もこの町内に入っている。
文部科学省の犯罪に同席しながら、どんな番組を作ろうというのか?
言葉言葉と随分立派な教育番組を作っているのに、NHKの記者、司会者の能力のなさには開いた口が塞がらない。

「お見せいただく」と司会者が言う。
「お店を頂く」・・・の?と誰でも思ってしまう。
朝のテレビ小説を誰が作っているのか、脚本家は、実に悲惨。
何言わせてんの?と泣きたくなる。
「パッチ百枚明日までに」と言って、一人で引き受ける。
朝、「丈が短い細過ぎる」と分かってミシン目をを解いて作り直す 。
解いても、足りない寸法を広げることは出来ない。

布の裁断から縫製、ウエストのゴム入れまでに所要時間一枚15分として計算してみたが、翌日朝10時までと多く見積もっても17時間×4=68枚で無理である。
全部寸法を間違っていたのだから、100枚仕上げることは出来ない。
ミシン目を解く道具は、今なら売っているが、当時はない。
非常に大変な作業である上に、一度縫ってしまうと、あの布地ではミシン目が残ってしまうため、売り物にならない。

着物から洋服へといった時代の変化が、職業を奪い、転職を迫るという話であるから、この日の脚色は非常に重要であった。
何書いてんの?と・・・
貴方は書いてんのが何か分かってんの?
と言いたい。

整形男女ヒロインの顔は、朝見たくない、時代にも合わない。
整形は、人間の顔の漫画化である。
実際の日本人は、殆ど一重瞼である。
だから良いということもある。
一重瞼は顔に皺が寄り難く、化粧栄えする。
好きな眼に出来る。
それに比べて、二重瞼は化粧のし甲斐がない。
化粧によって変わることが出来るという喜びを得られる。
化粧品の消費者は、「変われる」という喜びで、化粧品の種類も数も沢山用意したいと思うから、生産向上、収益増に繋がる。

整形はいけない。
アナウンサー、女優、男優、男女歌手、皆おかしな顔をしている。
筋肉の動きを見れば、直ぐに分かる。
目、鼻、口、顎と筋肉は一体であるが、整形した顔の筋肉は、ばらばらの動きをし、皮膚が吊れたり妙に寄ったりして、腹話術の人形のようである。
お化粧でいくらでも変わることが出来るのだから、美しくなりたければ、きれいな顔にする工夫をしましょう。

15:21 2011/11/08火曜日