Sinnò me moro

Amore, amore, amore, amore mio, In braccio a te, me scordo ogni dolore! Vojo resta co'te, sinnò me moro, Vojo resta co'te, sinnò me moro, Vojo resta co'te, sinnò me moro…  Nun piagne amore

Sinno me moro(Un maledetto imbroglio 刑事)

自己紹介 成田悦子毎日少しずつ主に英文学の過去の小説を紹介しています。私の遣り方は原文をそのまま生かし、イギリス人、イギリスという国そのものの文字を通した姿を過去に遡って見せ、貴方同様私が学ぶ

自分の写真
暑いし, リチウム電池入りロボ県内, Japan
GooNTTレゾナントは私のブログを4つ非表示にし、「詩を全部削除しろ」と詩人である私に言っています。

Gooは猥褻サイトの記事は問題がないと言います。私の住所・氏名・電話番号まで書き込んで「きちがい、前科三犯」と書くサイトの規約違反を指摘しても、「貴方は一体どうしたいのですか?」と言います。削除して欲しいに決まっています。そんなことも分からないのに、「鳥居正宏」という偽名の社民党員の要請で四つのブログを非表示にしています。私は「鳥居正宏」の中傷記事を書いたことは一度も無く、中傷されたコメントを載せたことが一度あっただけです。しかしそのコメントは、社民党と自公政権が不正に侵入して直ぐに削除して非表示の要請があった時にはありませんでした。あれから20数年Gooも消えます。私が消えていないことはいい兆し。正義は私の下にある。当面翻訳中心の生活です。

成田悦子翻訳小説.orgで翻訳中 「Youth 」Joseph Conrad, The Grapes of Wrath Jhon Steinbeck

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ブログ 成田悦子翻訳小説.org Youth Joseph Conrad, The Grapes of Wrath Jhon Steinbeck

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2022年2月28日月曜日

The End of the Affair/Graham Greene 成田悦子訳

その瞬間だけが、重要だった。永遠は、時の延長であってはならない、と言われているが、時に僕には、彼女の自暴自棄は、あの不思議な数学的無限の点、広がりを伴わない、空間を占有していない一点に触れるように思われた。時には何が重要だったか―彼女が一時(いっとき)から一時迄(そこには再びその言葉が登場する)その過去全て、その違った男達全てを知ってしまっても構わない、或いは彼女が真実の同じ意識で同じ陳述をしようとするかも知れない未来全て?そのように、僕も又、彼女を愛していると答えた時、彼女ではなく、僕が嘘吐きになった。僕は時間の自覚を失くしたことは一度もなかったから。僕には現在はここにはない。それは、何時も去年か、来週かである。

 「他には誰もいない。何れ又。」と彼女が言った時。彼女は嘘を吐こうともしなかった。そこに数学的点は存在しない、それが全てだが、という時間における矛盾がある。彼女には、僕が持つ以上の溢れる程の愛の能力があった。僕は時間の周りのそのカートゥンを下げることが出来ず、僕は忘れられず、僕は恐れることが出来なかった。愛のその瞬時にあってさえ、僕は罪の証拠を集めようとする警官に似ていた。やがて七年以上後に、僕はパーキスの手紙を開けた時、その証拠が僕の辛辣に添えるために、僕の記憶の中のそこに全てあった。

73

2022年2月27日日曜日

The End of the Affair/Graham Greene 成田悦子訳

 僕には、自分がどういうつもりなのか正直なところ分からなかった。―僕はヘンリの様子は、自責の念を目覚めさせるのに好都合だったが、彼女は自責の念の抹消の格好の方法を持っていた。僕たちの休息と違って、彼女は自責の念に付き纏われていなかった。彼女の見解で事が為された時、それは遂行され、自責の念は、その行為と共に消えた。もし彼がちょっとどころでなく業を煮やして、

僕たちを捕えたとしても、彼女はそれをヘンリの不当と思おうとした。カサリック教徒は、過去の死手から、懺悔で解放されるとずっと言われている―確かに 尊重して、お前は彼女を生来のカサリック教徒と呼んだ。しかしながら、彼女は僕がそうする程度に、殆ど神を信じなかった。或いはそう僕がその時思い込みはしたが、今は不可解だ。

 この僕の本が、きちんとした経過を辿ることに失敗しても、それは僕が未知の領域に迷い込んだからだ。僕は地図を持たない。僕は時に、僕がここで何か降ろそうとしているものが本物かどうか、疑わしい。僕はあの午後、彼女が問い質(ただ)されることもなく、僕に突然、「私は、私が貴方をそうする程、誰も何ものも嘗て愛したことはなかった。」と言った時、これ程までの完璧な信頼の感触を得た。半ば食べかけのサンドゥウイチを彼女の手に持って、そこで椅子に座りながら、彼女は自分自身を彼女が硬木の床の上で五分遡(さかのぼ)ってしてしまったのと同じくらい、完全に捨てていた。僕たちは、僕たちの大半は、そんなに完全に陳述するのを躊躇った―僕たちは思い出す、そして僕たちは予知し、やがて僕たちは疑う。彼女は、全く疑いを持たなかった。

72

2022年2月26日土曜日

The End of the Affair/Graham Greene 成田悦子訳

 「彼が聞いていたら。」僕は言った。「彼が通りがかった時。」

 「彼は、それが何だか知ろうともしなかった。」

 僕にはどう見ても疑い深いように見えた。彼女は退屈な優しさを以って、「可哀そうなヘンリ」を説明したから。それはたまたま起こったことではなかったー丸十年の内にではなく、しかし全く同様に、僕たちは僕たちの安泰をそれ程確信してはいなかった。僕たちは耳を傾けながら、その段が再び軋むまで,静かにそこに座っていた。僕がかなり不必要に声高に言った時、僕の声は自分自身に、掠(かす)れて不誠実に聞こえた。「あの玉葱のあるシーンを、貴女が好きでよかった。」そこでヘンリがドアを押して開け、中を見た。彼は、グレイのフランネルカヴァを載せたホットゥ‐ウォ-タ‐ボトゥルを運ぼうとしていた。「ヘロウ、ベンドゥリクス。」彼は囁いた。

 「貴方は自分でそれを取って来ちゃいけないわ。」彼女は言った。

 「君たちの邪魔をしたくなくて。」

 「昨夜のフィルムについて話していたの。」

 「貴方が欲しいものなら何でも手に入れるといい。」彼は僕に囁いた。彼はサラーが僕のために出したクラレットゥをちらっと見て、「彼に『29』をあげたら。」、とそのフランネルカヴァの中のホットゥ‐ウォ-タ‐ボトゥルを握りしめながら、彼は彼の特徴のない声で囁き、又ぶらっと出て行って、そして又、僕たちだけになった。

 「気になる?」僕は彼女に尋ねたが、彼女は彼女の頭を振った。

71

2022年2月25日金曜日

The End of the Affair/Graham Greene 成田悦子訳

  誰かが誰かを求めたあの日々、そこにはどんな疑問もなかった―僕たちは欲望の只中に共にいた。ヘンリは彼の緑のウールのガウンを着て、二つの枕に寄りかかってきちんと座り、彼のトゥレイを抱えていた。そして部屋で下に、支えのためのシングル・クションを置いた硬材の床の上、それにドアは半開き、僕たちは愛を育んだ。その瞬間が来た時、ヘンリが頭上でそれを聞くのを懸念して、その未知の哀れで怒ったような自暴自棄の叫び声を削ぐために、彼女の口の上に、そっと僕の手を置かなければならなかった。

 思い巡らすと、僕はまさに彼女の頭脳を啄(ついば)むつもりだった。僕は彼女の側で床の上に蹲り、僕がこれを二度と見てはいけないかのように見守り、そうして見守った―一貯まりの酒に似た茶色い曖昧な色をした髪、彼女の額の汗、激しい呼吸、彼女はレイスを走って来たかのようで、今、若い陸上競技選手のように、勝利の過度の疲労で横になっていた。

 するとその時、階段が軋んだ。瞬間、僕たちは僕たちのどちらも動かなかった。サンドゥウイチはテイブルの上に食べずに積み重ねられ、グラスは満たされていなかった。彼女は小声で言った。「彼は階下に行ったわ。」彼女は椅子に座り、彼女の膝に皿を、彼女の側にグラスを置いた。

70

2022年2月24日木曜日

The End of the Affair/Graham Greene 成田悦子訳

 「ヘンリが風邪を移されたの。彼は家にいるわ。」

 「もし貴女さえここに来れるなら・・・」

 「私は電話に出るために、家に居なきゃいけない。」

 「彼が風邪を移されたからってだけで?」

 昨夜、僕はヘンリに親しみと同情を感じた。それにもかかわらず、もう彼は敵になって、馬鹿にされ、憤慨され、密かに動きを止められた。

 「彼は完全に彼の声を失くしたの。」

 僕は彼の病気の不条理に、意地の悪い喜びを感じた。 

寡婦年金についてしわがれた声で無駄に囁く、声の出ない文官。僕は言った。「貴女に会うには何か方法はない?」

 「でも、勿論。」

 「通話中一瞬の沈黙があり、僕たちは切られたんだと僕は思った。僕は言った。「ヘロウ。ヘロウ。」しかし彼女はそれが全てだと思って、注意深く、落ち着いて、素早く、適当な答えを直ぐ僕に伝えられたら、と考えていた。「私は一時にヘンリにベッドゥでトゥレイを与えるつもりよ。私たちは私たちで、居間でサンドゥウィッチを食べたらいいわ。私は貴方がフィルムについて話したいようだと彼に伝えるわ―それとも貴方のあの小説を。」彼女は直ぐ電話を切り、信頼の感覚が断たれて僕は思い付いた、何回前から、丁度こんな風に、彼女は計画するようになったのか?彼女の家に行き、呼び鈴を鳴らした時、僕は、敵兵―或いはパーキスや彼の若い者が、数年後、彼女の行動を見張ろうとしているように、彼女の言葉を待ち構えている探偵のように、思えた。その時ドアが開き信頼は回復した。

69

2022年2月23日水曜日

The End of the Affair/ Graham Greene 成田悦子訳

 そこには何時も僕たちが会えない理由があった―歯医者又は理容師との約束、ヘンリがもてなした時、彼らが単独で一緒だった時。彼女自身の家の中で、僕を裏切るような機会(恋人の自己本位で、非実在の義務というその暗示を伴ったその言葉を、僕は既に使っていた。)を彼女は持とうとしないということを、自分自身に上手く説明していなかった。ヘンリが寡婦年金に取り組んでいた間か、或いは―彼は間もなくその業務から配置転換されたからか―ガスマスクの配布や公認の段ボール箱のデザインのその業務へ。僕は、最も危険な境遇にあって、喩えそこに欲望があったにしても、愛を育むことが可能かどうか分からなかったから?不信は恋人の立身出世に連れ増大する。何故か、僕たちが互いを見たまさに次の時、僕は不可能に電話をしてしまった、まさにそんな具合に。それは身に降りかかった。

 僕はの僕の心にじっと留まっている、彼女の最後の用心をの助言の悲しさと共に目覚め、起床の三分以内の電話の彼女の声が、それを一掃した。前にも後にも、電話で只話すだけで、まるで気分をそんなに変えられる女を、僕は知らなかった。又、彼女が部屋に入って来るか、僕の傍らに彼女の手を置く時、彼女は忽(たちま)ち僕が別れの度に見失う絶対の信頼を築いた。

 「ヘロウ。」彼女は言った。「貴方は寝てるの?」

 「いや。僕は何時貴女に会える?今日の朝?」

68

2022年2月22日火曜日

The End of the Affair/Graham Greene 成田悦子訳

 事実上僕が遠ざけるものを、まるで愛したかのようなこうした表現を綴ろうとする己を発見するのは妙だ。時に僕は、僕そのものの思いを認めない。「暗闇」のような表現について、或いは、祈る者について、僕が何を知ろう?只一人の祈り手でさえ誰が持とう?それが全てであり、死によって、夫人の衣服、匂い、クリームのポトゥ(壺)といった使う者がいなくなった所有の中に、取り残される夫のように、僕はそういうものを受け継いでいた・・・

それでも未だに、そこにはこの平和があった・・・

 それは僕がそうした戦争の最初の数か月をどう思うかである―それは、いんちきな戦争と同じく、いんちきな平和だったのか?それは、疑念と期待のあの数ヶ月、一貫して安楽や安心の腕を伸ばしていたように今は思える。しかしその平和は、僕は想像する、当時でさえ意見の相違と疑いによって、何度も中断されたに違いないと。只悲しさや諦めといった心持ちの他に、全くうきうきした気分もなく、あの初めの夕べ、家に帰り着いた、丁度そのように、そうして繰り返し繰り返し、僕は、数多くの男達の中の唯一の者―差し当たりお気に入りの恋人だという確信と共に、以前は家に戻って来た。僕があれほどまでに憑りつかれたように愛したこの女だから、夜、僕が目覚めたら、直ぐに僕の頭の中に彼女への思いを探し、眠りを投げ打ち、僕のために彼女の時間の全てを放棄するように思われた。それでも尚、全く確信の感触を得られなかった。愛の行為で、僕は尊大であっても許された。しかし一人僕はひたすら不信を、しかめっ面や不自由な足に求めずにはいられなかった―何故僕を?

67

2022年2月21日月曜日

The End of the Affair/Graham Greene 成田悦子訳

 BOOK TWO

1

不幸の感覚は幸福のそれより頗(すこぶ)る伝え易い。窮乏にあると、僕たちは僕たち自身の実在に気付くようだ。喩え不条理な自己中心癖の形態を成していようとも、この僕の痛みは、個別的である。一瞬怯(ひる)むこの神経は、他にではなく僕に属す。しかし幸福は、僕たちを壊滅させる。僕たちは自らの主体性を失う。人間愛という言葉は、神という彼らの目を説明するために、聖者らによって使われて来た。そしてそこで、僕は想像する、僕たちが女に対して感じる愛の激しさを説明するために、僕たちは祈る者、黙祷、瞑想の言葉遣いを駆使するとよかった。僕たちは、記憶、知識、聡明さを捨てもし、そして僕たちは、剥奪、ノチェ・オスクラ、そして時に報酬として、短い平和のようなものを経験する。愛の行為それ自体は、一瞬の死と描写されて来た。そこで恋人たちは、時に短い平和も経験する。

66

2022年2月20日日曜日

The End of the Affair/Graham Greene 成田悦子訳

  僕は共有地の彼女の脇に、彼女の家を見た。ヘンリの明かりは、彼の書斎のドアの下を照らし、僕たちは二階へ向かった。居間で僕たちは、身動きできないように、互いの体に寄りかかり、僕たちの手を取り合った。「彼が上がって来そうだ。」僕は言った。「今にも。」

 「私たちは彼の気配を耳で聞けるのよ。」彼女は言い、彼女はぞっとするような明晰さで、付け加えた。「あそこには何時も軋む一段があるの。」

 僕は僕のコウトゥを脱ぐ暇もなかった。僕たちはキスをして、階段の軋みに耳を傾け、ヘンリが入って来た時、彼女の顔の冷静さを悲しく見守った。彼女は言った。「私たちは、きっと貴方が上がって来て、私たちに飲み物を下さるわ、と期待していたところなの。」

 ヘンリは言った。「勿論。貴方は何を飲む、ベンドゥリクス?」僕は飲み物は欲しくないと僕は言った。僕にはしなければならない仕事があって。

 「貴方は夜には仕事をしない、と言ってたと僕は思うのだが。」

 「オウ、こういうのは数に入れていない。批評。」

 「面白い本?」

 「ではない、かなり。」

 「僕に貴方の能力があったらなあ―出来事を書き留めるだけの。」

 サラーはドアに向かう僕に目を遣り、僕たちは又キスをした。その瞬間に、僕が好ましく思ったのは、サラーではなくヘンリだった。それはまるで、過去の男全員、未来の男全員が、現在を覆う彼らの影を投げかけたかのようだった。彼女は僕に聞いた。彼女は何時も、キスや頭の中の囁きの背後の意味を、読み取るのが速かった。

 「何でもない。」僕は言った。「僕は朝、貴女に電話するよ。」

 「私が貴方に電話するわ、その方がいいでしょ。」彼女は僕に伝え、それに用心をと、僕は思った、用心かと、彼女が、このようなことの指揮の取り方を如何によくよく心得ているかを。そこで又僕は、何時も―「何時も」は彼女が使って来た表現だった―軋んだというその段を、又思い出した。

65

2022年2月19日土曜日

The End of the Affair/Graham Greene 成田悦子訳

その半分は消えた―変わらず利用されるホテルは、粉々に爆破され、その夜、僕たちが愛情を育んだ所は、継ぎ接ぎだらけだった。それがブリストルだった。そこにはホールに鉢植えのシダがあり、僕たちは青い髪の女支配人によって最高の部屋を見せられた。本物の大きな金箔を貼ったダブルベッドゥや赤いヴェルヴェットゥのカートゥンや等身大の鏡のあるエドゥウオードゥ七世時代の部屋を。(アーバックル・アヴェニューに来た人々は、トゥイン・ベッドゥを要求しなかった。)つまらない詳細は、とてもよく覚えている。支配人は僕たちが夜泊まりたいかどうか、どうなさいますかと僕に尋ねた。部屋代はショートゥ・ステイで15シリングかかり、電気ミーターは数シリングかかるだけで、僕たちは、二人の間で、一枚も持ち合わせていなかった。しかし僕は他に何一つ覚えていない―サラーは初めどんな様子だったか、或いは僕たちがどんなことをしたか、それを除けば、僕たちは揃って神経質で、愛を育むには最悪だった。それは重要ではなかった。僕たちは始めてしまった。―それが核心だった。そこには、その時に賭けた全人生があった。オウ、それにそこには、僕が何時も覚えているもう一つのことがある。僕たちの部屋(30分後「僕たちの部屋」)のドアに凭れ、僕がもう一度キスをして、彼女のヘンリへの帰宅を思うとどれだけ厭になるか言った。彼女は言った。「心配しないで。彼は未亡人の件で忙しいの。」

 「彼の貴女へのキスを考えただけで厭だ。」と僕は言った。

 「彼はしないのよ。玉葱以上に彼が嫌うものなんか全くないんだもの。」

64

2022年2月18日金曜日

The End of the Affair/Graham Greene 成田悦子訳

 それはありそうもないが、恋に落ちるのはまさにその時だ、と僕は断言できるような気がする。それは、勿論、単に玉葱では済まなかった―それは後であんなにもしばしば僕を幸せにしたり惨めにもした率直という一人前の女のその思いがけない感覚だった。僕はクロスの下に僕の手を置き、彼女の膝の上にそれを広げた。すると彼女の手が下りて来て、適格に僕のを捕えた。僕は言った。「それは美味しいステイクだ。」そして彼女の答えを詩のように聞いた。「私が今まで食べた中で、それが最高だわ。」

 そこには追跡も誘惑も全くなかった。僕たちは僕たちのお皿にステイクを半分、クラレットゥ三分の一を残して、僕たち二人、同じ心の同じ意志で、メイドゥン・レインの中に出て来た。ぴったり前と同じ場所で、出入り口と鉄格子(排水口)の側で、僕たちはキスをした。僕は言った。「僕は恋をした。」

 「私も。」

 「僕たちは家に帰れない。」

 「いいわ。」

 僕たちはチャーリング・クロス駅経由のタクシを拾い、僕はアーバックル・アヴエニューへ、僕たちを乗せていくよう運転手に話した―それは、彼らがイーストゥボーン・テラス、贅沢な名前、リッツ、カールトンやその類を持つパディントン・ステイションの側に沿って古くから立つホテルの列、に彼ら自身の間で与えた名前だった。こうしたホテルのドアは、何時も開いていて、貴方は日中一、二時間、何時でも部屋を取れる。一週間前、僕はテラスを再訪した。

63

2022年2月17日木曜日

The End of the Affair/Graham Greene 成田悦子訳

 そのシーンは成功だった。言葉或いは筋に僅かな誇張もなく、何は取り敢えず、普通の単純な挿話を通して、激情の意味するところを、伝えることを望んで来たし、それは機能していた。ちょっとの間、僕は幸せだった―これが書くことだった。何か他に惹かれることは、世界になかった。僕は家に帰って、そのシーンを繰り返し読みたくなった。僕は何か新たなもので勝負したかった。僕は願った、どれだけ願ったか、そのことを、夕食にサラー・マイルズを招待していなかったら。

 後で―僕たちがルールズに戻ると、彼らは僕たちのステイクを今しがた取って来てくれたところだった―彼女は言った。「貴方が書いたのよ、あのシーン、そこにあるわ」

 「玉葱について?」

 「そうよ。」そして丁度その瞬間、玉葱の一皿がテイブルに置かれた。僕は彼女に言った―その夕暮れ、彼女を強く求めることなど、僕の心を過(よぎ)りもしなかった―「それでヘンリは玉葱を気にする?」

 「そう。彼はそんなものには耐えられないわ。貴方はそんなものが好き?」

 「うん。」彼女は僕にそんなものを取ってくれた。それから彼女自身も取った。

 玉葱の一皿を越えて、恋に落ちることは可能か?

62

2022年2月16日水曜日

The End of the Affair/Graham Greene 成田悦子訳

 彼らはウオーナーズやその他で僕の本の一つのフィルムを見ていた。一部「誇示する」ために、一部、キスは儀礼的であるため、何故か従わされなければならないと僕は思ったから、一部又、僕は未だに文官の結婚生活に興味があったから。僕はサラーに僕と一緒に来るよう頼んだ。「僕は、そりゃあヘンリに愉快じゃない依頼だと思う?」

 「どうってことないわ。」彼女は言った。

 「彼はこの後、夕食で私たちと一緒になる筈だった?」

 「彼はたくさんの仕事を自分で持ち帰っているの?或るお粗末な自由主義者が、議会で来週、未亡人について質疑を問い質そうとしている。」自由主義者は―確か彼はルイスと呼ばれたウェールズ人だったと思う―私たちのベッドゥは、あの夜、私たちのために作ったと、貴女は言っても構わなかった。」

 そのフィルムはいいフィルムではなかった。そして、時々それは、状態を見るには酷く痛み、それは、僕には随分現実的で、映像のありきたりの在庫の中に巻いてあった。僕はサラーと一緒に何か他のものに行きたかった。先ず僕は彼女に言って置いた。「あれは僕が書いたものじゃない、貴女も知っているでしょ。」しかし僕はそう言い張ることができなかった。彼女は同情して、彼女の手で僕に触れた。僕たちは、子供や恋人たちが用いる天真爛漫な抱擁に、僕たちの手を取り合ってそこに座った。突然しかも予期せぬことに、たった数分の間、そのフィルムは生き返った。これは僕の小説だということも、これは僕の台詞回しだったことも僕は忘れ、安レスタラントゥでの慎ましいシーンに、純粋に心動かされた。恋人同士が玉葱付きステイクを注文して、彼女の夫はその匂いを好まなかったから、娘はちょっと玉葱を食べるのを躊躇った。恋人が傷付き、腹を立てたのは、彼女の躊躇いの背後に何があるか、彼には分からなかったから。それは彼女の帰宅時、避けられない抱擁を、彼の心に齎した。

61

2022年2月15日火曜日

The End of the Affair/Graham Greene 成田悦子訳

 Ⅶ

嫉妬は、又そう僕は常々信じていたのだが、欲望と共にのみ在る。旧約聖書の作家らは、その言葉「嫉妬する神」を使うことを好み、おそらくそれは、神の愛の信仰を表そうとする彼らのおおざっぱで遠回しな方法である。がそこには様々な欲望の種類があると僕は想像する。僕の欲望は、今、愛より憎しみに近く、ヘンリを僕が信頼するには訳があり、サラーが一度僕に話したことからすると、彼女に対しては、僅かな欲望でも感じることを長く止めて来た。そして未だに、僕は思う、そうした日々、僕と同じくらい彼は嫉妬した。彼の欲望は単に仲間付き合いのためにあった。彼は初めてサラーの信頼から締め出されたと思った。彼は悩み、落胆していた―彼は、何が行われていたか、何が身に降りかかろうとしていたか、知らなかった。彼はひどく無防備の中を生き続けていた。限界に向かって、彼の窮地は、私のものより酷かった。僕は何一つ所有していないという安心感を持っていた。僕は僕が失った以上持つことは出来なかったが、彼は尚も、食卓での彼女の存在、階段での彼女の足音、ドアの開け閉め、頬へのキスを所有していた―僕は今、もし他にもたくさんあるとすると、疑わしく思う。しかし一人の飢えている男には、どんなに多くとも、そのくらいがずっと相応しい。

そしておそらく何がそれを悪化させたにせよ、彼は一度は僕が持ったことのないような安心感を満喫したことがあった。。何故か、パーキスさんが共有地を横切って引き返したその瞬間には、彼はサラーと僕が嘗て恋人だったと知りもしなかった。そして僕がその言葉を書く時、僕の頭は、僕の意志に逆らって、苦悩が始まったその地点に、否応なしに連れ戻す。

 僕がサラーに電話する前、メイドゥン・レインでの不器用なキスの後、丸一週間が過ぎ去った。彼女はヘンリは映画を好まず、だから彼女は滅多に行かないと夕食で触れていた。

60

2022年2月14日月曜日

The End of the Affair/GrahamGreene 成田悦子訳

  「僕はそれを楽しんだ、パーキスさん。」僕は皮肉抜きで言った。「心配しないよう心掛けなさい。貴方の若い者は、貴方を手本にするしかない。」

 「彼は彼の母親の頭を持っています、サー、」と彼は悲しそうに言った。「私は急がなければ。そりゃあ外は寒いというのに、私は離れる前に、いい避難場所を彼に見つけてやりました。それにしても彼は非常にすばしっこいものですから、濡れないでいるとは思えない。経費に署名して頂けますか、サー、もしそれを承認して下さるなら?」

 僕は僕の窓越しに、彼を見守った、彼の薄いレインコウトゥと共に姿を現し、彼の古い帽子が消えて行くのを。雪は勢いを増し、既に三つ目のラムプの下、彼は泥が透けて見える小さな雪だるまに似ていた。僕が十分の間、サラーのことも、僕の嫉妬のことも考えなかったということは、驚きを伴って僕の身に降りかかった。僕は他人の悩み事について考えられるほど,人間味を増していた。

59

2022年2月13日日曜日

The End of the Affair/Graham Greene 成田悦子訳

 「貴方は彼に、僕がその男を確認できると話せなかったの―まさにそのことを、それとも僕に関心がなかった?」  

 「貴方は親切にそのことを示唆して下さる、サー、しかし貴方はこれをあらゆる角度から見なければならない。私は私の若い者にも、そうしないとは言いません。しかし彼はどんなことを考えようとするでしょう、もし彼が貴方と交わって近付けば―調査の成り行きで?」

 「それは必要ない。」

 「それでもそういうことは十分に起こり得ます、サー。」

 「どう、今回は彼を家に残して置きませんか?」

 「それではことを悪化させます、サー。彼には母親がいず、それは彼の学校の休日のことで―サヴィッジ氏の十分な承認を得て。いえ、あの時私自身馬鹿なことを致しました。それで私はそのことを正視しなければなりません。只彼が本当にさほど気真面目でなかったら、サー、が彼は私が浮浪者を作る時、それを心に仕舞い込みます。或る日プレンティス氏―それはサヴィッジ氏の助手で、かなり厳しい方です、サー、―は言いました。『貴方の他の浮浪者たちは、パーキス、』その若い者達の聴取の中で。それは初めて彼の目を開けたことです。」彼は法外な決意の様子と共に立ち上がった。(他の男の勇気を誰が測っていいものか?)そして言った。「私は私の問題について話しながら、貴方を守っていました。」

58

2022年2月12日土曜日

The End of the Affair/Graham Greene 成田悦子訳

 突然傷を負い、今や次の企てを立ちすくんで待っているかのように、彼は彼の口を少し開けて僕をじっと見た。僕は言った。「僕は過ちというものは、度々起こると思います、パーキスさん。サヴィッジ氏は僕に伝えて置くべきだった。」

 「オウいえ、サー。」彼は居心地悪そうに言った。それから、彼は彼の頭を垂れて、彼の膝の上に置いた彼の帽子の中を見ながら、そこに座っていた。僕は彼を元気づけようとした。「そんなのは本気じゃあない。」僕は言った。「もし貴方が外側からそれを見ていれば、、それは実に全くおかしい。」

 「しかし私は内側にいます、サー。」彼は言った。彼は彼の帽子を回し、外の公有地と同じくらい湿り気のある侘びしい声で続け、「それはサヴィッジ氏ではなく、私が気を付けます、サー。貴方が専門的職業の中で会うのと同じくらい部下を理解しています―それは僕の若い者です。彼は私について大いなる認識を持って始めました。」彼は彼の窮乏の深みから、非難しながら脅えた笑顔を取り出した。「彼らがする読書の種類を貴方は知ってらっしゃる、サー、ニック・カーターズやそのようなものを。」

 「何故そもそも彼がこのことについて知って置くべきだったか?」

 「貴方は子供を連れて真面目に振舞った、サー、すると彼はきっと疑問点を尋ねます。どのように僕が究明するのかを、彼は知りたがるでしょう―それが彼が学んでいることです、徹底的に究明するために。」

57

2022年2月11日金曜日

The End of the Affair/Graham Greene 成田悦子訳

 「教会?」

 「ロウマン教会、サー、メイドゥン・レインの。貴方はそこら一帯にそれを見つけるでしょう。しかし祈るためではなく、サー、座るために。」

 「貴方はそれさえすっかり知っているんでしょ?」

 「当然、私は当事者について中へ入りました。誠意を持っているように見せようとして、私は二、三席後ろで膝まづきました。私は貴方に保証できます、サー、彼女は祈らなかった。彼女はロウム信者ではないでしょ、サー?」

 「いや。」

 「それは暗いところで座るためでした、サー、彼女が落ち着くまで。」

 「もしかして、彼女は誰かに会おうとしていた?」

 「いいえ、サー、彼女はそこにたった三分いただけで、誰にも話しかけていません、喩え貴方が私に聞いても、彼女は心ゆくまで泣きたかったのです。」

 「ことによると。しかし貴方は手口が間違っています、パーキスさん。」

 「手口、サー?」

 僕は明かりが僕の顔をもっと十分捕えるように、移動した。

 「私たちはそこまで手口に触れたことがありません。」 

 今や僕が僕の物笑いの種を引き受けてしまったものだから、彼には気の毒だと思った―元来非常に憶病な誰かを、尚、更に脅えさせたとしたら気の毒に思った。

56

2022年2月10日木曜日

The End of the Affair/Graham Greene 成田悦子訳

 「僕はその場所を知っている。」

 「私は私の報告書を要約しようとしてしまいました、サー、絶対必要なものへ。」

 「全くその通り。」

 その報告書は続いた。「昼食後当事者たちは一緒にメイドゥン・レインを上手へ向かい、普通の食料雑貨店の外で分かれました。私は彼等は素晴らしい感動の下で苦しんでいるという印象を持ち、もしこの調査にそう言っても構わないのなら、彼らは望ましい幸せな結末のために分かれるのかも知れないということが私には思われました。

 又彼は心配して僕を遮り「貴方は私的接触を許そうとしますか?」

 「勿論。」

 「私の職業でさえ、サー、私たちは時々感動した私たちの感情に気付きます。それに私はその女性が好きです―問題の当事者、その人が、です。」

 「私は紳士か問題の当事者に随行すべきかどうか躊躇いましたが、私は私の指示は前者を許さないだろうと決めました。故に私は後者に従いました。彼女は非常に興奮した様子で、チャーリング・クロス・ロウドゥへ向かって少し歩きました。それから彼女はナショナル・ポートゥレイトゥ・ギャラリに入りましたが、二、三分いただけです・・・」

 「何かもっと重要なことがありますか?」

 「いいえ、サー。彼女は腰を下ろす場所を探していただけだと思います。次に教会に入りましたから。」

55

2022年2月9日水曜日

The End of the Affair/Graham Greene 成田悦子訳

  「私と私の若い者は、最も近い長椅子に腰掛けました。」僕は読んだ。「当事者とその紳士は、明らかに非常に親密で、堅苦しさはなく、愛情を籠めて互いを遇し、或る時には、テイブルの下で手を握っていたと私は思います。当事者の左手、その種のぎゅっと握ることを大抵それとなく示す紳士の右手も又、視野の外にありました。私ははこのことを確心出来ませんでした。短くて親密な会話の後、彼らはルールズ同様その客に知られた閑静で人目につかないレスタラントゥへ、徒歩で向かいました。テイブルより寧ろ長椅子を選んで、彼らはポーク・チョップを注文しました。」

 「ポーク・チョップは重要ですか?」

 「それは身元確認の目印になるかも知れません、サー、もし頻繁に耽溺するとしたら。」

 「貴方はその時男の身元確認をしなかったの?」

 「貴方は気付くでしょう、サー、読み進めれば。」

 「私がこのポーク・チョップの注文を観察した時、私はバーでカクテイルを飲みましたが、どのウエイタからもバーの向こう側の女性からも、その紳士の身元確認を引き出せなかった。」にもかかわらず、私は私の質問を、曖昧で無頓着な態度で表現しました。それは明らかに好奇心を刺激し、そこで私は出た方がいいと考えました。しかしヴォードゥヴィル劇場の舞台門衛と馴染みになることによって、僕はそのレスタラントゥを観察下にして置ける。」

 「どのように?]僕は尋ねた。「貴方は馴染みになりましたか?」

 「『ベドゥフォードゥ・ヘッドゥ』というバーで、サー、当事者たちが間違いなくチョップの注文に専念しているのを見ながら、その後。劇場へ彼を同伴して戻りました。そこにはステイジ・ドアが・・・」

54

2022年2月8日火曜日

The End of the Affair/Graham Greene 成田悦子訳

    1月19 地下鉄      2シリング4ペンス

      瓶入りビア    3シリング

      カクテイル    2シリング6ペンス      

                 苦みのパイントゥ 1シリング6ペンス

 彼は又僕が読むのを妨げた。「そのビアは私の良心にかけてほんの少量です、サー、私が不注意のためにグラスを駄目にしたからです。しかし、何か報告すべきことがあるとすれば、私は縁を少しだけでした。貴方もご存知のように、サー、期待外れの週が時にはありますが、それにしても今回は二日目に・・・」

 勿論僕は彼だと思い当たった、彼のまごつかされた若い者を。僕は一月19の下を読んだ(僕は一月18に下らない動向の記録が一つだけあるのを、一目で勘付いてしまった。)「問題の当事者は、ピカディリ・サーカス行きバスで行きました。彼女は動揺しているようでした。彼女はカフェ・ロイアルへエア・ストゥリートゥを上へと進みました。するとそこに、紳士が彼女を待っていました。私と私の若い者は・・・」

 彼は僕を一人にして置こうとしない。「貴方は気付かれるでしょう、サー、それは違う筆跡です。私は僕の若い者に、何とはなしに人目を憚(はばか)る性質の場合、決して報告書を書かせません。」

 「貴方は彼に十分な注意を払っていますね。」と僕は言った。

53

2022年2月7日月曜日

The End of the Affair/Graham Greene 成田悦子訳

 「彼は料金に入っているのですか?」

 「私が私の報告書を作る間だけです、サー。」

 「彼は何歳ですか?」

 「12過ぎ。」まるで彼の若い者が時計であるかのように、彼は言った。「若者は有用な上に、コミック以外何一つ要らない。おまけに誰も彼に気付きません。少年たちは生まれながらの浮浪者です。 

 「それじゃあ若い人にとって半端な仕事のように思う。」

 「そうですね、サー、彼は、現実の重要性を分かっていません。もしそれがベッドゥルームの中で急に起こることになれば、僕は彼を後に残して去ります。」

 僕は読んだ。

   1月18 二夕刊       2ペンス

      地下鉄帰り     1シリング8ペンス

      カフィ.ガンターズ   2シリング

僕が読んでいる時、彼は綿密に僕を監視していた。「カフィの場所は、僕が望んだ以上に高くつきました。」彼は言った、「しかしそれは注目されずに、僕が飲めた最少額でした。」

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2022年2月6日日曜日

The End of the Affair/Graham Greene 成田悦子訳 

 「オウはい。座って下さい。煙草を嗜みますか?」

 「オウいいえ、サー。」彼は言った。「職務中は厳禁―勿論、潜伏目的を除いて。」

 「しかし今は職務中じゃないでしょう?」

 「一応マナーで、サー、はい。私の報告書を作る30分間、私は丁度交代させられたところです。サヴィッジ氏は貴方がどれだけそれを好もうと週決めで―経費を含むと言いました。

 「何か報告することがありますか?」僕が感じたのは落胆だったか、或いは興奮だったかどうか、僕には定かではなかった。

 「それはまるっきり白紙の紙ではありません、サー。」彼は悦に入って言い、桁外れの数の書類と封筒を、手頃なものを探して彼のポキットゥから取り出した。

 「どうか座って下さい。貴方は僕を不安にする。」

 「尤もです、サー。」座りながら、彼は僕を更に近くでちらりと見た。「私は以前貴方に何処かで会いましたか、サー?」

 僕は封筒から最初の一枚を取り出した。それは男子生徒のものであるかのような非常にきちんとした筆跡で書かれた経費請求書だった。僕は言った。貴方はとても奇麗に書きますね。」

 「それは僕の若い者です。僕は彼を実地で訓練しているところです。」彼は慌てて付け加え、「僕は彼のために一切要求しません、サー、今のように、私が彼を料金に委ねなければ。」

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2022年2月5日土曜日

The End of the Affair/Graham Greene 成田悦子訳

 ルールズでのサラーとの昼食後一週間、僕はどんな仕事も全く手につかなかった。そこでそれは再び動く―僕は、僕は、僕は、まるでこれが僕の物語であるかのように、サラーや、ヘンリ、そして勿論、僕が未だ彼を知ることも、ましてや彼を信じることさえなく遠ざけている、第三者ではなく。

 僕は朝の内に仕事をしょうとして、しくじって来た。僕は、昼食と一緒に酒を飲み過ぎて、午後は無為にした。暗くなってから、僕は明りを消して窓辺に立ち、完全に暗い共有地の向こうに、明りの点いた北側の窓が見えた。それはそれは寒くて、もし僕が近くで体を丸めて、その時それが焦げようと、僕のガスの炎だけは僕を暖めた。僅かな雪の薄片が、南側のラムプの向こうで舞い、厚く湿った指で窓ガラスに触れた。僕はベルが鳴っているのに聞こえなかった。僕の女主人は、ドアをノックして言った。「貴方に会うためにパーキスさんて方が、」

文法に適った冠詞によって、このように僕の訪問者の社会的地位を仄めかしながら。僕はその名前を聞いたことがなかったが、彼を中に案内するよう彼女に話した。

 僕はその穏やかで申し訳なさそうな目、その天候次第で湿気る長い時代遅れの口髭を前に何処かで見たことがあった。 

僕の読書のラムプを僕が点けただけで、近‐視のように目を凝らしながら、彼はその方へ近寄った。

彼は言った。「ペンドゥリクスさん、サー?」

 「はい。」

 彼は言った。「名前は、パーキスです。」それが僕に何か意味でもあるかのように。彼は付け足した。「サヴィッジ氏の部下です、サー。」

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2022年2月4日金曜日

The End of the Affair/Graham Grrene 成田悦子訳

 僕たちの恋は、小さい生き物が罠にかかり、死に向かって血を流しているようで、僕は目を閉じ、その首を力を籠めて捩じらなければならなかった。

 その内僕は何時も働けなくなった。小説家の書くことの大半は、僕が言って来たように、無意識に席を選ぶ。それらの最初の言葉が紙の上に現れる前、それらの深さで最後の言葉が書かれる。僕たちは僕たちの物語の詳細を覚えていて、僕たちはそれらをでっち上げはしない。戦争はそうした深い海の‐洞窟を悩ませなかったが、今は戦争より、僕の小説―恋の終わりより、遥かに大きく何か重要なことがあった。それは、物語のように、今徹底的に働かされることだった。彼女を嘆かせる的を射た言葉、彼女の唇にどこまでも自発的に生じたかのように見える、が、その水底の大洞窟で研ぎ澄まされていた。僕の小説はのろのろ歩き、しかし僕の恋は、霊感のように終わりに向かって急いだ。

 彼女が僕の最後の本は好きじゃなかったと言っても、僕は驚かない。それは何時も意に反して、救いもなく、人は生きて行くしかないということ以外に、どんな理由もなく書かれた。批評家らは、それは技術者の仕事だと言った。何らかの情熱はあったんだというのが、僕に残された全てだった。おそらく次の小説と一緒に、情熱も甦るに違いなく、興奮は、何か人が意識的に知らずに済ませた記憶を再び呼び覚まそうとするだろう。

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2022年2月3日木曜日

The End of the Affair/Graham Greene 成田悦子訳

 爆弾は真っ先にそうした昼間を急襲して、1944のヴィスは、彼ら自身好都合な夜の習慣に従った。しかしかなりの頻度で、僕がサラーに会えるのは、午前中だけだった。何故なら午後には、彼女たちの買い物を終えた、誰か、友達から全く手に入れたことがなく、夕方のサイレンの前に、仲間と噂話を欲しがった。時に彼女は二列の間に割り込み、僕たちは青物-食料雑貨店主や肉屋の主人に挟まれて恋をしようとした。

 しかしそんな状況下でも、仕事に戻るのは全く簡単だった。人は幸せである限り、人はどのような鍛錬にも耐えられる。仕事の習慣をすっかり止めるのは、不幸だった。僕たちがどれだけ頻繁に口論したか、僕がどれだけ頻繁に神経質な苛立ちで、彼女をいびったか、僕が悟り始めた時、僕たちの恋が運命付けられていると気付いた。恋は、始まりと終わりを持った恋の‐出来事へと変質してしまった。それが始まったまさにその瞬間を僕は示すことができた。とうとう或る日、最後の時を僕が指図できるとしたらそうすべきだと僕は知った。僕は互いに対して何を言ってしまったか再現しようとした。僕は怒り、或いは自責の念へと僕自身を煽り立てた。そして常に僕がペイスを強いていたと分かった。僕は僕の暮らしの外で愛すといことだけ押し進め、尚も押し進めていた。僕が恋は続くということを信じ‐させられたら、僕は幸せだった。僕は、一緒に暮らすことさえ構わなかったし、そうすれば恋は続いたのに、と僕は思う。しかし、もし恋が滅びるしかなかったら、僕は急いでそれを滅ぼしたかった。

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2022年2月2日水曜日

The End of the Affair/Graham Greene 成田悦子訳

 Ⅵ

若い人がその信じる仕事の習性を築き上げる時、一生持続し、どのような破局にも耐えようとする。二十年に亘り、一週間に五日間、およそ一日平均五百語になった。僕は一年で一つの小説を産み出せる。そしてそれは、校正やタイプ原稿の訂正時間をも念頭に入れてのことだ。僕は何時も非常に几帳面で、僕の仕事の割り当てが終われば、場面の最中であってさえ、僕は打ち切る。今もあの頃も何時だって、朝の仕事中、僕は僕が何をしたか、僕の原稿の上の数百の印を外して数える。印刷所は念入りな僕の仕事の概算ペイジ数を整える必要はなく、僕のタイプ原稿の頁の最前列に数字を書き込んである―83,764と。僕が若かった頃、恋愛沙汰さえ、僕のシェデュールを変えようとはしなかった。恋愛沙汰は昼食後、そしてどんなに遅くても、僕はベッドゥに向かう状態であればよしとした―僕が僕自身のベッドゥで眠る限り―僕は朝の仕事をもう一度読み、その上で眠ろうとした。戦争でさえ、僕に影響を及ぼすのは難しかった。不具な脚は、僕を陸軍から締め出し、僕が民間防衛にいた時、僕は職務の静かな朝の当番を望んだことがなく、僕の同僚の労働者たちは只々大喜びした。

僕は結果として、熱心故の全く上辺だけの名声を手に入れた。それでも、僕の机、一枚の紙、そのペンから、ゆっくりと、几帳面に滴るばかりの割り当て分の仕事に向かうと、ひたすら熱中した。僕の自らに‐課した鍛錬を滅茶苦茶にするには、サラーを必要とした。

47

2022年2月1日火曜日

The End of the Affair/Graham Greene 成田悦子訳

 僕は歩道に立ち止まり言った。「貴女はストゥランドゥに行くつもりでしょ?」

 「いえ、レスター・スクェアへ。」

 「僕はストゥランドゥへ行くつもり。」彼女は出入口の中に立っていた。通りは閑散としていた。「僕は、ここでグッドゥ‐バイを言おう。貴女に会えて良かった。」

 「そう。」

  「貴女が都合がよければ、何時でも僕に電話して。」

 僕は彼女の方へ動いた。僕の足下に格子(排水口)の感触があった。「サラー」僕は言った。彼女は彼女の頭を、鋭敏にあちらへ向けた。例えば誰かが来れば見るために、例えばそこに時刻があれば見るために、彼女は確かめているかのようだった・・・しかし彼女がもう一度曲げた時、咳が彼女を襲った。彼女は出入口の中で、体を二つに折り曲げ、咳き込みそして咳き込んだ。彼女の目は、それに連れ赤くなった。彼女の毛皮のコウトゥに包まれ、彼女は窮地に追い詰められた小さな動物のように見えた。

 「気の毒だね。」

 僕は酷にも言った。まるで僕が何かを奪われて来たかのように。「それじゃあ、付き添わなきゃいけないね。」

 「そんな、只の咳よ。」彼女は彼女の手を差し伸べて言った。「グッドゥ‐バイ―モーリス。」その名前は辱めのようだった。僕は「グッドゥ‐バイ。」と言いはしたが、彼女の手を取らなかった。僕は脇目も振らず、急いでいる印象を与えようとして、大急ぎで歩いて離れた。そしていなくなるとほっとした。

それから僕がもう一度咳が始まるのを聞いた時、僕は節を、何かしら陽気で、冒険的で、幸せそうな、口笛で吹けたらと願った。それにもかかわらず、僕は音楽を求める耳さえ、持ち合わせなかった。

46

2022年1月31日月曜日

The end of the Affair/Graham Greene 成田悦子訳

 「勿論。」

 「私、最後のはあまり好きじゃなかったわ。」

 「ちょうどあの頃、何かにつけ書くことは死闘だった―平和が来そうで・・・」

それに僕はまさに都合よく、平和が去ってしまうと言ったかも知れない。

 「私は時々貴方が保守的な考えに戻ろうとするんじゃないかと心配だった。―私が嫌った人へ。何人もの人がそうなってしまった。」

 「一つの本は、僕を一年は書くことに向かわせる。」

 「仮に貴方が知ってしまったら、どんなに些細でも貴方は復讐しなければならない・・・」

 「勿論、冗談で言っているんだ。僕たちは一緒にいい時間を持てた。僕たちは大人だったし、僕たちは知っていた。こういうことは、或る時終わってしまうと。今は,貴女も分かっているように、僕たちは友達のように会えるし、ヘンリについて話もする。」

 僕は勘定書きを支払い、僕たちは外に出て二十ヤードゥ通りを下ると、出入口と格子(排水口)があった。

45

2022年1月30日日曜日

The End of the Affair/Graham Greene 成田悦子訳

 食物は僕たちのつまらないお喋りを遮り、彼女は、僕たちが食事を終えた時だけ、何故彼女がそこにいるかの僅かな気配を、見せただけだった。「私は、私と一緒に昼食を摂るよう貴方にお願いしたわね。」と彼女は言った。「私、ヘンリについて貴方に聞きたかったの。」

 「ヘンリ?」僕は繰り返し、僕の声が落胆と無縁であるように務めた。

 「私は、彼が心配なの。先日の夜、貴方は彼をどうやって見つけたの?彼は何だか変じゃなかった?」

 「僕は可笑しなところにはまるで気付かなかった。」と僕は言った。

 「私は貴方に尋ねたくて―オウ、私、知ってるのよ、貴方はとても忙しいって―貴方は時折彼を調べているかどうかを。私は彼は寂しいんだって思っているの。」

 「貴女と一緒なのに?」

 「貴方も知っているでしょ、彼は本当に私のことに全く気付いていなかったの。何年もじゃないの。」

 「多分彼は、貴女がそこにいない時、貴女のことに気付き始めたんだよ。」

 「私たちはそれ程出かけてはいないわ。」彼女は言い、「最近、」と、彼女の咳は都合よくその話の輪郭を壊した。その時で、発作は終わり、彼女は彼女の策略を考え出した。しかしそれは真実を避けようとする彼女に相応しくなかった。「貴方は新しい本に取り掛かっているの?」彼女は尋ねた。それは他人が話しているようで、コクテイル・パーティで会う見知らぬ人のようで。南アフリカのシェリーを巡る初めての機会にさえ、彼女はその見解に傾倒しなかった。

44

2022年1月29日土曜日

The End of the Affair/Graham Greene 成田悦子訳

 貴女が左手側のメイドゥン・レインを上ると、そこに出入口と、互いに一言もなく僕たちが通り過ぎた格子(排水口)がある。初めての食事の後、僕がヘンリの性質について尋ね、彼女が僕の関心に好意を寄せた時、僕は地下鉄に向かう途中、そこでかなり不器用に彼女にキスをした。何故僕がそんなことをしたか、僕には分からない。多分鏡の中のその画像が、僕の心の中に入り込まなければ、と言うのも僕は彼女に好意を寄せるつもりはなかったから。僕はもう一度、彼女を捜すつもりさえ特になかった。彼女は余りにも美しく、近寄ろうとする思いで僕をわくわくさせた。

 僕たちが座った時、昔馴染みのウエイタの一人が僕に言った。「貴方がこちらにいらっしゃってから、ほんとに久し振りです、サー。」それにしても僕はサラーに僕の事実に反する主張をしなければよかった。

 「オウ。」僕は言った。「僕は最近二階で昼食を摂っています。」

 「それに貴女、奥様、またまたお久しゅうございます・・・。」

 「二年近く。」彼女は僕が時々嫌がる正確さで言った。

 「ところが私は、覚えています。貴女が何時も好んだのは大きなラーガーだった。」

 「貴方がたは、素晴らしい記憶力で感動させるわね、アルフレッドゥ。」すると彼はその記憶振りに満足してニコニコ微笑んだ。彼女は何時もウエイタたちと仲良くやる芸当を持っていた。

43

2022年1月28日金曜日

The End of the Affair/Graham Greene 成田悦子訳

僕は彼を睨み倒そうとしたが、そんなことは簡単だった。彼は、長い髭と小鹿‐に似た目を持ち、慌てて視線を外した。彼の肘が彼のビアグラスを捕え、それを床に転がした。そして彼は混乱に打ちのめされた。彼は僕の写真で僕を知っていたのかも知れず、それは僕のせいで起こったことだから、同時に僕は気の毒に思った。彼は、まさに僕の数少ない読者の一人かも知れなかった。彼には彼と席を共にしている幼い少年がいた。彼の息子の面前で、父親に恥をかかせるとは、何と酷なことを。その少年はウエイタが急いでやって来た時、頬を赤らめ、彼の父親は不必要な猛烈さで謝り始めた。

 僕はサラーに言った。「勿論、貴女が好むなら何処ででも、貴女は昼食を摂らなくちゃね。」

 「貴方も知っているわ、私ははそこへ、前に行ったことがなかった。」

 「そうだね、そこは貴女のレスタラントゥではなかったよね?」

 「貴方はそこへしょっちゅう行くの?」

 「そりゃあ僕には便利だもの。週に二、三回。」

彼女は不意に立ち上がり、言った。 「行きましょ。」そして突然咳の発作に襲われた。 それは彼女の小さな体にしては、大き過ぎる咳のように思った。 彼女の額はその排除に連れ汗ばんだ。 

 「 それ性質が悪いね。 」

 「何でもないわ。ごめんなさい。」

 「タクシ?」

 「私は歩く方がいいわ。」

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2022年1月27日木曜日

The End of the Affair/Graham Greene 成田悦子訳

 僕は彼女を信じようとはしなかったが、彼女の舌に乗った言葉を聞きたがった。おそらく単にそれを自ら拒絶する満足を僕に与える為に。ところがその信用‐させるというゲイムを、彼女はすることがなく、それから突然、意外にも、彼女はこんな甘美さと大きさの声明を伴った僕の予約を打ち砕こうとする。・・・或る日、私たちの関係は終わるでしょうという彼女の憶測を、僕が惨めに思った嘗てを、僕は覚えている。「僕は貴方を愛するように人を愛したことは、決して決してなかったし、僕には二度とない。」さて、彼女はそれを知らなかった、と僕は思ったが、彼女も又、信じ‐させるという同じゲイムをした。

 彼女は僕の側に座って、ラーガー一杯を頼んだ。「僕はルールズにテイブルを予約した。」僕は言った。

 「私たち、ここにいることは出来ない?」

 「そこは僕たちが何時も行っていた所だよ。」

 「そうね。」

 おそらく、僕たちはその挙動からして、不審そうに見えていた。余り離れていないソウファに座った小男の関心を引いて来たことに、僕はやっと気付いた。

41

2022年1月26日水曜日

The End of the Affair/Graham Greene 成田悦子訳

 Ⅴ

僕はテイブルに新聞を広げて置き、何度も繰り返して同じ頁を読んだ。僕は出入口をを見たくなかったから。人々はひっきりなしに入って来て、彼らの頭を上下に動かすことによって、馬鹿げた期待を曝け出すそうとする者の一人に、僕はなりたくはない。僕たちは皆、自ら失望に整列してしまうということを、幾ら覚悟すればいいのだろう?夕刊には、何時もの殺人や巧妙な砂糖菓子-配給制限に関する議会の小競り合いがあり、彼女は、今五分遅れていた。彼女が僕の時計を見ている姿を目撃するとしたら、僕の不運だった。僕は、「ごめんなさい。私、バスで来たの、交通の便が悪くて。」と言う彼女の声を聞いた。

 僕は言った。「地下鉄の方が速いよ。」

 「分かってるけど、私、速く着きたくなかったの。」

 彼女はよく真実によって僕を狼狽させた。僕は真実より更に多くを、彼女に言わせようとした―僕たちが恋愛中だった日々、私たちの事が決して終わらないようにと、一日でも、私たち結婚しましょうよなどと。

40

2022年1月25日火曜日

The End of the Affair/Graham Greene 成田悦子訳

 「いいえ、いいえ未だです。私たちは変えたところよ。それはマコーレイ6204。私は貴方にお願いしたことがあったの。」

 「そう?」

 「そんなに心配することはない。僕は貴女と昼食を食べたかった、それだけ。」

 「勿論、私、嬉しいわ何時?」

 「貴方は明日はなんとか出来ない?」

 「いや、明日はだめ。貴女も分かっているように、僕は只、この契約に繋げようとしただけ・・・」

 「水曜日は?」

 「木曜日にしようか?」

 「いいわ。」彼女は言い、そうして僕は単音節語に殆ど失望したに決まっている―僕たちのプライドゥは、僕たちを欺く。

 「その時カフェ・ロイアルで、僕は一人で貴女に会おう。」

 「貴方の都合が良ければ。」彼女は言った。僕は彼女の声から、彼女はそのつもりだったと言えるかも知れない。「木曜まで。」

 「木曜まで。」

 僕の手に電話の受話器を持ったまま、僕は座り、誰も知りたくもなかった卑劣で愚かな男のようで、嫌気が差した。僕は彼女の番号を回した。僕は彼女が電話口を離れる前に、彼女を捕まえなければならなかった。そして言った。「サラー。明日でいいよ。僕は何が何だか分からなくなってしまった。同じ場所。同じ時間。」それから、静かになった器械の上、そこに僕の指を、期待すべき何かと共に置いた。僕は自分自身に対して思った。僕は覚えている。これはどんな希望も、似通った感触を持っているということだ。

39

2022年1月24日月曜日

The End of the Affair/Graham Greene 成田悦子訳

 非常に‐訓練されたメイドゥの声は、僕の鼓膜の中で、その番号を繰り返した。僕は言った。「マイルズ婦人はいらっしゃいますか?」

 「マイルズ婦人?」

 「そちらは、マコーレイ7753ではありませんか?」

 「はい。」

 「僕はマイルズ婦人に話したいのですが。」

 「貴方は間違った番号に掛けましたよ。」そして彼女は電話を切った。時に連れて、些細なことが変わり過ぎるということは、僕には今まで起こったことがなかった。

 その住所氏名録で、僕はマイルズを調べたが、その古い番号は、未だそこにあった。その住所氏名録は、日付から一年以上経っていた。電話が再び鳴った時、僕は丁度問い合わせに掛けようとしていた。するとそれはサラー、彼女自身だった。彼女は多少戸惑いながら、「そちらは貴方ですか?」と言った。彼女はどんな名前でも僕を呼んだことがなく、今や、年月を経た愛情のない彼女は、途方に暮れていた。僕は言った。「話しているのはベンドゥリクス。」

 「こちらはサラー。貴方は私の伝言を受取っていないの?」

 「オゥ、僕は貴女に電話を掛けようとしたが、僕は契約を切らなければならないところだった。で、今、貴女の番号を受信するなんて予想外だ。それは、その名簿にはあるのに、と僕は思うのだが?」

38

2022年1月23日日曜日

The End of the Affair/Graham Greene 成田悦子訳

 Ⅳ

僕がサヴィッジ氏の所から帰宅し、僕の女主人が、マイルズ婦人が電話を掛けて来たところです、と僕に話した時、僕は正面のドアが閉まり、ホールに彼女の足音を聞くと、何時も感じた張り合いに気付いた。僕は数日前、僕の視覚は、愛にではなく、勿論、感傷にでもなく、僕が機能し続けられる記憶に目覚めてしまったという乱暴な望みを持った。もし僕がもう一度―どんなに素早く、荒々しく、それでいて満足の行かないままであれ、彼女を自分のものにすれば、僕は再び安らかになるだろう。僕は僕という装置から彼女を洗い流したら、その後、僕は彼女の下を去ろう、彼女無しの僕を。

 十八カ月の沈黙の後、その番号にダイアルを回すのは、奇妙だった。マコーレイ7753、それに僕は、その最後のアラビア数字がうる覚えだったので、僕のアドゥレス帳でそれを調べなければならなかったのは、更に奇妙だった。鳴り響く音に耳を傾けながら、僕は座った。そしてヘンリが役所からその内戻って来ないだろうか、もし彼が出たら何と言えばいいだろう、とあれこれ思い巡らした。その時僕は、真実と共にあれば、もうこれ以上の過ちは何一つないと悟った。嘘は、僕を見捨て、それがまるで僕の唯一の友ででもあるかのようで、僕は寂しく思った。

37

2022年1月22日土曜日

The End of the Affair/Graham Greene 成田悦子訳

  「僕は戻らなくちゃあ。」彼は言った。「僕は彼女にその全てを任せてはいけない、ベンドゥリクス。」そして彼は僕たちが一年で互いを知り尽くしたかのように、僕の腕に彼の手を置いた。彼は彼女からその手真似を習ったのか?結婚した人々は、互いに似て来る。僕たちは一緒に歩いて帰り、僕たちがホールのドアを開けた時、僕は、キスからか、離れようとする二つの人間が、小部屋から鏡の中に写ったのを見た。―一人はサラーだった。僕はヘンリを見た。

 彼は見なかったのか、それとも気にしなかったかのどちらか―それとも他に、僕は考えた。何とも不幸せな男であるに違いない。

 サヴィッジ氏はそのシーンを妥当と考えただろうか?僕は後で知ったのだが。彼女にキスをしていたのは、恋人ではなく、それは妻が一週間前、有能な水兵と駆け落ちした年金省のヘンリの同僚の一人だった。彼女は、その日初めて彼に会った。僕はそれほど断固として余地を与えられなかった。彼が未だにそのシーンの一部を占めてしまうのは、好ましくないように思える。

 僕はあの過ぎた時を、そのままにして置きたかった。僕が1939を書く時、僕は僕の像の全てが甦ろうとするのを感じる。憎悪は愛情と同じ腺を操作するように思う。それは同じ行動を生み出しもする。もし僕たちが、如何に受難の物語を演出すべきか教えられなかったら、クライストゥを愛したそれが、嫉妬深いデュウダス(ユダ)か、或いは小心なピーター(ペテロ)だったかどうか、単に彼らの行動から言えただろうか?

36

2022年1月21日金曜日

The End of the Affair/Graham Greene 成田悦子訳

 陽は共有地を横切って、丁度沈むところで、草地がそれと共に薄暗くなっていた。遠くの家並みは、ヴィクトーリア風に焼き付けられて、小さい、正確に線で描かれた、ひっそりとした家々があり、只、子供が一人、ずうっと遠くで泣いていた。十八-世紀の教会は、草の島の玩具のように立ちーその玩具は、暗闇でも、乾いた崩れ難い天気でも、外に置き去りにされても良かった。それは、貴方が見知らぬ人に信頼を寄せる時間だった。

 ヘンリは言った。「僕たちは皆、何て幸せでいられるのか。」

 「そう。」

 僕は、彼の目に涙を溜めて、彼自身のパーティから離れた共有地のそこに立つ彼を、非常に好ましく思えた。

僕は言った。「貴方は愛すべき家を手に入れた。」

 「僕の妻がそれを探した。」

 「僕は彼にたった一週間前に会ったばかりだった―他のパーティで、その当時彼は、年金省にいて、僕は僕の題材の為に彼を引き留めて長話をした。二日後、案内状が届いた。僕はサラーがそれを彼に送らせた、と後で教えられた。「結婚して長いの?」僕は彼に尋ねた。

 「十年。」

 「貴方の細君は、魅力的だと僕は思う。」

 「彼女は僕には大いに助けになる人だ。」と彼は言った。

 気の毒なヘンリ。それにしても一体何故、僕は気の毒なヘンリと言ってしまうのだろう?彼は最後に勝ち札―優しさ、謙虚、そして信頼のカードゥ、を持っていなかったのか?

35

2022年1月20日木曜日

The End of the Summer/Graham Greene 成田悦子訳

僕はサラーに気付き、彼女は上手くやっていたからか、ああした年々、幸せの感覚は近付きつつある嵐の下、長い間瀕死の状態にあった、と僕は思う。誰もが酔い潰れた人々に、子供達に、滅多に他の場所にはないそれに気付いた。僕は、彼女が僕の本を読んだことがあり、その物をそのままそこに置いてあると言ったから、一辺に彼女を好きになった。―作家としてより、寧ろ人間として直ぐに遇された僕自身がいた。何であれ、僕は彼女との恋に落ちようなど見当もつかなかった。彼女は美しかった、美しい女たち、殊(こと)に彼女たちがその上聡明であれば、一つのことに向かって、僕の中の或る深いねじけた感情をかき混ぜる。心理学者が コフェテュア・コムプレクスと名付けたかどうか僕には分からないが、僕は何時も、或る心的又は肉体的優越の感覚無しに、性的欲情を自覚し難いと察していた。彼女について僕が注目したのは、彼女の美と彼女の幸福、それに彼女は彼等を愛しているかのように彼女の手で、人々に触れるという彼女の癖だった。僕は彼女が僕に言った唯一つのことだけ、想い出せる。

「貴方は大勢の人を毛嫌いしているようにしか見えないわ。」おそらく僕が、僕の作家仲間について、手厳しく話して来たからだ。僕は覚えていない。

 それは、何というひと夏だったのか。やってみようとも正確に呼び名を示すつもりもない。ー僕は、凄まじい程の痛みに、どうしてもそこへ引き返さなければならなかったが、その暑苦しく、混み入った部屋を抜けたこと、不味いシェリーを随分飲んだ後、ヘンリと一緒に共有地をどんどん歩いたことを、僕は覚えている。

34

2022年1月19日水曜日

The End of the Affair/Graham Greene 成田悦子訳

 Ⅲ

「それで、何かもっとあれば、貴方は関連していることを僕に話せますか?」サヴィッジ氏が言ったのを僕は覚えているー探偵は、当を得た糸口を選び出す前に、自らのちょっとした題材を集めようとする小説家と同じくらい、それが重要であると分かっていなければなりません。しかしその見分けることが、如何に困難かー現実の主題の公開が。外側の世界の凄まじい重圧は、ように僕たちを圧倒する。今やっと僕は、僕自身の物語を書くに至り、その問題は、尚も同じではあるが、もっと悪いことにー随分多くの更なる実状がそこにあり、今直ぐ僕はそれらのことを、別に創り上げなくていい。耐え難いシーンから、人間の特性を如何に掘り出せるか―日刊新聞、毎日の食事、バターシーに向かう車の軋り、パンを探してテムズ川を上ろうとするカモメ、やがて1939の初夏、子供たちがそれぞれのボウトゥを走らせる公園の上空にきらきら光っているーそうした輝きの一つが、戦前の夏を咎めていた?僕は、喩え僕が十分長く考え尽くしたとしても、僕は、ヘンリが催したパーティで、彼女の後(のち)の恋人を見つけられたかどうか疑わしい。僕たちは初めて互いを見た。スペイン戦争の所為で、不味い南アフリカ産シェリーを飲みながら。

33

2022年1月18日火曜日

The End of the Affair/Graham Greene 成田悦子訳

それは、貴方がそのことを考えあぐねて訪れる時、実に立派な商売、潔白の看破では通らない。何故なら、愛人は殆ど決まって、潔白ではないでしょ?彼らはどんな罪も犯したことがなく、彼ら自身の心の中で、彼らは、「自身以外のどんな人も傷付かなければ」、悪いことは全くしなかったということだと、彼ら自身の心の中で確信している。古くなった下げ札が、彼らの唇の上に、予め用意されている。だから彼らは信じ、そしてだからこそ、僕が愛した日々、僕は当たり前のように信じた。

 そして僕たちが料金の段に至った時、サヴィッジ氏は驚くほど節度があり、一日に三ギニー、それに経費、「勿論、どちらも満足されるに違いない。」彼はそうしたことを「変なカフィー」と僕に説明した。貴方は御存知ですか、時々僕たちの部下は、立ち飲みせざるを得ません。」僕は承認しないフイスキについて、間の抜けた冗句を作ったが、サヴィッジ氏は、しゃれに気付かなかった。「僕は或るケイスを知りました。」彼は僕に話した。「一か月の調査が、適切な時に、ダブル一杯で節約された時、―僕の依頼人が今までに支払ったのは、最も安いフイスキ。」何人かの彼の依頼人は、日毎の報告を受取りたがった、と彼は説明したが、僕は彼に、僕は週毎のもので満足します、と話した。

 情事そのものは、ひどく急ぎ足で跡形も失せ、彼は僕がヴィゴウ・ストゥリートゥに出かけるその時までに、僕をほぼ納得させてしまった。これは遅かれ早かれ男という男に降りかかる面談という縛りだったと。

32

2022年1月17日月曜日

The End of the Affair/Graham Greene 成田悦子訳

 僕には透明な一本-線のフールスカプに書くことにへの愛着があり、頁の上の滲み、紅茶の痕は、それを使用不能にするし、僕は嫌な訪問者の場合、僕の文書を仕舞い込んで置かなければならないという根拠のない思いが、僕を捕える。僕は言った。「喩え彼が僕に警告を発したとしても、それはもっと安心していてもいいんでしょう・・・」

 「確かに、しかし必ずしもそれは通用しません。貴方の住所、ベンドゥリクスさん、それに電話番号は?」

 「それは個人回線ではありません。僕の女家主が内線を持っています。」

 「僕の部下全員、卓越した思慮分別を使いこなします。貴方は毎週報告書が欲しいですか、それとも、単に最終調査を受け入れる方がいいですか?」

 「週毎に。それは完成しないかも知れません。多分何も探り出すことはありませんから。」

 「貴方は貴方の医者に行って、何も悪いところは見つからなかった?貴方もご存知でしょう、ベンドゥリクスさん、男は僕たちのサーヴィスの必要性を感じるという実情が、殆ど例外なく、報告すべき何かがそこにはあるということを意味します。」

 取引するためにサヴィッジ氏がいたのは、僕は幸運だったと思う。彼は、普通にいる彼の職業の男達より不愉快ではないということで勧められたが、僕は彼の自信は嫌がられると察する。

31

2022年1月16日日曜日

The End of the Affair/Graham Greene 成田悦子訳

 「はい。」

 「彼女の年は?」

 「僕は知らないなあ。3-8?」

 「貴方は彼女がどのような味方を持っていても分からないんですね?」

 「はい、それに僕は彼女の祖母の名も知りません。」

 サヴィッジ氏は僕に忍耐強い笑顔を向けた。僕は一瞬、彼は彼の机を離れようとして、又僕を宥めていると思った。「僕にはよく分かります、ベンドゥリクスさん、貴方は調査の経験がなかったんですね。メイドゥというものは、非常に適切なのです。彼女は彼女の雇い主の癖まで、僕たちに実に多くのことを話してしまいます。―もし彼女が快く引き受ければ。最も簡単な調査でさえ、どれだけ多くのことが的を射ているか、貴方は驚くでしょう。彼は確かにあの朝、彼の核心を立証した。彼は彼の小さい走り書きの手書きで、頁を覆った。一度彼は僕に尋ねるために、彼の質問を打ち切り、「貴方の家に近付こうとする僕の部下に、もしそのことが緊急に必要でも、貴方は異議を唱えますか?」僕は気にしない、と彼に話したが、直ぐに僕自身の部屋に、何等かの悪影響を認めようとしているような気がした。「それが避けられるなら・・・」

 「勿論。勿論。僕は理解しています。」そして僕は心から信じ、彼は理解に努めた。彼の部下の存在は、家具を覆った埃のようでもあり、煤のように僕の書籍にシミを付けるだろうが、彼は驚異も怒りもまるで感じなかっただろう。

30

2022年1月15日土曜日

The End of the Affair/Graham Greene 成田悦子訳

 サヴィッジ氏は、僕を苛々した子供扱いして、僕の袖に彼の手を置いた。「嫉妬を恥ずかしがることはない、ベンドゥリクスさん。僕は何時も本当の愛情の印として、それを迎え入れます。さて、僕たちが話し合おうとしているこの女性、彼女が今も―他の人と親密であると考えるに足りる理由を持っていますか?」

 「彼女の夫は彼女が彼を欺いている、と考えています。彼女は私的逢瀬を重ねています。彼女は何処に彼女がいたのか、嘘を吐きます。彼女は持っていますー秘密を。」

 「ああ、秘密、そうですか。」

 「その中身は何でもないことかも知れません、勿論。」

 「僕の長い経験では、ベンドゥリクスさん、そこには殆ど変わることなくあります。」彼は論述をどんどん前に進めるために、目下のところ、僕を十分安心させたかのように、サヴィッジ氏は彼の机に戻り、書く準備をした。名前。住所。夫の職業。彼の鉛筆を持ち、ノウトゥに向かって構え、サヴィッジ氏は尋ねた。「マイルズ氏はこの面談を知っていますか?」

 「いいえ。」

 「僕達の部下が、マイルズ氏の配下にあってはいけませんか?」

 「確かに不味い。」

 「それでは複雑になってしまいます。」

 「貴方の報告書を、後で彼に見せても構いません。僕には分からない。」

 「貴方は家族について何らかの実情を、僕に提供出来ますか?メイドゥはいますか?」

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2022年1月14日金曜日

The End of the Affair/Graham Greene 成田悦子訳

「貴方の時間を役立てて下さい。」

 僕は彼の他の患者連中のように、混乱を来していた。

 「続けるべきことは、実際何一つありません。」僕は説明した。

 「ああ、そこが僕の仕事ですね。」サヴィッジ氏は言い、「貴方は心的状態、周囲の状況を、只、僕に伝えて下さい。僕たちは、ベンドゥリクス婦人を審議しているように、僕は思いましたが?」

 「正確じゃない。」

 「しかし彼女はその名前で通している?」

 「これでは全く食い違って行く一方です。いいえ、彼女は僕の友人の妻です。」

 「じゃあ、その人が貴方を寄こしたんですか?」

 「いいえ。」

 「もしかして貴方とその女性は―親密なんですね?」

 「いえ。僕は1944年からたった一度、彼女に会っただけです。」

 「心配なのですが、僕は全く分かっていないんじゃあないでしょうか?これは要監視のケイスです、と貴方は仰った。」

 その時まで、彼がひどく怒りを覚えているということを、僕は察知していなかった。「誰でも、愛すことも憎むことも出来ない。」僕は彼に急にばらした。「それほど長く?少しでも、勘違いをしないで下さい。僕はまさに貴方の嫉妬深い依頼人と同様で、僕は安心にちょっとでも背くことは主張しないのですが、僕のケイスの中に、時の‐ズレがありました。」

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2022年1月13日木曜日

The End of the Affair/Graham Greene 成田悦子訳

 僕は始めた。「僕には分からないのですが、貴方の手数料は、どんな監視代ですか?」サヴィッジ氏は縞模様のネクタイをゆっくり撫でた。彼は言った。「今はそのことは心配しないで、ベンドゥリクス。この下準備の相談に、三ギニー請求します。しかしもし貴方がこれ以上続行することを望まなければ、僕は、経費を全く戴(いただ)きません。全く要りません。最高の宣伝を、貴方はご存知でしょうが。」ー彼は温度計のように、中に決まり文句を滑り込ませー「満足した依頼人です。」

 普通の状況では、 僕たちは皆、殆ど似たような行動をとり、同じ言葉を遣うと僕は思う。僕は言った。「これは非常に単純な事例です。」すると僕は、サヴィッジ氏は僕が話し始める前に、実はその事を全部承知しているのではないかと、八つ当たりで警戒した。僕が言わなければならないことは、サヴィッジ氏を不可解であるとする材料は何一つなく、彼が暴けたこともなく、その年、既に何十回も明るみに出されたことは何もなかった。医師でさえ、時に患者にかき乱されるが、サヴィッジ氏はあらゆる症状を熟知しながら、唯一つの病気に従事する専門医だった。

 彼は身の毛がよだつほど優しく言った。

27

2022年1月12日水曜日

The End of the Affair/Graham Greene 成田悦子訳

 そこにはハーパーズ・バザーやライフや一揃いのフランス・ファッション雑誌があり、中を僕に見せた男は、ちょっと気を使い過ぎだったものの、身なりは良かった。彼は火に面した椅子に僕を誘引し、かなり注意深くドアを閉めた。僕は患者のような気がして、僕は嫉妬向けの名だたるショック療法を試すに足りる病人、すっかり患者を決め込んだ。

 サヴィッジ氏について、僕が気付いた最初の事は、彼のネクタイで、それは或るOB会を表し、次に、粉末の微(かす)かな赤らみの下、彼の顔の何と奇麗に剃られていたことか、そしてその次は彼の額、鼠色がかった髪は後退し、ぴかぴかと光った。職務について回る理解、同情、気遣いの合図の-輝き。彼が手を握る時、彼は微妙な捻(ひね)りを僕の指に加えたな、と僕は気付いた。彼はフリーメイスンに違いなく、もし僕が抑圧を跳ね返せたら、僕は多分、異例の請求額を是認しただろう。

 「ベンドゥリクスさん?」彼は言った。「座って下さい。それは、最高に心地良い椅子だと僕は思います。」彼は僕のためにクシャンを叩き、僕がその中に我が身を上手く沈めるまで、僕の側に気遣って立っていた。それから彼は、まるで僕の脈拍に耳を傾けようとするかのように、僕の側に真っ直ぐな椅子を引き寄せた。「さあ貴方自身の言葉で、何もかも僕に話して下さい。」と彼は言った。僕は僕自身の所有するもの以外に、僕が使えていた何か他の言葉を想像出来ない。僕は当惑し、苦々しく思い、僕は同情を求めてにここに来たのではなく、何らかの実質的助力の代償を支払うためその余裕があったら。

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2022年1月11日火曜日

The End of the Affair/Graham Greene 成田悦子訳

 僕は簡単に出そうもない、一冊の本を書こうとしていた。僕は僕の日常的五百語を駆使しても、その役儀は、どうしても生気が漲(みなぎ)らない。書くことの多くは、人の日々の皮相に依存する。人は買い物、所得税申告、思いがけない会話に心を奪われるかも知れないが、無意識の流れは、先行きを計算に入れながら、静かに澱みなく続く。人は不毛の下に蹲(うずくま)り、机上にて意気込みは消え失せる。が突然、言葉は空気からのように出て来て、絶望的行き詰まりに閉塞されたかに見えた情況が、前方へ揺るぐ。仕事は自分が眠り、買い物をし、友人と話していても、完成した。何れにせよこの憎悪と疑念、破壊に向かうこの激情は、その本より深く埋もれて行った。ー代わりに無意識が、それに作用した。或る朝、僕が目覚めて気付くまで、まるでそれを夜通し企みでもしたかのように、この日、僕はサヴィッジ氏を訪ねることにした。

 何という風変りな所蔵品が、信頼された職業にあるのか。人は自分の弁護士を、自分の医師を、自分の聖職者を信用する、僕は提案する、もし、自分がカソリックなら、そのリストゥに自分の私設刑事を加えた。ヘンリの他の依頼人にじろじろ見られるという思いは、全く間違っていた。その事務所は、二つの待合室を持っていて、その片方に、一人で通された。それは、ヴィゴウ・ストゥリートゥで貴方が期待するものと、微妙にかけ離れていたーそこには一弁護士の所有する出張所の何となくだらけた雰囲気があった。むしろ歯医者に似ている待合室には、流行りの読み物の選りすぐりも備えてあった。

25

2022年1月10日月曜日

The End of the Affair/Graham Greene 成田悦子訳

 Ⅱ

何日経ったのか、僕には言いようもない。以前の不安が甦り、あの陰鬱な精神状態で、自分では、その日々を目が見えない人が明るさの変化に気付けない以上に、もう語れない。僕の行動の針路を僕が決めたのは、七日目か二十一日目だったか?僕には今も、三年経った後、共有地の縁(へり)伝いに、池の辺(ほとり)か、十八‐世紀の教会のポウチカウの下の離れた所から、ドアが開き、サラーがその爆破されず、よく‐磨かれた階段を降りて来るという万が一の可能性に賭けて、彼らの家を観察している不審者の曖昧な記憶がある。正しい時刻は、一切打たなかった。雨の日々が終わると、夜は霜が降りて晴れはしたが、壊れた‎フエザー‐ハウスには、男も女もどちらも現れることはなく、僕は二度と、暗くなってから、共有地を横切るヘンリを見たことはない。おそらく彼は、僕に話してしまったことを気に病んだ。彼は非常に在り来りの男だったから。僕は冷笑しつつ、付属物を書き、それに未だ、もし僕が自らを試すとすれば、僕は只、誰もがそれらの藁葺きや石の中、随分平和そうに見えて、休憩を思い起こさせる車が通る大通りから見る村々のような、在り来り向け賞賛と信任だけを探す。

 僕はあの曖昧な日々か週ごとだったか、サラーの夢を随分見たのを覚えている。時々僕は痛みの感覚で、時には満足して起きようとする。もし一人の女が、一日中誰かの思いの中にいるにしても、夜、彼女の夢をどうしても見てしまうとは限らない。

24

2022年1月9日日曜日

The End of the Affair/Graham Greene 成田悦子訳

 彼女は何時も、僕を「貴方」と呼んでいた。「そちらは貴方?」と電話で、「貴方に出来る?」「貴方はそのつもり?」「貴方はするの?」僕が想像しさえすれば、馬鹿みたいに、一時(いっとき)に、ほんの僅かの間、世界に唯一の人「貴方」がいて、それは僕だった。

 「君に会えて嬉しい。」僕は言ったーこれは皮肉からなる一場面だった。「歩いて出かけたの?」

 「はい。」

 「酷い夜だね。」僕は咎めるように言った。

するとヘンリが、明らかに心配して付け足した。「お前はずぶ濡れだ、サラー。お前は、その内、冷えてお前の疫病神を掴むよ。」その通俗的知識による決まり文句は、時々、凶運の通告書のように、会話を通して降りかかる。しかし、喩え僕たちが、彼は真実を口にすると分かっていても、僕は、僕たちのどちらかが、彼女のために多少なりとも心からの不安を感じたところで、僕たちの神経、疑念、憎悪に穴を開けるかどうか疑わしい。

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2022年1月8日土曜日

The End of the Affair/Graham Greene 成田悦子訳

 僕は何時も、彼女の出現に対するその機械的反応によって、いらいらさせられて来た。それは全く無意味だからー誰しも判で押したように、婦人の出現を歓迎出来ない。喩え人が恋愛中でも。それで僕はというと、彼女らが一度も恋の渦中にあったことはない、と彼女が僕に打ち明けた時も、サラーを信じた。そこには、更なる心からの歓待があり、憎悪や不信という僕の僅かな間隙を縫うように、僕は信じた。少なくとも僕に対しては、彼女は彼女持ち前の正義の範疇にある人でー注意深く操られるべき一片の磁器にも似た家族の片割れではない。

 「サルーアー。」彼は呼んだ。「サル―アー。」音節に間(ま)を開けながら、耐え難い不実を伴って。

 彼女がホールの階段の最下部で立ち止まり、僕たちの方を振り向いた時、どうして彼女を見る他人を装えよう?僕は嘗て、彼らの行動による以外、僕の偽りの役儀さえ詳細を記述出来た例(ためし)がない。それは何時も、小説の中で、読者は、どんな惰性で彼が選ぶ役儀であろうと、想像することを許されるべきである、と僕には思えた。僕は彼に出来合いの図解を与えたくない。もう僕は、僕自らの技巧によって暴かれる。僕はサラーに代わる他のどんな女も求めてはいないし、僕は読者に、一体となった開けた額(ひたい)、そしてくっきりとした口、頭蓋骨の形態を見て欲しいが、僕が表せることは、「はい、ヘンリ?」次に「貴方?」と言いながら、濡れたレインコウトゥのまま振り向く漠然とした姿である。

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2022年1月7日金曜日

The End of the Affair/Graham Greene  成田悦子訳

  彼はそれを見た。まるでそれが他の誰かのものであるかのように。

 「それにしてもこれは突拍子もない。」彼は言った。「僕は何をあれこれ考えていたのか、解せない。貴方に話したのが最初で、それから貴方に聞いたのがーこの事。人は友だちを介して、人の妻を探ってはいけない。そこでその友だちは、彼女の愛人だと偽る。」]

 「オゥ、済んでないよ。」僕は言った。「しかしどれを取っても、姦通でも、窃盗でも、敵の火刑からの逃走でもない。未完の事は、何れ為される、ヘンリ。それが今風(いまふう)ってもんだよ。僕は自分でそれらの殆どをやってのけた。」

 彼は言った。「お前はいいやつだよ、ベンドゥリクス。僕が必要としたのは、それ相応の話だったー僕の頭をすっきりさせるために。」そして今度は、彼は本当に、ガスの炎に向けてその手紙を持ったままでいた。最後の小片を灰皿に置いた時、私は言った。「名前はサヴィッジ、住所は1ヴィゴ・ストゥリートゥ159か169のどちらか。」

 「それを忘れるんだよ。」ヘンリは言った。「僕が貴方に何を話したか、忘れて。思慮が足りないんだもの。最近、頭痛が酷くなる一方だった。僕は医者に診てもらうつもりだ。」

 「あれはドアだった。」と僕は言った。「サラーが入って来た。」

 「オウ。」彼は言い、「あれはメイドゥだよ。彼女は映画に出かけた。」

 「いや、あれはサラーの歩調そのものだ。」

 彼はドアに向かい、それを開けると、無意識に彼の顔は、上品さと愛情の不合理な塹壕に落ちた。

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2022年1月6日木曜日

The End of the Affair/Graham Greene 成田悦子訳

おかしい、僕は思った、お前はヘンリを凡そ想像力に富んだ男、と決めて掛かってたんじゃないのと。僕の優越はぐらつかされ、焦らそうとするお馴染みの欲求が、僕の中で目を覚ましたのを感じた。僕は言った。「何故僕を行かせないの、ヘンリ?」

 「貴方を?」僕は、もし僕があまり遠くへ行ったら、喩えヘンリだって、疑い始めるかも知れない、と一瞬疑わしく思った。

 「そう。」僕は危険を冒して言った。もしヘンリが過去を少しでも学んだら、今、それが、何故重要なのか?それは彼にとって、よりいいだろうし、おそらく、彼の妻をもっと上手にカントゥロウルするよう彼に教える。「僕には嫉妬深い愛人を装うことなど、何でもない。」僕は続けた。「嫉妬深い愛人たちは、嫉妬深い夫たちより、敬意に値し、嘲笑に値しない。彼らは文学の重しということで、支持されている。愛人を裏切れば、悲劇になり、喜劇になることはない。トゥロイラスを考えてみるといい。僕がサヴィッジ氏と面談した時、僕は、僕の自尊心は失くさないだろう。へンリの袖が渇き切ったのに、彼は未だ火の方へ、それを向けたままだったので、今や、布が焦げ始めていた。彼は言った。「貴方は本当に、僕のためにそんなことをしてくれるの、ベンドゥリクス?」すると彼の目に涙が滲んだ。彼はこの友情の絶大な印に、期待することも、値することも全くなかったかのように。

  「勿論、ぼくはするよ。貴方の袖が焦げている、ヘンリ。」

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2022年1月5日水曜日

The End of the Affair/Graham Greene  成田悦子訳

 彼は憤慨して言った。「それに僕は何時も、貴方は彼女の友人だと思っていた。」まるで手紙を書いたのは、僕だったかのように。

 「勿論。」僕は言った。「貴方は、僕がこれまで要したよりずっとたくさん、彼女を知っている。」

 「いろんな手段で。」彼は憂鬱そうに言い、それで僕は、僕が彼女を最高に知った、その真の手段を考えていたのだと分かった。

 「貴方は僕に尋ねた、ヘンリ、もし貴方が愚か者だと僕が思っていたらと。僕はただ、その思いの中に、馬鹿にしたものは何一つない。僕はサラーにも、何も言ったことはない。」

 「僕には分かっている、ベンドゥリクス。ごめん、僕は近頃、十分眠っていない。僕は夜中に目覚めた。この不快な手紙をどうすべきか、全く見当がつかなくて。」

 「それを燃やせばいいじゃないか。」

 「僕に出来たらなあ。」彼は未だ彼の手に、それを持っていたので、一瞬、僕は彼がそれを燃やすつもりだ、と真底思った。

 「それとも、行ってサヴィッジに会えば。」僕は言った。

 「だけど、僕は彼に、彼女の夫ではないような振りが出来ない。全く考えてもみてくれ、ベンドゥリクス、他愛もない嫉妬に駆られたどの夫も、同じ戯言を口にしながら座った一つの椅子に収まって、机の前のそこに座っているしかないことを・・・そこには待合室があって、だから僕たちが通る度に、僕たちには互いの顔が見えるって、貴方に想像出来る?

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2022年1月4日火曜日

The End of the Affair/Graham Greene  成田悦子訳

  僕は言った。「それは人が笑っていいようなことではない。喩え思うことは、取り留がなくても・・・」

 彼は待ち望んでいたかのように、僕に尋ねた。  「そりゃあ、取り留めはない。貴方は僕が馬鹿だと思いもするでしょ・・・?」

 ちょっと前なら、僕は進んで笑いもしただろう。そう今でさえ、僕が只々嘘を吐くしかない時、以前の様々な妬みが甦った。夫と妻は、人が妻を憎めば、人は夫も憎まずにはいられない、それ程までに切っても切れない骨肉なのか?彼の質問は、彼が騙すには、どんなに気楽だったかを、僕に気付かせた。余りにも安易だから、窃盗罪を共謀するホテルのベッドゥルームに、ばらの覚書を置き忘れる男を好む、彼の妻の不貞に、彼は僕を、凡そ密通者のように思い、僕は嘗て、僕の恋人に良くして来たその資格故に、彼を憎んだ。

 彼のジャキットゥの袖が、ガスの前で蒸気を上げているのに、彼は繰り返した。尚も僕から目を反らしながら、「勿論、貴方が僕を愚か者だと思たって、僕は気にせずに話す。」

 その時、悪魔が話した。「ああいや、僕は貴方が愚か者だとは思わない、ヘンリ。」

 「貴方は、そんなことは・・・出来る、と本当に思っているということ?」

 「勿論、そりゃあ出来ます、サラーは人間だ。」

18

2021年12月30日木曜日

The End of the Affair/Graham Greene 成田悦子訳

  「僕は分からない、ヘンリ。」

  僕はこの男宛に書き、僕の家族の知人が、私立刑事斡旋所についての僕の忠告を頼みにしている、としておいた。。そりゃあ、ぞっとするよ、ベンドゥリクス。彼は表向きの理由を通して見破らなければならなかった。  

  「貴方は実際そのつもりで・・・?」

  「僕はそのことでは、少しも動かなかった。」それでもその手紙は、僕に思い出させながら、僕の机の上の、そこでじっとしていた。それはひどく馬鹿げているから、それを読もうともしない彼女を、信用出来るとは思えないでしょ。彼女は一日に十二回もここに入るのに。僕は引き出しの中に、それを仕舞い込んだりしない。それでも未だ、僕は信用出来ない・・・彼女は今、散歩に出ている。徒歩、ベンドゥリクス。」雨は彼の防具にも浸透し、ガス灯の方へ彼の袖の縁を向けたままにした。

  「貴方は何時も、彼女の特別な友だちだった。ベンドゥリクス。誰もが決まって言う、誰もではないが、夫は、女性というものを知る、実に最後の人物であると・・・僕は今夜思った。共有地で貴方を見かけた時、もし僕が貴方に話して、貴方が僕を笑ったら、僕はその手紙を焼いてしまえるのにと。」

  彼はそこに彼の湿った腕を伸ばしたまま、僕から目を反らしながら座った。僕は笑いたくないとは、思いもしなかった。それどころか、出来るなら、笑いたかった。

17

2021年12月29日水曜日

The End of the Affair/Graham Greene 成田悦子訳

   彼は誰か彼を押したかのように、安楽椅子に座り、「ベンドゥリクス、僕は何時も、一人の男が成し得る最悪の事、まさしく最悪の事態を、想定して来た・・・」僕には予想外、何処までも限りなく打ち沈み、無知故の平静、あの当時、僕は確かに、張り枠の針の上に居て然るべきだった。

  「貴方が僕を信用出来るのは、分かっている、ヘンリ。」それは可能で、僕は彼女が手紙を取って置いたのでは、と思った。僕はそんなに書いて来なかったが。それは作家が陥るプロフェッショナルならではの危険である。婦人は彼女たちの恋人の重要性を、過大視しがちで、彼女たちは分別のない字句が、五シリングに値付けされた自著の目録に記された「関心がある」が明らかになる時、その期待外れの日を、決して予知しない。

  「じゃあ、これをちょっと見て。」ヘンリが言った。

  彼は僕に手紙を差し出しーそれは僕の手書きのものではなかった。「続けて。それを読んでみて。」ヘンリは言った。それはヘンリの或る友人からで、彼は書いた。「貴方が助けようとしているその男は、159ヴィゴウ・ストゥリートゥ、サヴィッジという奴に該当するのではないか、と私は提案します。私は彼を有能で思慮深いもの、と思っています。それと彼の使用人は、普通にいるその種の奴らよりましで、厭らしくはないよう見えました。」

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2021年12月28日火曜日

The End of the Affair/Graham Greene 成田悦子訳

 もしかしたらチャンスがあるかも知れないという理由だけでも、僕は開戦を歓迎したかった。たとえそれが僅かであろうと、彼の側のちょっとした戦術の誤りの所為で、僕は勝っていたかも知れない。それに、僕が非常に強く勝ちたいと願ってからも、それ以前も、僕が生まれてこの方、一度も好機に恵まれたことはなかった。優れた本を書こうという願望でさえ、そう頑なに持ってはいなかった。

  彼はその赤い縁の付いた目で、僕を見上げ、言った。「ベンドゥリクス、僕は心配している。」僕はもはや、彼を贔屓にすることが出来なくなった。彼は苦悩の卒業生の一人と化した。彼は同じ学校に合格していながら、初めて僕は、対等な者として彼について考えた。僕は彼の机の上の、オクスフォードゥを背景にした、そのはしりの褐色の写真の一枚に見覚えがある。彼の父親の写真、それを見ながら、ヘンリに多少なりとも似ているか(それはほぼ同じ年代、四十半ばに写された)、いや、少しも似てはいないと僕は思った。それを違わせているのは、口髭ではなくーそれは、自信、森羅万象に精通していること、周りの事を熟知していることから来るヴィクトーリア朝の見掛けだった。と、突然、僕はまたもや親密な仲間意識を覚えた。僕は彼の父親(大蔵省にいた)を好きになろうとして来たのに、もっと彼を好きになった。僕たちは、他人同士だった。

  「貴方は何が気懸かりなの、ヘンリ?」

15

2021年12月27日月曜日

The End of the Affair/Graham Greene 成田悦子訳

 ヘンリの書斎の中同様、これまで利用されたにしても、極めて稀だった、と僕は直ぐに感じた。ギボンのセットゥは、嘗て開かれたか、またスコットゥのセットゥは、只そこにあるだけかどうか、僕は疑った。なぜならそれはーおそらくーディスカス・スラウアのブロンズの模造品のように、彼の父親のものだったから。それにしても、彼の利用しない部屋の中では、彼は余計幸せそうだった。単にそこは彼のもの、彼の所有物という理由だけで。僕は辛辣さと羨望と共に思った。もし人が一つの物を確実に所有したら、人はそれをどうしようと自由だ。

  「フイスキ?」ヘンリが聞いた。僕は彼の目を思い出し、昔日やった以上に飲んでいるのだろうかと怪訝に思った。確かに彼が注ぎ出すフイスキは、気前のいいダブルだった。

  「何が貴方を悩ませているの、ヘンリ?」僕はその古参の文官に関する小説を、とっくに放棄してしまっていた。僕はもはや、コピイを探ろうともしなかった。

  「サラー。」彼は言った。

  二年前、と丁度そんな言い回しで、彼が言っていたら、僕はぎくっとしただろうか?いや、僕は大いに喜んだと思うー人は確かにどうしようもなく、騙すことが嫌になる。

14

2021年12月26日日曜日

The End of the Affair/Graham Greene 成田悦子訳

 ーここは彼の環境に相応しくない。彼の目の白いところが充血しているのに気付いた。おそらく彼は、彼の眼鏡をちゃんと掛けずにいたんだ。ーずうっと、随分大勢の他人がいたし、或いは、それは涙の名残りだったのかも知れないが。「ベンドゥリクス、僕はここでは話せない。」彼は前に何処かで話す習慣でもあったかのように言った。

  「サラーは帰るだろうか?」

  「僕はそうは思わない。」

  僕は飲み代を払った。するとそれが、いっそうヘンリの心配の徴候を露わにした。ー彼は安易に他の人々の持て成しを受け入れたことはない。彼は、僕たち他の者が探し回っている間もなく、彼の掌に準備したお金を握って、車上の人になるのが常だった。公有地の通りは、未だ雨の中を走ったが、そこはヘンリの家に遠くはなかった。彼は、アン女王時代の扇形欄間の下の掛け金を外す鍵を持って、中に入り、呼んだ。「サラー。サラー。」僕は返事を待ち焦がれながらも、返事を恐れはしたが、誰も答えなかった。彼は言った。「彼女は未だ外出中だ。書斎に入って。」

  僕は一度も、書斎に入ったことはなかった。僕は決まって、サラーの友人だったし、僕がヘンリに会っても、それはサラーの縄張りの上でのことだった。調和と無縁、終わりも計画性もなく、あらゆる物が、まさしく同じ週に属しているように見えた彼女の居間。何故なら、過去の感覚、或いは過去の多感の象徴として、引き続き残すことを許された物は何もなかったから。全ての物は、そこで費(つい)えた。

13

2021年12月25日土曜日

The End of the Affair/Graham Greene 成田悦子訳

   「ベンドゥリクス、僕は心配なんだ。」

 「僕に話すといい。」

  彼に話しをさせるのは、ラム酒だ、と僕は期待した。それとも、彼について僕が如何に多くを知っているか、彼はある程度気付いたのか?サラーは誠実だったが、僕たちの経て来たような関係では、貴方は一つの事か或いは二つを拾い上げるしかない…彼には彼の臍の残物に奇体がある、と僕は知った。何故なら、僕自身の母斑が、以前サラーにそのことを思い出させたから。彼が近視に悩んでいたと僕は知っていたが、見知らぬ人相手に、眼鏡を着けようとはしない。(それで僕は、未だに、彼らの中に彼を見かけた事がない、赤の他人のままだった。)僕は彼の十時のお茶の好みを知り、僕は彼の睡眠の習慣まで知った。僕が既に、随分多くを知っているということに、もう一つの事実が、僕たちの関係を変えはしないということに、彼は気付いているのか?「彼は言った。「僕はサラーを心配している、ベンドゥリクス。」

  バーのドアが開き、僕にはその明かりの中に浮かび上がる激しく降る雨が見えた。小さい浮かれた男が飛び入り、「やあ、皆さん。」やはり誰も答えなかった。

  「彼女は病気?貴方が言うと思って・・・」

  「いや、病気じゃない。僕はそうは思っていない。」

彼は居心地悪そうに、辺りを見回した。

12

2021年12月24日金曜日

The End of the Affair/Graham Greene 成田悦子訳

その壁は、常套句で落書きされていた。「お前を地獄に落とす、家主、それにお前のデカ胸妻。」「全ての女衒(ぜげん)と売春婦どもへ、浮かれた梅毒と幸せな淋病を。」僕は急いで、また、元気のよい紙の長い旗とグラスのカチンという音の方へと出た。時に僕は、慰めのために余りにも接近し過ぎて、他の男達の中に、僕自身が反映されているのを見る。するとその時、僕は聖者や天使を信じられたらという、非常に大きい願望を持つ。僕はヘンリに、僕が見て来た二つの台詞を繰り返した。僕は彼を憤慨させたかったのに、彼が只「嫉妬は、恐ろしい行いだ。」と言った時、僕を驚かせた。

  「貴方はデカ胸妻についての一説のつもりで、言っているの?」

  「その両方とも。貴方が惨めな時、貴方は他の人々の幸せを羨む。」僕は国務省で学ぶ事を、今まで彼に期待したことはなかった。そしてそこで―表現の中にー僕のペンの外に、またもや辛辣さが漏れる。何とうっとうしい、つまらない特性か、この辛辣さは。もし僕ができるとすると、僕は愛情を籠めて書こう。もし僕が愛情を籠めて書ければ、僕はもっと違った男になるだろう。僕は愛を捨てようとしたのではない。しかし、突然バー―テイブルの光沢のあるタイル張りの表面を横切る何かを、僕は感じた。愛情と肩を並べる程、過激なものは何一つない、おそらく不運の道連れ以上のものも、何一つない、僕はヘンリに言った。「貴方は惨めなの?」

11

2021年12月23日木曜日

The End of the Affair/Graham Greene 成田悦子訳

 「ヘンリは重要な会議の前に、彼の息をすっきりさせるために、何時もコフィ・ビーンを食べるの?」彼女は彼女の頭を振り、静かに泣き始め、僕は勿論、その理由を心得ない振りをした。ー単なる疑問、それが、僕の性格について、僕を悩ませて来た。これはヘンリへの攻撃ではなかったし、非常に洗練された人々は、時にコフイ・ビーンを食べる・・・だから僕は続けた。 彼女はしばらく泣くと、眠りに就いた。彼女はぐっすり眠る人だったのに、僕は加えた攻撃通りに、彼女の眠る権限まで奪った。

  ヘンリは彼のラムをあっという間に飲み、藤色とオリンジの長い旗の間をみすぼらしくうろうろするばかりの彼の凝視。僕は尋ねた。「いいクリスマスだった?」

  「とても素晴らしかった。とても素晴らしかった。彼は言った。

  「家で?」ヘンリは僕の言葉の抑揚が、妙に聞こえたのか、僕を見上げた。

  「家?そう、もちろん。」

  「それでサラーは満足したの?」

  「うん。」

  「ラムをもう一杯飲む?」

  「僕の番だ。」

  ヘンリが飲み物を取って来る間、僕はお手洗いに入った。

10

2021年12月22日水曜日

The End of the Affair/Graham Greene 成田悦子訳

 国防-僕は、貴方が貴方の片割れを憎み、どのような武器でも捜し求める時、その時その時の後に、それを笑うのが常である・・・僕の本の喜劇的要素、笑い草になった人物のためにコピー、またもやコピーの目的で、僕は只、ヘンリに組みして来ただけ、とサラーに熟慮の上で話した時、潮時はやって来た。彼女が僕の小説を嫌になり始めたのは、その時だった。彼女はヘンリ(僕はそれを否定することが出来なかった。)に非常に大きい忠誠心を抱き、あの雲で覆われた時間に、悪魔が僕の頭脳の咎を引き受けると、僕は無害なヘンリまで恨み、僕は小説を使って書くには生々し過ぎるエピサウドゥを捏造しようとする・・・サラーが、一度僕と共に一晩を過ごした時(書き手が彼の本の最後の言葉のために先んじて探し求めるように、僕はそのために先んじて探し求めた。)、僕は折々、一時(いっとき)に何時間も完全な愛のように思われたそのムードゥをぶち壊す出任せによって、突然その機会を台無しにしてしまった。二時近く、僕は拗(す)ねて眠りに落ち、三時に目覚め、彼女の腕の上に僕の手を置いて、サラーを起こした。僕はもう一度、万事見事に振舞おうとしていた、と僕は思う。僕の犠牲が、眠りと僕に対するあり余るほどの信頼で、ぼんやりして美しい彼女の顔つきを変えるまで。彼女は口論を忘れてしまい、僕は彼女の忘れっぽさの中にさえ、新たな動機を探った。我々人間が如何に捻じれているか、それでも尚、神が我々を創ったと彼らは言う。が、完璧な均衡化ほど単純で、空気ほど透明ではないどのような神をも、想像することは難しい、と僕は理解する。僕は彼女に言った。僕は五章について考えている内に、目が覚めてしまった。

9

2021年12月21日火曜日

The End of the Affair/Graham Greene 成田悦子訳

僕はヘンリと寸分違わず寝てはいなかったが、僕は次の極めて酷いことをした。僕が夕食にサラーを誘い出した最初の夜、僕は文官の妻の脳を突(つつ)いて、穴を開けんばかりの冷血な意志を持った。彼女は僕が何を狙っているか知らず、彼女は考え、僕は確信し、僕は彼女の家族の暮らし振りに心底興味を持ち、おそらくそれが、彼女の僕への好意を、最初に呼び覚ました。「ヘンリは何時に朝食をとるの?」僕は彼女に聞いた。彼は役所へ地下鉄、バス、それともタクシで行ったの?彼は夜、家に彼の仕事を持ち帰ったの?彼はそれに王室の紋章の付いた書類鞄を持っていた?僕たちの友情は、僕の関心に基づいて開花し、彼女はたいそう喜んだので、誰もがヘンリを真面目に扱うべきである。ヘンリは、しかし象が重要であるように、どちらかと言えば重要で、彼の局の大きさ故に、重要である。救いようもなく、不真面目を貶(けな)されっぱなしという重要のとんでもない類がある。ヘンリは年金省ー後に内務省になった、内の重要な事務官補だった。

8

2021年12月20日月曜日

The End of the Affair/Graham Greene 成田悦子訳

   「彼女は映画館にいるの?」僕は尋ねた。

 「ああ、いや、彼女は今までほとんど行ってないよ。」

 「彼女は何時も行ってたんじゃ。」

  ポンテフラクトゥ入江は、未だ紙の長い旗や紙のベルや市場の華やかさを偲ばせるもの、藤色やオリンジでクリスマスのために飾られ、若い女主人は彼女の客を軽く見て、彼女の胸をバーに凭せかけた。

  「素敵。」ヘンリが言った、そのつもりもなく。幾分当惑した様子、臆病で、彼の帽子を掛ける所を探して、辺りをじろじろ見た。彼が以前、パブリック・バーに行った中で最も近いのは、彼が省の彼の同僚と一緒に、昼食を食べたノーサムバーランドゥ・アヴェニューから離れた焼き肉リストゥラントゥだった。という印象を得た。

 「貴方は何を飲みますか?」

 「僕はフイスキでかまわないよ。」

 「僕も。だけど貴方はラムを付き合わなければいけませんよ。」

  僕たちはテイブルに座り、それぞれののグラスを弄んだ。僕はヘンリに言わなければならないことは、さほどなかった。もし僕が1939年に、主役として古参の文官を扱った小説を書き始めていなければ、ヘンリもサラーもよくよく知ろうとして、骨を折ろうとしたかどうか、僕は疑わしく思う。ヘンリ・ジェイムスは嘗て、ウオルタ・ベサントゥとの討論の中で、十分な才能を持った若い婦人は、近衛連隊の兵舎の食堂の窓をひたすら越える必要があり、近衛歩兵旅団に纏(まつ)わる小説を書くために、内部に目を向けるにしても、彼女の編の或る場面では、もし単に詳細に関して照合するつもりなら、彼女は近衛連隊と寝る必然性を探ろうとしただろうに、と僕は考える。

7

2021年12月19日日曜日

The End of the Affair/Graham Greene 成田悦子訳

「僕たちが貴方に出会ってから随分経つね、ベンドゥリクス。」何かしら分けがあって、僕はその異名によって知られた男である。-僕は、僕の文学上の親たちが僕に寄せた、僕の友人たちはかなり気取っていると思うモーリスを、万事有用であれ、名付けられない方がよかった。

 「久しぶりだ。」

 「どうしたことか、一年以上ーになるね。」

 「6月、1944年の」僕は言った。

 「それ以来かーそう、そう。」馬鹿者、僕は思った、一年と半年の間に、何一つ変だと思わないなんて馬鹿だ。僕たちの両「脇」を五百ヤードゥも、ぺしゃんこになった草は隔てていなかった。サラーに話したところで、何も彼に起こらなかったのだ。「ベンドゥリクスはどうしている?ベンドゥリクスを招待するのはどう?」彼女の返事は、嘗て彼には・・・風変り、逃げ口上で、怪しく思われなかったのか?僕は池の中の石同然、完全に彼らの視界から抜け落ちてしまっていた。さざ波は一週、一か月の間、サラーを悩ませたのかも知れない、と僕は思いはするが、ヘンリの目隠しは、しっかりと括りつけられていた。僕は僕がそれから利益を得た時でさえ。彼の目隠しを、仇(あだ)と思って来た。他も又利益を得られる、と知っていた。

6

2021年12月18日土曜日

The End of the Affair/Graham Greene 成田悦子訳

 「ベンドゥリクス」彼は愛情を籠めて言ったが、それでも世間は言っただろう。彼には憎悪の理由があり、僕にはないと。

  「貴方は何をしようとしてるの、ヘンリ、雨の中?」誰でも焦(じ)らしたくて抑えられない衝動にかられる男たちがいる:誰一人受け容れない男達、その美徳。彼は口籠りながら言った。「ううん、僕は少し外気に触れたくて。」思いがけない一陣の風と雨の最中(さなか)、北の方角へ輪を描いて持って行かれないように、彼はどうにかこうにか彼の帽子をしっかり押さえた。

  「サラーはどうしてる?」そうしなくてもそれは奇妙に思われたかも知れないから、僕は聞いた。彼女が病気、不幸せ、臨終以上に僕を喜ばせるものは何もなかったが。僕はあの当時、彼女が経たどんな苦悩も僕の持ち物を軽くし、仮に彼女が死んだら、僕は自由になれるだろうと思い遣った。僕はもう人が、僕の卑しい暮らし向き故に、想像してしまうどんなことも思うまい。僕は哀れで無邪気なヘンリを好ましくさえ感じられて、僕は思うに至った、もし彼女が死んだらと。

    彼は言った「ああ、彼女は夕時何処かへ出かけている。」すると又、僕の心の中のあの悪魔を仕事に差し向けた。ヘンリが他の質問者に、ちょうどそんな風に、返事をしなければならなかった以前が思われる。しかし僕だけは、サラーが何処にいるか知っていた。「一杯やろうか?」僕は尋ね、僕の不意打ちに彼は僕に近付き、自ら歩調を合わせた。僕たちは前に、彼の家の外で、一度も飲んだことはなかった。

5

2021年12月17日金曜日

The End of the Affair/Graham Greene 成田悦子訳

僕は雨を突いて散歩に出かけ、近所の居酒屋で一杯やろうと思った。少し混み合ったホールは、 見知らぬ人の帽子やコウトゥばかりで、僕は誰か他の人の傘を偶々(たまたま)手に取ったー二階の男が、仲間を招待していた。それから僕はステインドゥーグラス・ドアを後ろ手に閉め、1944年に爆破され、一度も修繕していない階段を注意深く降りた。僕にはその時を思い出す理由があり、どれほどステインドゥ・グラスが頑丈で不格好でヴィクトーリア朝風で、僕たちの祖父自ら為そうとしたように、衝撃に立ち向かった。

 僕は公有地を横切り始めるやいなや、違う傘を掴んだことを自覚した。それは漏れ穴を生じ、雨が僕の防水レインコウトゥの襟の下に流れ落ちた。程なくして僕はヘンリを見かけたのだ。僕はいとも容易く彼を避けられた。彼は傘を持たず、ラムプの灯かりで、僕には彼の目が雨で見えなくなっている、と見受けられた。黒い葉のない木々は、何の守りにもならなかった。それは壊れた送水管のように周りに立ち尽くし、雨は彼のこわばった黒っぽい帽子から滴り落ち、彼の黒い文官用オウヴァコウトゥを流れとなって伝わり落ちた。もし僕が彼を追い越して真っ直ぐ歩いて行けば、彼は僕に目をくれようともしなかっただろう、僕は歩道から二フィートゥ避(よ)けて通ることで、避け難くした。何れにせよ僕は声をかけた。「ヘンリ、貴方はおよそ見ず知らずの人だ。」僕たちが古い友達であるかのように、彼の目が輝くのを見た。

2021年12月16日木曜日

The End of the Affair/ Graham Greene 成田悦子訳

 何故彼に話しかけるべきだったか?一時(いっとき)でも憎悪が大きく広がらなければ、どのような人間への告発の中でも使えない。僕はヘンリーを憎んだ―僕は彼の妻サラーもまた憎んだ。そして彼は、僕は推察する、あの晩の出来事の後、間もなく、僕を憎むために現れた。彼は確かに折々に、彼の妻やその他の者を憎むしかなく、あの当時、誰かを信じるに足りず、僕たちは幸運だった。そう、これは愛についてというより断然、憎悪の記録である。よってもし僕がヘンリとサラーの好意に甘えて、何か言うために登場すれば、僕は期待に応えましょう。僕は偏見を向こうに回して書いている。何故なら、近い―真実、僕の近い―憎悪の表明でさえ、選ぶことは僕のプロフェッショナルな自負だから。

 こんな夜に外でヘンリに会うのは、思いがけなかった。彼は彼の慰めとなる人を好み、つまるところー或いは寧ろ、と僕は思った―彼はサラーを所有した。僕にとって慰めは、悪しき場所か時の、悪しき記憶に似ている。人は寂しければ、人は苦痛に寄り添う。僕が不道徳をして過ごしたベッドゥの中にも、居間ー南ー公有地の横、他の人々の調度の名残りの中に、あり余るほどの慰めがあった。

2021年12月14日火曜日

The End of the Affair/Graham Greene 成田悦子訳

                                             To C

男は未だj実在しない彼の心の中の場所を持ち、それらが実在を確保してもよいという指図に、それらの中に悩みながら入り込む。

                レオン・ブロイ


The End of the Affair

Graham Greene

成田悦子訳


BOOK ONE

一つの物語は、始まりは言うまでもなく、終わりさえ持たない。思いのまま人は、振り返り、同じく前方を見晴らし、経緯(いきさつ)のその瞬間を選ぶ。「人は、選ぶ」と、プロフェッショナルな作家の揺らぐ自負から、僕は言う。その人ー彼は何かにつけ、真正面から注目される中ーその専門的技量ゆえに称えられて来たが、僕自身の事実に照らし合わせて、公有地のあの真っ暗で湿った一月の夜、1946年、降る雨の広大な川を傾きながら渡ろうとするヘンリ・マイルズの様子を選ぶだろうか。それとも、こうした像が僕を選んだのか?僕の職業の慣例に従うと、まさにそこで始まると、好都合であるし、正しいが、もしあの時、僕が神を信じていたのなら、僕は僕の肘を引っ張る手、暗示、「彼に話しかけて。彼は、まだ貴方と会ってない。」を信じても、また良かった。

2021年12月4日土曜日

My Lost City34/Francis Scott Key Fitzgerald

もっといいお話にしたいので、今日から少しずつ手を加えます。2022/10/27~11/29


My Lost City

Francis Scott Key Fitzgerald

There was first the ferry boat moving softly from the Jersey shore at dawn―the moment crystallized into my first symbol of New York. Five years later when I was fifteen I went into the city from school to see Ina Claire in The Quaker Girl and Gertrude Bryan in Little Boy Blue. Confused by my hopeless and melancholy love for them both, I was unable to choose between them一so they blurred into one lovely entity, the girl. She was my second symbol of New York. The ferry boat stood for triumph, the girl for romance. In time I was to achieve some of both, but there was a third symbol that I have lost somewhere, and lost for ever.I found it on a dark April afternoon after five more years. 

'Oh, Bunny,' I yelled. 'Bunny!' 

そこには、初め、夜明けにジ+ージ海岸から、音もなく滑り出すフェリ・ボウトゥがあった。一 その瞬間は、僕のニュ一・ヨークの最初の象徴として結晶するのだ。五年後、僕が15になった時、ザ・クエィカ・ガールの中のアイナ・クレアやザ・リトゥル・ボゥイ・ブルーの中のガートゥルードゥ・ブライアンに会いたくて、僕は、学校から街中(まちなか)に通い詰めた。彼女達のどちらも追い求める、僕の為す術のない、切なく熱い思いに当惑し、僕は、彼女達の間(はざま)にあって、選ぶに選べなかった。一挙句の果て、彼女達は、その娘(むすめ)、一人の魅力的な存在の内に影を潜めた。彼女は、僕のニュ一・ヨークの二番目の象徴だった。フェリ・ボウトゥは成功の姿を、その娘(むすめ)は恋の姿をしていた。その内、僕は、両者の何れかを手に入れる筈だった。が、何処かで見失い、やがて永遠に失ってしまった三番目の象微が、そこに現れた。

更に五年後、暗い四月の午後、僕はそれを探し当てた。

「オウ、バニ。」僕は叫んだ。「バニ!」

He did not hear me―my taxi lost him, picked him up again half a block down the street. There were black spots of rain on the sidewalk and I saw him walking briskly through the crowd wearing a tan raincoat over his inevitable brown get-up; I noted with a shock that he was carrying a light cane.

彼は、僕に耳を貸さなかった―僕のタクシは、彼を見失い、通りを半ブロック下って、再び彼に同行した。そこで、歩道は雨の黒い斑点で覆われ、僕は、彼らしいお決まりの茶の服装の上に、黄褐色のレインコゥトゥを着て、人込みを颯爽と歩く彼を見た。彼は、ほっそりとしたスティクを持っていたので、僕は、衝撃と共に注目した。

“Bunny!” I called again, and stopped. I was still an undergraduate at Princeton while he had become a New Yorker. This was his afternoon walk, this hurry along with his stick through the gathering rain, and as I was not to meet him for an hour it seemed an intrusion to happen upon him engrossed in his private life. But the taxi kept pace with him and as I continued to watch I was impressed: he was no longer the shy little scholar of Holder Court―he walked with confidence, wrapped in his thoughts and looking straight ahead, and it was obvious that his new background was entirely sufficient to him. I knew that he had an apartment where he lived with three other men, released now from all undergraduate taboos, but there was something else that was nourishing him and I got my first impression of that new thing the Metropolitan spirit.

「バニ!」僕はもうー度呼び掛け、そして止めた。僕は、末だプリンストンの一学生だったが、彼は、ニューヨーカに相応しかった。これは、彼の午後の散歩だ。勢いを増す雨を突き、彼のスティクを持ったこの急ぎ足、それに、僕は、彼にー時間会う予定はなかったので、自らの私生活に専心する彼に偶然出食わした事は、侵害のように思われた。それでもタクシは、歩調を合わせ、僕は、見守り続けるに連れ、自ずと感心した。彼は、もはや、ホゥルダ・コートゥの内気な目立たない学生ではなかった。―彼は自信を漲らせて歩いた。自身の思索で身を包み、真直ぐ前を見据えながら、それに、彼の新しい背景は、彼にはすべからく満ち足りたものであるということ、それは明らかだった。彼が他の三人の男と暮らすアパートゥを、彼は持ち、今や、あらゆる大学生としての禁制から解放されているんだと、僕は悟った。 何れにせよ、そこには、彼を育んでいる他の何かがあり、僕は、その新しい事実、都会人の気風といった僕の第ー印象を得た。

Up to this time I had seen only the New York that offered itself for inspection - I was Dick Whittington up from the country gaping at the trained bears, or a youth of the Midi dazzled by the boulevards of Paris. I had come only to stare at the show, though the designers of the Woolworth Building and the Chariot Race Sign, the producers of musical comedies and problem plays, could ask for no more appreciative spectator, for I took the style and glitter of New York even above its own valuation. 

この時まで、僕は、見物のためにそのものを提供するニューヨークだけを見て来たー僕は訓練された熊をポカンと見ているお上りさんのディック・フィッティントンか、はたまたパリの大通りに目が眩んだミディの若者だった。僕は、ショウに見入るためにだけやって来た。尤(もっと)も、ウールワース・ビルディングのデザイナやチャリアトゥ・レイス・サイン、ミュージカル・コメディのプロデューサや問題劇は、この上なく目の肥えた観客を招けはしても、僕は、それ自体の評価の上に尚、ニュー・ヨークの様式や華麗さを求めたんだもの。

But I had never accepted any of the practical anonymous invitations to debutante balls that turned up in an undergraduate's mail, perhaps because I felt that no actuality could live up to my conception of New York's splendour. Moreover, she to whom I fatuously referred as 'my girl'was a Middle Westerner, a fact which kept the warm centre of the world out there, so I thought of New York as essentially cynical and heartless — save for one night when she made luminous the Ritz Roof on a brief passage through.

それにしても、僕は、学部学生の郵便物の中に、折り返した舞踏会デビューへのありきたりの匿名の招待状の一枚も、全く受け取ったことがないのは、おそらく、僕が、どんな現実も、ニュー・ヨークの光輝から成る僕の考えを実践できないと感じていたからだ。その上、僕が愚かにも「マイ・ガール」と呼ぶ彼女は、米国中西部出身者で、そこ以外、世界の最も居心地の悪い所にして置くという事実、だから僕は、本質的に冷笑的で薄情なのでー短時間の通過時、彼女がリッツの屋上を明るくした時、一夜のために貯蓄するニュー・ヨークを思った。

Lately, however, I had definitely lost her and I wanted a man's world, and this sight of Bunny made me see New York as just that. A week before, Monsignor Fay had taken me to the Lafayette where there was spread before us a brilliant flag of food, called an hors d'oeuvre, and with it we drank claret that was as brave as Bunny's confident cane -but after all it was a restaurant, and afterwards we would drive back over a bridge into the hinterland. 

最近、とかく、僕は明らかに彼女をなおざりにしがちで、それどころか僕は、男の世界を求め、バニに属するここの光景は、まさにそのまま、ニュー・ヨークを僕に見せた。一週間前、モンシニョール ・フェイは、食物の光り輝く旗、オルドゥーヴルと呼んだ、を僕たちの前に広げてみせるラファイアットゥに僕を連れて行き、僕たちは、それと一緒に、バニの自信に満ちたスティクと同様、恐れを知らぬクラレトゥを飲んだーが結局、それはいちレスタラントゥであり、その後(あと)僕たちは、後背地の中へと橋を越えて車で引き返すのだ。

The New York of undergraduate dissipation, of Bustanoby's, Shan-ley's, Jack's, had become a horror, and though I returned to it, alas, through many an alcoholic mist, I felt each time a betrayal of a persistent idealism. My participance was prurient rather than licentious and scarcely one pleasant memory of it remains from those days; as Ernest Hemingway once remarked, the sole purpose of the cabaret is for unattached men to find complaisant women. All the rest is a wasting of time in bad air.

学生遊興の、バスタノビの、シャン―リの、ジャックのニュー・ヨークは、恐怖の様相を呈し、そして僕は、そこに帰って行きはしたが、ああ、幾重ものアルコールの靄(もや)を押し分けて、僕は、その度毎に、固執する理想主義の背信が身に沁みた。僕の関係者は、放蕩なと言うより寧ろ好色で、それの愉快な記憶一つ、当時から殆ど残っていない。アーネストゥ・ヘミングウェイが、嘗て忠告したように、キャバレイの唯一の目的は、無所属の男たちに好意的な女を見つけることにある。全て休養というものは、酷い空気の中での時間潰しだ。

But。that night, in Bunny's apartment, life was mellow and safe, a finer distillation of all that I had come to love at Princeton. The gentle playing of an oboe mingled with city noises from the street outside, which penetrated into the room with difficulty through great barricades of books; only the crisp tearing open of invitations by one man was a discordant note. I had found a third symbol of New York and I began wondering about the rent of such apartments and casting about for the appropriate friends to share one with me.

しかしあの夜、バニのアパートゥメントゥで、生きることは、芳醇で恙(つつが)なく、僕がプリンストンで愛すに至った全ての見事なまでの蒸留だった。戸外の通りからの、街の喧騒と混じり合ったオゥボゥのゆるやかな演奏、それは、書籍の巨大なバリケィドゥを通過する困難を伴いながらも、部屋の中に浸透した。只、一人の男によるバリバリと引き千切る招待状の開封が耳障りな音だった。僕は、ニュー・ヨークの三つ目の象徴に気付き、そして、僕は、こんな賃貸アパートゥメントゥに疑問を持ち、僕と一部屋を共にするのにふさわしい友人を求めることに目を向けるようになった。

Fat chance - for the next two years I had as much control over my own destiny as a convict over the cut of his clothes. When I got back to New York in 1919 I was so entangled in life that a period of mellow monasticism in Washington Square was not to be dreamed of. The thing was to make enough money in the advertising business to rent a stuffy apartment for two in the Bronx. The girl concerned had never seen New York but she was wise enough to be rather reluctant. And in a haze of anxiety and unhappiness I passed the four most impressionable months of my life.

実のある巡り合わせー翌二年間、彼の衣服の切断に対する有罪判決と同じくらい、僕自身の運命の数知れぬ支配を許した。僕が、1919年、ニュー・ヨークに戻った時、僕は、生きるにはあまりにも混乱を来していたので、ワシントン広場の熟した修道主義のピァリアドゥは、夢想されることもなかった。問題は、ブリンクスで二人用の風通しの悪いアパートゥメントゥを借りるために広告店で十分なお金を作ることだった。当の恋人は、ニュー・ヨークを一度も訪ねなかったが、彼女は、賢明過ぎてかなり気が進まないようだった。そうして、不安と不幸の靄(もや)の中で、僕は、僕の生涯で、最も印象的な四カ月を過ごした。

New York had all the iridescence of the beginning of the world. The returning troops marched up Fifth Avenue and girls were instinctively drawn east and north towards them—we were at last admittedly the most powerful nation and there was gala in the air. As I hovered ghost-like in the Plaza Red Room of a Saturday afternoon, or went to lush and liquid garden parties in the East Sixties or tippled with Princetonians in the Biltmore Bar, I was haunted always by my other life—my drab room in the Bronx, my square foot of the subway, my fixation upon the day's letter from Alabama—would it come and what would it say?—my shabby suits, my poverty, and love. 

ニュー・ヨークは、何もかもこの世の始まりの玉虫色がかっていた。帰還軍隊は、五番アヴェニュー(南北の通り)を行進して北上し、女たちは、本能的に彼らの方へと東や北に引き寄せられたー僕たちはついに許されて、最も勢力の漲(みなぎ)る国家を成し、どこもかしこもお祭り騒ぎだった。僕は、亡霊ーの如く、土曜の午後のプラザのレドゥ・ルームの中をうろつくか、或いは、東60の酒と液体ガードゥン・パーティに向かうか、或いは、ビルトゥモア・バーのプリンストン関係者と一緒に飲むかだったのだが、僕は、何時も僕のもう一つの生活ーブロンクスの僕のつまらない部屋に取りつかれ、地下鉄の僕のくそ真面目な足取り、アラバマからのその日の手紙に向ける僕の凝視ーそれは届くのか、それは何を言おうとしているのか?ー僕のみすぼらしいスーツ、僕の窮乏、そして愛情。

While my friends were launching decently into life I had muscled my inadequate bark into midstream. The gilded youth circling around young Constance Bennett in the Club de Vingt, the classmates in the Yale-Princeton Club whooping up our first after-the-war reunion, the atmosphere of the millionaires' houses that I sometimes frequented—these things were empty for me, though I recognized them as impressive scenery and regretted that I was committed to other romance. 

僕の友人たちが、人並みに世間に出て行こうとしている間、僕は流れの真っ只中を、僕の場違いな遠吠えを押し分けて進んで来た。クラブ・ドゥ・ヴィントゥで若いコンスタンス・ベネットゥの周りを取り囲む上辺だけ立派な若者、僕たちの戦-後初めての再会に歓声を上げるイエィル‐プリンストン・クラブの級友たち、僕が、時に付き合う百万長者の家々の雰囲気、ーこうした事は、僕には虚しく、僕は、それらを印象的な景観として認め、僕がもう一つの物語に傾倒していることを悔いはしたが。

The most hilarious luncheon table or the most moony cabaret—it was all the same; from them I returned eagerly to my home on Claremont Avenue—home because there might be a letter waiting outside the door. One by one my great dreams of New York became tainted. The remembered charm of Bunny's apartment faded with the rest when I interviewed a blowsy landlady in Greenwich Village.She told me I could bring girls to the room, and the idea filled me with dismay—why should I want to bring girls to my room?—I had a girl. 

最も楽しい昼食のテイブル、或いは最も夢心地のキャバレイーそれは、皆同じだった。それらから、僕は、クレアモントゥ・アヴェニューの我が家に、熱心に戻ったー家、そこには、ドアの外で待つ一通の手紙があるかも知れなかったから。一つずつ僕のニュー・ヨークの大いなる夢又夢が、腐って行った。バニのアパートゥメントゥの懐かしい魅力が、グリーンウイチ・ヴィリジのだらしない女主人を訪問した時、休息と共に姿を消した。彼女は、部屋に女たちを連れて行けますよ、と僕に話し、その入れ知恵は、僕を呆れ返らせたーどうして僕が、僕の部屋に女を連れて行きたい?ー僕には女がいる。

I wandered through the town of 127th Street, resenting its vibrant life; or else I bought cheap theatre seats at Gray's drugstore and tried to lose myself for a few hours in my old passion for Broadway. I was a failure—mediocre at advertising work and unable to get started as a writer. Hating the city, I got roaring, weeping drunk on my last penny and went home…

僕は、127ストゥリートゥ(東西の通り)の街中(まちじゅう)をぶらついた。そのぞっとする人生を憤慨しながら、又他にも、僕は、グレイのドゥラグストーで安劇場の席を買い、僕のブロウドゥウエイへの昔の熱情に浸って、二、三時間我を忘れようとした。僕は、広告業では、落第ー二流だったし、一人前のライターとしてスタートの位置にも着けなかった。街に嫌気が差し、僕は、僕の最後のペニーをはたいて喚(わめ)くことを、酔い潰れては涙を流すことを覚え、そして家に向かった・・・

…Incalculable city. What ensued was only one of a thousand success stories of those gaudy days, but it plays a part in my own movie of New York. When I returned six months later the offices of editors and publishers were open to me, impresarios begged plays, the movies panted for screen material. To my bewilderment, I was adopted, not as a Middle Westerner, not even as a detached observer, but as the archetype of what New York wanted. This statement requires some account of the metropolis in 1920.

・・・移ろいやすい街。続いた何かは、あの俗悪な日々の千の成功物語の内のほんの一つとはいえ、それは、僕自らのニュー・ヨークに於ける映画の中で、一つの役割を果たす。僕は、六か月後、編集者の事務所に戻り、出版社が、僕に寛大だった時、監督は、演技を求め、映画は、スクリーンの人材を待ち望んでいた。僕の戸惑いに対して、僕は、選任された。中西部出身者としてではなく、冷静な監視者としてでさえない、しかしニュー・ヨークが何を求めるかの典型として。この話には、1920年の大都市についての何らかの説明が要る。

There was already the tall white city of today, already the feverish activity of the boom, but there was a general inarticulateness. As much as anyone the columnist F.P.A. guessed the pulse of the individual crowd, but shyly, as one watching from a window. Society and the native arts had not mingled—Ellen Mackay was not yet married to Irving Berlin. Many of Peter Arno's people would have been meaningless to the citizen of 1920, and save for F.P.A.'s column there was no forum for metropolitan urbanity.

そこは、既に今日の背の高い白人の都市、既に新興の熱っぽい活気が漲ってはいたが、そこには、漠然とした不確実性があった。誰もと同様、コラムニストゥF.P.Aは、個別的大衆の鼓動を強く感じ取ったが、しかし、窓から見物する者のように遠慮して。社会と生え抜きの芸術は、混じり合ってはいなかったーエレン・マッケイは、未だアーヴィン・バーリンの許へ嫁いではいなかった。ピータ・アルノの人々の多くは、1920年の市民には無意味だったのだろうが、大都市の洗練された住人向けの公開討論を、そこで催さなかったF.P.A.のコラムを保存している。

Then, for just a moment, the “younger generation” idea became a fusion of many elements in New York life. People of fifty might pretend there was still a four hundred, or Maxwell Bodenheim might pretend there was a Bohemia worth its paint and pencils—but the blending of the bright gay, vigorous elements began then, and for the first time there appeared a society a little livelier than the solid mahogany dinner parties of Emily Price Post. If this society produced the cocktail party, it also evolved Park Avenue wit, and for the first time an educated European could envisage a trip to New York as something more amusing than a gold-trek into a formalized Australian Bush.

それから、瞬(またた)く間に、「ヤンガ・ジェナレイシャン」という認識が、ニュー・ヨーク生活の幾つもの要素の融合を成し遂げた。50の人々が、そこにはまだ400いると言い張ってもかまわなかったし、又、マクスウエル・ボウデン・ハイムが、そこには、ボヘミア価値、その絵具と筆ー何れにせよ輝かしい同性愛(ゲイ)の一体化があると言い張ってもよく、精力的本領は、、その時発起し、初めてそこにエミリー・プライス・ポウストゥの堅固なマハガニー晩餐会より少し活気のある社会を垣間(かいま)見せた。仮にこの社会が、力クテイル・パーティを演出したら、それも又、パーク・アヴェニュー・ウイトゥを進化させ、そして初めて、教育されたイゥァロプ人は、形式的オーストゥレイリアの藪に分け入る金―小旅行より何かもっと面白いものとして、ニュー・ヨークへの旅を思い描けたろう。

For just a moment, before it was demonstrated that I was unable to play the role, I, who knew less of New York than any reporter of six months' standing and less of its society than any hall-room boy in a Ritz stag line, was pushed into the position not only of spokesman for the time but of the typical product of that same moment. I, or rather it was “we” now, did not know exactly what New York expected of us and found it rather confusing. Within a few months after our embarkation on the Metropolitan venture we scarcely knew any more who we were and we hadn't a notion what we were. 

瞬く間に、僕が、任務を果たせなかったと論証される前、リッツ雄鹿戦闘部隊のホール―ルーム・ボウイより、その社会について殆ど、六カ月立ったままのどんなリポータよりニュー・ヨークについて殆ど無知だった僕は、時流向けスポウクスマンについてだけでなく、その同じ瞬間の典型的な創作品についても、局面へと突き動かされた。僕は、と言うより寧ろ、それは今や、「僕たち」は、だったが、ニュー・ヨークが、僕たちに何を期待したか、を必ずしも分かってはいなかったし、寧ろそれに混乱を覚えた。僕たちの大都市冒険的事業への乗船後、数カ月以内では、僕たちが何者かを、それ以上殆ど僕たちは知らなかったし、僕たちがどれ程の者か、僕たちは、見解を持たなかった。

A dive into a civic fountain, a casual brush with the law, was enough to get us into the gossip columns, and we were quoted on a variety of subjects we knew nothing about. Actually our “contacts” included half a dozen unmarried college friends and a few new literary acquaintances—I remember a lonesome Christmas when we had not one friend in the city, nor one house we could go to. Finding no nucleus to which we could cling, we became a small nucleus ourselves and gradually we fitted our disruptive personalities into the contemporary scene of New York. Or rather New York forgot us and let us stay.

都市の源泉への飛び込み、法律相手の思いがけない小競り合いは、僕たちをゴシップ欄に陥れるのに十分で、僕たちが何も知らなかった様々な話題に、僕たちは、引き合いに出された。現に、僕たちの「付き合い」は半ダースの未婚の学友や二、三の新しい文学仲間ー僕たちが街に友達の一人も、又、僕たちが尋ねられる家一軒も持たなかった時、一人っきりのクリスマスを、僕は覚えている。僕たちが執着できる中心が見当たらないまま、僕たちは、つまらない自己執着の状態に陥り、徐々に僕たちは、ニュー・ヨークの同時代の光景の中に、僕たちの分裂した人格をはめ込んだ。というより寧ろ、ニュー・ヨークは、僕たちを忘れて置きながら、僕たちを留まらせた。

Thi s is not an account of the city's changes but of the changes in this writer's feeling for the city. From the confusion of the year 1920 I remember riding on top of a taxicab along deserted Fifth Avenue on a hot Sunday night, and a luncheon in the cool Japanese gardens at the Ritz with the wistful Kay Laurel and George Jean Nathan, and writing all night again and again, and paying too much for minute apartments, and buying magnificent but broken-down cars. The first speak-easies had arrived, the toddle was passe, the Montmartre was the smart place to dance and Lillian Tashman's fair hair weaved around the floor among the enliquored college boys. 

これは、都市の変化ではなく、都市に対するこの執筆者の感覚の変化の報告である。1920年の混迷から、僕は、熱狂的日曜の夜に人影のない五番アヴェニューをタクシの先端に乗ったこと、それに物思いに沈んだケイ・ローレルやジョージ・ジーン・ネイサンとのリッツの落ち着いた日本庭園での昼食会、それに何度も何度も徹夜して書いたこと、それに取るに足りないアパートゥマントゥのために随分たくさん支払ったこと、それに素晴らしいとはいえ、ポンコツの車を買ったことを覚えている。初対面の話の気楽さには到達し、よちよち歩きは時代遅れで、モンマルトルは、ダンスをするには気の利いた場所で、リリアン・タシュマンの金髪は、フロアを囲む大学生たちの間を縫うように進んだ。

The plays were “Declassee” and “Sacred and Profane Love”, and at the Midnight Frolic you danced elbow to elbow with Marion Davies and perhaps picked out the vivacious Mary Hay in the pony chorus. We thought we were apart from all that; perhaps everyone thinks they are apart from their milieu. We felt like small children in a great bright unexplored barn. Summoned out to Griffith's studio on Long Island, we trembled in the presence of the familiar face of the “Birth of a Nation”; later I realized that behind much of the entertainment that the city poured forth into the nation there were only a lot of rather lost and lonely people. 

芝居は、「デクラスィ―(退役)」「神聖にして世俗的愛」又、真夜中の遊戯では、あなたは、マリアン・デイヴィ―ズと肘を絡ませて踊ったり、多分、ポウニ・コーラスで溌剌としたメアリ・ヘイをピックアップしたりする。僕たちは、僕たちがその全てから離れていると思った。多分、彼らは、彼らの境遇からかけ離れていると誰もが思う。僕たちは、やけに明るい未探検の納屋の中の幼い子供のように感じた。ロング・アイランドゥの上のグリッフィスの放送室に招集され、僕たちは、「国家の生誕」という打ち解けた表情に直面して身震いした。後日、僕は、多くのエンターテインマントゥの背後で、都市は、国家の中に前方を注ぎ込むということ、そこには、只、たくさんの、寧ろ、道に迷い、孤立した人々がいるだけだと悟った。

The world of the picture actors was like our own in that it was in New York and not of it. It had little sense of itself and no centre: when I first met Dorothy Gish I had the feeling that we were both standing on the North Pole and it was snowing. Since then they have found a home but it was not destined to be New York.

映画俳優の世界、それはニュー・ヨークにいながら、それ(ニュー・ヨーク)製ではない僕たち自身に似ていた。それは、それ自身の意識はほとんど持たず、中核がない。僕が、最初にドロスィ・ギシュに会った時、僕たちは揃って北極に立っていて、そこに雪が降っているという感触を抱いた。それ以来、彼らは、一軒の家を探し出したところで、それがニュー・ヨークだと運命づけられなくなった。

When bored we took our city with a Huysmans-like perversity. An afternoon alone in our “apartment” eating olive sandwiches and drinking a quart of Bushmill's whisky presented by Zoe Atkins, then out into the freshly bewitched city, through strange doors into strange apartments with intermittent swings along in taxis through the soft nights.

うんざりすると、僕たちは、ユイスマンスーつむじ曲がりのような、を僕たちの街に連れて来た。オリーヴ・サンドゥウイッティを食べながら、ゾウ・アトゥキンスに贈られたブシュミルのウィスキ、一クオートゥを飲みながら、僕たちの「アパートゥマントゥ」で1人きりの午後、その時、新たに魔法をかけられた街の中を通り抜け、見知らぬアパートゥマントゥの中の見知らぬドアを通して、静かな夜じゅう、タクシの中を伝って断続的にスイングする。

At last we were one with New York, pulling it after us through every portal. Even now I go into many flats with the sense that I have been there before or in the one above or below—was it the night I tried to disrobe in the Scandals, or the night when (as I read with astonishment in the paper next morning) “Fitzgerald Knocks Officer This Side of Paradise”? Successful scrapping not being among my accomplishments, I tried in vain to reconstruct the sequence of events which led up to this denouement in Webster Hall. 

ついに、僕たちは、あらゆる橋門を通って、僕たちの後ろにそれを引き寄せながら、ニュー・ヨークと一体化した。今でも、僕は、前にそこへ行ったことがあるという感覚と共に、多くのフラトゥに入るか、或いは上だったか下だったかその一つの中でーそれは、僕がスカンドゥルの中で脱がせようとした夜だったか、或いは、(僕は、翌朝、驚いて新聞に読み入るように)、「フィッツジェラルドゥ、『パラダイスのこちら側』の幹事をこきおろす」夜だったか?、僕は、僕の功績の中にない成功の断片、ウエブスタ・ホールで、この大団円に導いた出来事の連続を虚しく再現しようとした。

And lastly from that period I remember riding in a taxi one afternoon between very tall buildings under a mauve and rosy sky; I began to bawl because I had everything I wanted and knew I would never be so happy again.It was typical of our precarious position in New York that when our child was to be born we played safe and went home to St. Paul—it seemed inappropriate to bring a baby into all that glamour and loneliness. But in a year we were back and we began doing the same things over again and not liking them so much.

そして僕は、藤色とバラ色の空の下、非常に高いビルディングの真ん中で、或る午後、タクシに乗り込んだのを覚えているその時期からやっと、欲しかったもの全てを僕は持ち、僕は二度とこれ程幸せにはならないだろうと得心したので、大声で僕は叫び出した。それは、僕たちのニュー・ヨークでのあやふやな身分の典型だった。僕たちの子供が、生まれる筈だった頃、僕たちは、無難に振舞い、セイントゥ・ポール目指して家路に着いたーあの魅惑と孤独の真っ只中へ赤ちゃんを連れて行くこと、それははいいことではないように思えた。しかし、一年の内に、僕たちは、後戻りし、僕たちは、それがそんなに気に入ってもいないのに、又、同じことを繰り返し始めた。

 We had run through a lot, though we had retained an almost theatrical innocence by preferring the role of the observed to that of the observer. But innocence is no end in itself and as our minds unwillingly matured we began to see New York whole and try to save some of it for the selves we would inevitably become.

僕たちは、一つの定めを走り抜けて来た、監視者の内、それに監視される者の役割を好むことで、ほとんど芝居じみた無邪気さを僕たちは、持ち続けはしたが。しかし、無知は、そのものに終わりがなく、僕たちの考えが、しぶしぶ成熟するに連れ、僕たちは、ニュー・ヨーク全体を見始め、僕たちが必ず相応しくなろうとした自分自身のために、その一部を取って置こうとする。

It was too late—or too soon. For us the city was inevitably linked up with Bacchic diversions, mild or fantastic. We could organize ourselves only on our return to Long Island and not always there. We had no incentive to meet the city half way. My first symbol was now a memory, for I knew that triumph is in oneself; my second one had grown commonplace—two of the actresses whom I had worshipped from afar in 1913 had dined in our house.

それは、遅過ぎたのかー或いは早過ぎたのか。僕たちの所為で、都市は、当然のようにバッカスの娯楽、大人しいか、空想的、と連結された。僕たちは、ロング・アイランドゥ、必ずしもそこではなかったが、への僕たちの帰還に関してだけは、自ずと団結できた。僕たちは、都市と交わる動機をほとんど持たなかった。僕の最初の象徴は、今は単なる思い出、何故なら、勝利は、自らの中にあると分かったから。僕の二番目のそれは、陳腐なものになりー僕が、1913年以来ずっと熱愛した女優二人は、僕たちの家で食事をした。

 But it filled me with a certain fear that even the third symbol had grown dim—the tranquillity of Bunny's apartment was not to be found in the ever-quickening city. Bunny himself was married, and about to become a father, other friends had gone to Europe, and the bachelors had become cadets of houses larger and more social than ours. By this time we “knew everybody”—which is to say most of those whom Ralph Barton would draw as in the orchestra on an opening night.

それにしても、三番目の象徴まで、曖昧(あいまい)になってしまった、それは、確実な不安をもって僕を追い詰めた。-バニのアパートゥマントゥの平穏は、常態的急進都市に見受けられることはなかった。バニその人は、結婚して、一人の父親になろうとしていたし、他の友人たちは、イウァラプに行ってしまい、独り者は、僕たちの属するものより、大規模でもっと社会的な劇場の幹部候補生になっていた。この頃までに、僕たちは、「全ての人を知った」ーそれは、開演の夜、オ―ケストゥラでのように、ラルフ・バートンが描こうとするそれらの大半を言うのだ。

But we were no longer important. The flapper, upon whose activities the popularity of my first books was based, had become passe by 1923—anyhow in the East. I decided to crash Broadway with a play, but Broadway sent its scouts to Atlantic City and quashed the idea in advance, so I felt that, for the moment, the city and I had little to offer each other. I would take the Long Island atmosphere that I had familiarly breathed and materialize it beneath unfamiliar skies.

しかし、僕たちは、もはや重要ではなかった。僕の初めての本の人気がその活躍の基底となったフラッパは、1923年までにー何れにせよ東部では、時代遅れになってしまった。僕は、戯曲を持って、ブロゥドゥウエイに押し掛けることにしたが、ブロゥドゥウエイは、そのスカウトゥをアトゥランティク・スィティに送り、前もって着想を破棄した。そこで僕は、さしあたり、その街と僕は、互いに提供し合うことは殆どないのだと、察した。不慣れな空の下、僕は無遠慮に呼吸をし、それを実現するというロング・アイランドゥの環境を、僕は必要とするのだ。

It was three years before we saw New York again. As the ship glided up the river, the city burst thunderously upon us in the early dusk—the white glacier by the Battery swooping down like a strand of a bridge to rise into “uptown”a miracle of foamy light suspended by the stars. A band started to play on deck, but the majesty of the city made the march trivial and tinkling. From that moment I knew that New York, however often I might leave it, was home.

それは、僕たちが再びニュー・ヨークを見る三年前だった。船が川を滑るように上るに連れ、黄昏れ始めた都市は、僕たちの上で雷鳴のように炸裂したー「アップタウン(住宅地区)」泡のような光の奇跡の中に乗り上げるため、まるで橋の座礁のように襲い掛かる一連の白い氷河は、星によって吊るされている。デックでバンドゥが演奏し始めたが、都市の威厳は、つまらない、音を立てるだけのマーチを作った。その瞬間から、僕は、あのニュー・ヨークは、どんなに繰り返し僕がそれを置き去りにしたところで、故郷なのだと認識した。

The tempo of the city had changed sharply. The uncertainties of 1920 were drowned in a steady golden roar and many of our friends had grown wealthy. But the restlessness of New York in 1927 approached hysteria. The parties were bigger—those of Conde Nast, for example, rivalled in their way the fabled balls of the nineties; the pace was faster—the catering to dissipation set an example to Paris; the shows were broader, the buildings were higher, the morals were looser and the liquor was cheaper; but all these benefits did not really minister to much delight. 

都市のテムポゥは、急に変わった。1920年の無常は、確固とした繁栄のどよめきにかき消され、僕たちの友人の多くが、裕福になった。それにしても、1927年のニュー・ヨークの動揺は、ヒスティアリアの域に近付いた。パーティは、より大規模になった。ーコンデ・ナストゥのそれは、例えば、彼らの流儀で張り合った90の作り物の玉、そのペイスは、より速くー濫費がちのケイタリングは、パリスにお手本を示した。そのショウは、より広範囲に亘り、ビルディングは、尚高くなり、モラルは更に弛み、酒はますます安くなった。しかし、これらの利益全て、実際、多くの楽しみに奉仕しなかった。

Young people wore out early—they were hard and languid at twenty-one, and save for Peter Arno none of them contributed anything new; perhaps Peter Arno and his collaborators said everything there was to say about the boom days in New York that couldn't be said by a jazz band. Many people who were not natural alcoholics were lit up four days out of seven, and frayed nerves were strewn everywhere; groups were held together by a generic nervousness and the hangover became a part of the day as well allowed-for as the Spanish siesta. Most of my friends drank too much—the more they were in tune to the times the more they drank. And so effort per se had no dignity against the mere bounty of those days in New York, a depreciatory word was found for it: a successful programme became a “racket”—I was in the “literary racket”.

若い人々は、早くに外に出た。ー彼らは、21にして勤勉だが熱意がなく、ピーター・アルノを除いて、彼らの内、誰一人、新たに何らかの寄与をした者はいない。多分、ピーター・アルノと彼の共著者たちは、ジャズ・バンドゥによって語られようもないニュー・ヨークの急発展期について、そこで語るべきである全てを語った。なるべくしてなったアルカホリックではなかった多くの人々が、7から解き放たれ4日を光の下に置かれ、すり減らされた神経は、至る所に撒き散らされた。群れは、一般的な興奮によって、互いに制御され合い、二日酔いが、スペイン風の午睡同様ー斟酌(しんしゃく)され、昼間の務めになった。僕の友達の大部分が、あまりにも飲み過ぎた。ー彼らは、一致して時代に便乗すればするほど、彼らはますます飲んだ。だから、努力そのものが、ニュー・ヨークのあの当時の単なる気前の良さの前では、なんの価値もなかった。それに対する軽蔑的な言葉が、見受けられた。成功したプロゥグラムは、「ラキットゥ(大混乱)」になった。ー僕は、「文学のラキットゥ(大混乱)」の只中にいた。

We settled a few hours from New York and I found that every time I came to town I was caught into a complication of events that deposited me a few days later in a somewhat exhausted state on the train for Delaware. Whole sections of the city had grown rather poisonous, but invariably I found a moment of utter peace in riding south through Central Park at dark towards where the facade of 59th Street thrusts its lights through the trees. There again was my lost city, wrapped cool in its mystery and promise. But that detachment never lasted long—as the toiler must live in the city's belly, so I was compelled to live in its disordered mind.

僕たちは、ニュー・ヨークから2、3時間に住み、僕が町に出かける度毎に、僕は、いざこざの縺(もつ)れに巻き込まれるんだと僕は気付いた。それは、数日後、デラウェアに向かう車上、僕を幾分へとへとの状態に置いた。都市の全区域が、かなり有害になっていた。しかし、変わることなく、 59番ストゥリートゥの正面が、木々を通り抜けたその明かりを押し分ける方向に暗闇のセントゥラル・パークを通って、南を走破する時に、全くの平穏の瞬間を僕は見い出した。そこに、再び、その神秘性と約束に冷静さを包んだ僕の夢中になった街はあった。しかし、その超俗は、長くは続かなかったー使役人が、都市の腹部に住まなければならないように、そう、僕は、その乱れた心に、住まざるを得なかった。

Instead there were the speakeasies—the moving from luxurious bars, which advertised in the campus publications of Yale and Princeton, to the beer gardens where the snarling face of the underworld peered through the German good nature of the entertainment, then on to strange and even more sinister localities where one was eyed by granite-faced boys and there was nothing left of joviality but only a brutishness that corrupted the new day into which one presently went out. Back in 1920 I shocked a rising young business man by suggesting a cocktail before lunch. In 1929 there was liquor in half the downtown offices, and a speakeasy in half the large buildings.

その代わり、そこには、潜(もぐ)り酒場があった。ー豪奢なバーから、それは、イエイルやプリンストンの構内出版物に広告を出していたが、暗黒街の歯を剥いて唸(うな)る顔が、余興の、人の良いドイツ人を通してじっと見つめるビアガードゥンへ、それに、人が意固地な表情の少年たちによってじろじろ見られる、奇妙で、更に邪悪でさえある場所の方への引っ越しで、そこには陽気どころか粗野なところも全く残されていなかった。人が、今留守となると、新規巻き直しの日を駄目にした。1920年に遡(さかのぼる)と、僕は、昼食の前にカクテイルを勧めて、上り坂の若いビズニス・マンをぎょっとさせた。1929年には、繁華街の会社の半分に酒が、大きなビルディングの半分に一軒のもぐり酒場があった。

One was increasingly conscious of the speakeasy and of Park Avenue. In the past decade Greenwich Village, Washington Square, Murray Hill, the chateaux of Fifth Avenue had somehow disappeared, or become unexpressive of anything. The city was bloated, gutted, stupid with cake and circuses, and a new expression “Oh yeah?” summed up all the enthusiasm evoked by the announcement of the last super-skyscrapers. My barber retired on a half million bet in the market and I was conscious that the head-waiters who bowed me, or failed to bow me, to my table were far, far wealthier than I. This was no fun—once again I had enough of New York and it was good to be safe on shipboard where the ceaseless revelry remained in the bar in transport to the fleecing rooms of France.

人は、徐々にもぐり酒場とパーク・アヴェニューに気付いた。過去十年で、グリーンウイッチ・ヴィリジ、ワシントン・スクエア、マレイ・ヒル、五番アヴェニューのシャトウクスは、何故か姿を消したり、或いは、何かしら筆舌に尽くしがたいものになってしまった。都市は、膨れ上がり、腸(はらわた)を抜かれ、女たらしとストリップショウで知覚を失い、新しい言い回し「オゥ イエア?」は、究極的超摩天楼の広告によって引き起こされたあらゆる熱狂を要約した。僕の床屋は、市場(しじょう)で50万賭けて辞め、僕は、僕にお辞儀をしたり、又、僕にお辞儀をし損ったりするウエイタ長は、僕の卓に比べれば、遥かに遥かに僕より裕福だということを自覚した。これじゃあ、何の面白みもない。ー今度も、僕は、ニュー・ヨークについて十分知ったし、フランスの無一文にするだけの部屋に向かう、我を忘れてきりのないお祭り騒ぎがバーに残った船上で、安全でさえあればそれで良かった。

“What news from New York?”

「ニュー・ヨークからどんなニュース?」

“Stocks go up. A baby murdered a gangster.”

「株が上がってる。女の娘(こ)がガングを殺した。」

“Nothing more?”

「もっと何かない?」

“Nothing. Radios blare in the street.”

「何もない、レィディオゥが、通りでがなり立てている。」

I once thought that there were no second acts in American lives, but there was certainly to be a second act to New York's boom days. We were somewhere in North Africa when we heard a dull distant crash which echoed to the further-est wastes of the desert.

僕は、アメリカ暮らし、そこにはどんな二幕目もないと、嘗て思いはしたが、ニュー・ヨークの急発展期、そこには、確かに二幕目もなければならなかった。砂漠の荒れ地の更に遠くへ最も遠くへとこだました、僕たちが無感覚になる程遠方の暴落を耳にした時、僕たちは、北アフリカのどこかにいた。

“What was that?”

「あれは何?」

“Did you hear it?”

「あなたはそれを聞きました?」

“It was nothing.”

「そんなの何でもなかったよ。」

“Do you think we ought to go home and see?”

「僕たちは、家に帰って確かめるべきだとは思わない?」

“No—it was nothing.”

「いやーそんなの何でもなかった。」

In the dark autumn of two years later we saw New York again. We passed through curiously polite customs agents, and then with bowed head and hat in hand I walked reverently through the echoing tomb. Among the ruins a few childish wraiths still played to keep up the pretence that they were alive, betraying by their feverish voices and hectic cheeks the thinness of the masquerade.Cocktail parties, a last hollow survival from the days of carnival, echoed to the plaints of the wounded: “Shoot me, for the love of God, someone shoot me!”, and the groans and wails of the dying: “Did you see that United States Steel is down three more points?” My barber was back at work in his shop; again the head-waiters bowed people to their tables, if there were people to be bowed.From the ruins rose the Empire State Building, lonely and inexplicable as the Sphinx and, just as it had been a tradition of mine to climb to the Plaza Roof to take leave of the beautiful city, extending as far as eyes could reach, so now I went to the roof of the last and most magnificent of towers. 

二年後の陰鬱な秋に、僕たちは又、ニュー・ヨークを目の当たりにした。僕たちは、妙に丁寧な得意先代理店を通過し、それから、下げられた頭と手の中の帽子と共に、僕は、反響するばかりの墓を恭(うやうや)しく歩いた。廃墟の間を2、3子供じみた幽霊が、彼らの熱っぽい声と紅潮した頬によって、その虚構の薄っぺらさを曝け出しながら、彼らは生きているんだという見栄を張り続ける外(ほか)ないかのように、今尚遊んだ。カクテイル・パーティ、謝肉祭の日々からの究極の上辺だけの生存が、負傷者の告訴状に、「僕を射ち殺してくれ。神の愛の代わりに、誰か僕を射ち殺してくれ!」臨終の呻き声と咽(むせ)び声に共鳴した。「ユナイティドゥ ステイツ スティールが、三ポイントゥ以上下がっているのを、貴方気付きましたか?」僕の床屋は、彼の店の仕事に戻った。再び、ウエイタ長は、彼らの卓の人々にお辞儀をした。もし、そこにお辞儀をされる人々がいれば。廃墟から、スフィンクスのように人気(ひとけ)のない、不可解な、まるで美しい都市に分かれを告げるために、プラザ・ルーフに登ることが、僕の一家の伝統だったかのように、目が捉(とら)えられる限り延長しているエムパイア・ステイトゥ・ビルディングを浮かび上がらせた。だから今、僕は最上の最も豪勢なタウアのてっぺんに向かった。

Then I understood—everything was explained: I had discovered the crowning error of the city, its Pandora's box. Full of vaunting pride the New Yorker had climbed here and seen with dismay what he had never suspected, that the city was not the endless succession of canyons that he had supposed but that it had limits—from the tallest structure he saw for the first time that it faded out into the country on all sides, into an expanse of green and blue that alone was limitless. And with the awful realization that New York was a city after all and not a universe, the whole shining edifice that he had reared in his imagination came crashing to the ground. That was the rash gift of Alfred W. Smith to the citizens of New York.

そこで僕は、理解した―何もかも説き明かされたと。僕は、都市のこの上ない瑕疵(かし)、そのパンドーラの箱を発見した。見せつけんばかりの強い自尊心を持って、ニュー・ヨーカーは、ここに登り、都市は、果てしない峡谷の連続ではないと、彼が、嘗て想像した事もない何かを驚愕と共に見たにしても、それは限定的である、と彼は推測するー最も背の高い建築物から、彼は、初めて、それが、あらゆる方角へと国の中に、緑や青の一面の広がりの中に消えてゆくのを、人から離れると限りないのを目に焼き付けた。そして空恐ろしい実感を抱いてニュー・ヨークは、結局、単なる街で、全世界ではなく、彼が、彼の想像の内に建てた輝ける全建造物が、地面に音を立てて砕けるに至った。それは、アルフレドゥ・ダヴリュ.・スミスのニューヨーク市民への性急な贈り物だった。

Thus I take leave of my lost city. Seen from the ferry boat in the early morning, it no longer whispers of fantastic success and eternal youth. The whoopee mamas who prance before its empty parquets do not suggest to me the ineffable beauty of my dream girls of 1914. And Bunny, swinging along confidently with his cane towards his cloister in a carnival, has gone over to Communism and frets about the wrongs of southern mill workers and western farmers whose voices, fifteen years ago, would not have penetrated his study walls.

このように、僕は、僕の夢中になった街の離別を受け入れる。早朝、フェリー・ボウトゥから見えた、それは、もはやとりとめのない成功や永遠の若さについて囁きはしない。陽気に動き回るどんちゃん騒ぎをするママたち、その空っぽの寄せ木細工の床は、1914年の僕の夢見た娘たちの言葉に出来ない美しさを僕に思わせない。そしてバニーは、謝肉祭で彼の回廊の方へ彼の杖と共に自信を持って威勢よく前に進みながら、コミュニズムに惚れ込み、南部の製粉所の労働者や西部の農民たちの悪事について気をもむ。彼等の声は、15年前、彼の書斎の壁を貫通しそうもなかったのに。

All is lost save memory, yet sometimes I imagine myself reading, with curious interest, a “Daily News” issue of 1945:

思い出は別として、全て忘れている。まだ時に、僕は、1945年の発行「デイリー・ニュース」を妙に面白がって読んでいる自分自身を想像する。

MAN OF FIFTY RUNS AMUCK IN NEW YORK

50男ニュー・ヨークで暴れ狂う

Fitzgerald Feathered Many Love Nests Avers Cutie

フィッツジェラルド羽飾りを付けた数多(あまた)の愛の巣は、キューティーと主張する

Bumped Off By Two-timed Gunman

鉢合わせしたガンマンによって殺される

So perhaps I am destined to return some day and find in the city new experiences that so far I have merely read about. For the moment I can only cry out that I have lost my splendid mirage. Come back, come back, O glittering and white!

そう、多分、僕は、何時の日か戻って来て、それまで、僕が、単に読んだだけの目新しい見分(けんぶん)を、この街に探し求めることを運命付けられている。ちょっとの間、僕は、僕の輝かしい幻影を失くしてしまったと、只、悲嘆に暮れるだけでいい。甦れ、甦れ、オゥ、煌びやかさと純白よ!


終わり

2021年12月3日金曜日

My Lost City33/Francis Scott Key Fitzgerald

My Lost City

Francis Scott Key Fitzgerald

There was first the ferry boat moving softly from the Jersey shore at dawn―the moment crystallized into my first symbol of New York. Five years later when I was fifteen I went into the city from school to see Ina Claire in The Quaker Girl and Gertrude Bryan in Little Boy Blue. Confused by my hopeless and melancholy love for them both, I was unable to choose between them一so they blurred into one lovely entity, the girl. She was my second symbol of New York. The ferry boat stood for triumph, the girl for romance. In time I was to achieve some of both, but there was a third symbol that I have lost somewhere, and lost for ever.

I found it on a dark April afternoon after five more years. 

'Oh, Bunny,' I yelled. 'Bunny!' 

初めに、ジ+ージー海岸から、夜明けに音もなく滑り出すフェリーボウトゥがあった。一 その瞬間が、ニュ一・ヨークの僕の最初の象徴として結晶するのだ。五年後、僕が15になった時、ザ クエィカー・ガールの中のアイナ・クレアやザ・リトゥル・ボゥイ・ブルーの中のガートゥルードゥ・ブライアンに会いたくて、僕は、学校から街中(まちなか)に出かけた。彼女達のどちらも追い求める、僕の為す術のない、切なく熱い思いに当惑し、僕は、彼女達の間(はざま)にあって選ぶに選べなかった。一挙句の果て、彼女達は、その娘(むすめ)、一人の魅力的な存在の内に影を潜めた。彼女は、ニュ一・ヨークの僕の二番目の象徴だった。フェリーボウトゥは、成功の姿を、その娘(むすめ)は恋の姿をしていた。その内、僕は、両者の何れかを手に入れる筈だった。が、何処かで見失い、そして永遠に失ってしまった三番目の象微が現れた。

僕は、更に五年後、暗い四月の午後、それを知った。

「オーイ、バニ一。」僕は叫んだ。「バニ一!」

He did not hear me―my taxi lost him, picked him up again half a block down the street. There were black spots of rain on the sidewalk and I saw him walking briskly through the crowd wearing a tan raincoat over his inevitable brown get-up; I noted with a shock that he was carrying a light cane.

彼は、僕に耳を貸さなかった―僕のタクシは、彼を見失い、通りを半ブロック下って、再び彼に同行した。歩道は、雨の黒い斑点で覆われ、僕は、彼らしいお決まりの茶の服装の上に、黄褐色のレインコゥトゥを着て、人込みを颯爽と歩く彼を見た。彼がほっそりとしたステッキを持っていたので、僕は、衝撃と共に注目した。

“Bunny!” I called again, and stopped. I was still an undergraduate at Princeton while he had become a New Yorker. This was his afternoon walk, this hurry along with his stick through the gathering rain, and as I was not to meet him for an hour it seemed an intrusion to happen upon him engrossed in his private life. But the taxi kept pace with him and as I continued to watch I was impressed: he was no longer the shy little scholar of Holder Court―he walked with confidence, wrapped in his thoughts and looking straight ahead, and it was obvious that his new background was entirely sufficient to him. I knew that he had an apartment where he lived with three other men, released now from all undergraduate taboos, but there was something else that was nourishing him and I got my first impression of that new thing the Metropolitan spirit.

「バニー!」僕はもうー度呼び掛け、そして止めた。彼は、ニューヨーカーに相応しかったが、僕は、末だプリンストンの一学生だった。これは、彼の午後の散歩だ。勢いを増す雨を突き、彼のステッキを持ったこの急ぎ足、それに、僕は、彼にー時間会う予定はなかったので、自らの私生活に専心する彼に偶然出食わした事は、侵害のように思われた。それでもタクシは、歩調を合わせ、僕は、見守り続けるに連れ、自ずと感心した。彼は、もはや、ホゥルダ一・コートゥの内気な目立たない優等生ではなかった。―彼は自信を漲らせて歩いた。思索に耽り、真直ぐ前を見ながら、それに、彼の新しい背景は、彼にはすべからく十分であるのは明らかだった。彼が、他の三人の男と暮らすアパートゥを彼は持ち、今や、あらゆる大学生としての禁制から解放されていると、僕は知った。 何れにせよ、そこには、彼を育んでいる他の何かがあり、僕は、その新しい事実、都会人の気風といった第ー印象を得た。

Up to this time I had seen only the New York that offered itself for inspection - I was Dick Whittington up from the country gaping at the trained bears, or a youth of the Midi dazzled by the boulevards of Paris. I had come only to stare at the show, though the designers of the Woolworth Building and the Chariot Race Sign, the producers of musical comedies and problem plays, could ask for no more appreciative spectator, for I took the style and glitter of New York even above its own valuation. 

この時まで、僕は、見物のためにそのものを提供するニューヨークだけを見て来たー僕は訓練された熊をポカンと見ているお上りさんのディック・フィッティントンか、はたまたパリの大通りに目が眩んだミディの若者だった。僕は、ショウに見入るためだけにやって来た。尤(もっと)も、ウールワース・ビルディングのデザイナーやチャリアットゥ・レイス・サイン、ミュージカル・コメディーのプロデューサーや問題劇が、この上なく目の肥えた観客を誘えはしたが、僕は、それ自体の評価を超えたニュー・ヨークの様式や華麗さに惹かれたから。

But I had never accepted any of the practical anonymous invitations to debutante balls that turned up in an undergraduate's mail, perhaps because I felt that no actuality could live up to my conception of New York's splendour. Moreover, she to whom I fatuously referred as 'my girl'was a Middle Westerner, a fact which kept the warm centre of the world out there, so I thought of New York as essentially cynical and heartless — save for one night when she made luminous the

Ritz Roof on a brief passage through.

それにしても、僕は、郵便物にそれと分かる舞踏会デビューへの老練な匿名の招待状を一度も受け取ったことがなく、おそらく、僕は、どんな現実も、ニュー・ヨークの光輝から成る僕の考えに恥じないもてなしなどおよそ出来る筈がないと思うから。その上、僕が愚かにも「マイ・ガール」と呼ぶ彼女は、米国中西部出身者で、そこ以外、世界の最も居心地の悪い所にして置くという事実、そこで僕は、本質的に冷笑的で薄情なのでー短時間の通過時、彼女がリッツの屋上を明るくした時、一夜のために貯蓄するニュー・ヨークを思った。

Lately, however, I had definitely lost her and I wanted a man's world, and this sight of Bunny made me see New York as just that. A week before, Monsignor Fay had taken me to the Lafayette where there was spread before us a brilliant flag of food, called an hors d'oeuvre, and with it we drank claret that was as brave as Bunny's confident cane -but after all it was a restaurant, and afterwards we would drive back over a bridge into the hinterland. 

最近、しかし、僕は確かに彼女が分からなくなってしまった、それに僕は、男の世界が欲しかった。バニーのこの視野は、それ相応のニュー・ヨークを僕に見せた。一週間前、モンシニョール ・フェイは、食物の光り輝く旗、オルドゥーヴルと呼んだ、を僕たちの前に広げてみせるラファイアットゥに僕を連れて行き、僕たちは、それと一緒に、バニーの自信に満ちたステッキと同じくらい恐れを知らぬクラレットゥを飲んだーが結局、それは単なるレストランに他ならず、その後(あと)僕たちは、後背地の中に橋を越えて車で引き返すのだ。

The New York of undergraduate dissipation, of Bustanoby's, Shan-ley's, Jack's, had become a horror, and though I returned to it, alas, through many an alcoholic mist, I felt each time a betrayal of a persistent idealism. My participance was prurient rather than licentious and scarcely one pleasant memory of it remains from those days; as Ernest Hemingway once remarked, the sole purpose of the cabaret is for unattached men to find complaisant women. All the rest is a wasting of time in bad air.

学生遊興の、バスタノビーの、シャン―リーの、ジャックの、ニュー・ヨークは、恐怖の様相を呈し、僕は、それに帰って行った、ああ、幾重ものアルコールの靄(もや)を押し分けて、が僕は、その度毎に、固執する理想主義の背信が身に沁みた。僕の関係者は、乱交より寧ろ好色だったし、それの好ましい記憶一つ、当時から殆ど残っていない。。アーネストゥ・ヘミングウェイが、嘗て忠告したように、キャバレイの唯一の目的は、無所属の男たちに好意的な女を見つけることにある。全て休養というものは、酷い空気の中での時間潰しだ。

But that night, in Bunny's apartment, life was mellow and safe, a finer distillation of all that I had come to love at Princeton. The gentle playing of an oboe mingled with city noises from the street outside, which penetrated into the room with difficulty through great barricades of books; only the crisp tearing open of invitations by one man was a discordant note. I had found a third symbol of New York and I began wondering about the rent of such apartments and casting about for the appropriate friends to share one with me.

しかしあの夜、バニーのアパートゥメントゥで、生きることは、芳醇で恙(つつが)なく、僕がプリンストンで愛すことになった全ての見事なまでの蒸留、戸外の通りから街の喧騒と混じり合ったオゥボゥのゆるやかな演奏、それらは、書籍のバリケィドゥを通過する困難と共に部屋の中に浸透した。只、一人の男によるバリバリと引き千切る招待状の開封が耳障りな音だった。僕は、ニュー・ヨークの三つ目の象徴に気付いた。それから、僕は、こんな賃貸アパートゥメントゥと僕と一部屋を共にするのにふさわしい友人を探し回った。

Fat chance - for the next two years I had as much control over my own destiny as a convict over the cut of his clothes. When I got back to New York in 1919 I was so entangled in life that a period of mellow monasticism in Washington Square was not to be dreamed of. The thing was to make enough money in the advertising business to rent a stuffy apartment for two in the Bronx. The girl concerned had never seen New York but she was wise enough to be rather reluctant. And in a haze of anxiety and unhappiness I passed the four most impressionable months of my life.

実のある巡り合わせーそれから二年間、彼の衣服の切断に対する有罪判決同様、しばしば僕自身の運命の支配を許した。僕が、一九一九年、ニュー・ヨークに戻った時、僕が生きるにはあまりにも混乱を来したので、ワシントン広場で、円満な修道主義のピァリアドゥは、夢想されることもなかった。問題は、ブリンクスで二人用の風通しの悪いアパートゥメントゥを借りるために広告店で十分なお金を作ることだった。当の恋人は、ニュー・ヨークを一度も訪ねなかったが、彼女は、賢明過ぎてかなり気が進まないようだった。そうして、不安と不幸の靄(もや)の中で、僕は、僕の生涯で四つの最も感傷的な月を過ごした。

New York had all the iridescence of the beginning of the world. The returning troops marched up Fifth Avenue and girls were instinctively drawn east and north towards them—we were at last admittedly the most powerful nation and there was gala in the air. As I hovered ghost-like in the Plaza Red Room of a Saturday afternoon, or went to lush and liquid garden parties in the East Sixties or tippled with Princetonians in the Biltmore Bar, I was haunted always by my other life—my drab room in the Bronx, my square foot of the subway, my fixation upon the day's letter from Alabama—would it come and what would it say?—my shabby suits, my poverty, and love. 

ニュー・ヨークは、この世の始まりにも似て、何もかも玉虫色がかっていた。帰還軍隊は、五番アヴェニュー(南北の通り)を行進して北上し、女たちは、本能的に彼らの方へと東や北に引き寄せられたー僕たちはついに許されて最も勢力の漲(みなぎ)る国家を成し、祝祭は盛り上がった。僕は、亡霊ーの如く土曜の午後のプラザのレッドゥルームの中でうろつくか。或いは、東60の酒と液体ガードゥンパーティに向かうか、或いは、ビルトゥモアバーのプリンストン関係者と一緒に飲み続けるかだったのだが、僕は、何時も僕のもう一つの生活ーブロンクスの僕のほんの僅かな部屋に取りつかれ、地下鉄の僕のくそ真面目な足取り、アラバマからのその日の手紙に向ける僕の凝視ーそれは届くのか、それは何を言おうとしているのか?ー僕のみすぼらしいスーツ、僕の窮乏、そして愛情。

While my friends were launching decently into life I had muscled my inadequate bark into midstream. The gilded youth circling around young Constance Bennett in the Club de Vingt, the classmates in the Yale-Princeton Club whooping up our first after-the-war reunion, the atmosphere of the millionaires' houses that I sometimes frequented—these things were empty for me, though I recognized them as impressive scenery and regretted that I was committed to other romance. 

僕の友人たちは、人並みに世間に出て行こうとしていたが、僕は流れの真っ只中を僕の場違いな遠吠えを押し分けて進んで来た。クラブ・ドゥ・ヴィントゥで若いコンスタンス・ベネットゥの周りを取り囲む上辺だけ立派な若者、僕たちの戦後初めての再会に歓声を上げるイエィル・プリンストンクラブの級友たち、僕が、時に付き合う百万長者の家々の雰囲気、ーそこにある何もかもが、僕には虚しく、僕は、それを印象的な景観として認め、僕がもう一つの物語に傾倒していることを悔いはしたが。

The most hilarious luncheon table or the most moony cabaret—it was all the same; from them I returned eagerly to my home on Claremont Avenue—home because there might be a letter waiting outside the door. One by one my great dreams of New York became tainted. The remembered charm of Bunny's apartment faded with the rest when I interviewed a blowsy landlady in Greenwich Village.She told me I could bring girls to the room, and the idea filled me with dismay—why should I want to bring girls to my room?—I had a girl. 

最も楽しい昼食のテイブル、或いは最も夢心地のキャバレイーそれは、皆同じ、それらから、僕は、クレアモントゥ・アヴェニューの我が家に、熱心に戻った。ーそこには、ドアの外で待つ一通の手紙があった。一つずつ僕のニュー・ヨークの大いなる夢又夢が、腐って行った。バニーのアパートゥメントゥの懐かしい魅力が、グリーンウイッチ・ヴィリッジのだらしない女主人を訪問した時、休息と共に姿を消した。 彼女は、部屋に女たちを連れて行けますよ、と僕に話し、その入れ知恵は、僕を呆れ返らせたーどうして僕が、僕の部屋に女を連れて行きたい?ー僕には女がいる。

I wandered through the town of 127th Street, resenting its vibrant life; or else I bought cheap theatre seats at Gray's drugstore and tried to lose myself for a few hours in my old passion for Broadway. I was a failure—mediocre at advertising work and unable to get started as a writer. Hating the city, I got roaring, weeping drunk on my last penny and went home…

僕は、127ストゥリートゥ(東西の通り)の街中(まちじゅう)をぶらついた。そのぞっとするような人生を憤慨しながら、又他にも、僕は、グレイのドゥラッグストーで安劇場の席を買い、僕のブロウドゥウエイへの昔の熱情に浸って、二、三時間我を忘れようとした。僕は、広告業では、落第ー二流だったし、一人前のライターとしてスタートの位置にも着けなかった。街に嫌気が差し、僕は、僕の最後のペニーをはたいて喚(わめ)きながら、涙を流しながら酔い潰れ、家に向かった・・・

…Incalculable city. What ensued was only one of a thousand success stories of those gaudy days, but it plays a part in my own movie of New York. When I returned six months later the offices of editors and publishers were open to me, impresarios begged plays, the movies panted for screen material. To my bewilderment, I was adopted, not as a Middle Westerner, not even as a detached observer, but as the archetype of what New York wanted. This statement requires some account of the metropolis in 1920.

・・・移ろいやすい街、続いた何かは、あの俗悪な日々の千の成功物語の内のほんの一つとはいえ、それは、僕自らのニュー・ヨークに於ける映画の中で、一つの役割を果たす。僕は、六か月後、編集者の事務所に戻り、出版社が、僕に寛大だった時、監督は、演技を求め、映画は、スクリーンの人材を待ち望んでいた。僕の戸惑いに、僕は、選任された。中西部出身者としてではなく、冷静な監視者としてでさえなく、ニュー・ヨークが何を求めるかの典型として。この話には、1920年の大都市についての何らかの説明が要る。

There was already the tall white city of today, already the feverish activity of the boom, but there was a general inarticulateness. As much as anyone the columnist F.P.A. guessed the pulse of the individual crowd, but shyly, as one watching from a window. Society and the native arts had not mingled—Ellen Mackay was not yet married to Irving Berlin. Many of Peter Arno's people would have been meaningless to the citizen of 1920, and save for F.P.A.'s column there was no forum for metropolitan urbanity.

既に今日の高く青褪めた街はあり、既に新興の熱っぽい活気があったが、一般的不確実性があった。誰もと同様、コラムニストゥF.P.Aは、個別的大衆の鼓動を強く感じ取りはした。しかし、窓から見物する人の様にはにかみながら。社会と生え抜きの芸術は、混じり合ってはいなかった。ーエレン・マッケイは、未だアーヴィン・バーリンの許へ嫁いではいなかった。ピーター・アルノの人々の多くは、1920年の市民には無意味だったのだろうが、大都市の洗練された住人向けの公開討論がなかったF・P・Aのコラムを保存している。

Then, for just a moment, the “younger generation” idea became a fusion of many elements in New York life. People of fifty might pretend there was still a four hundred, or Maxwell Bodenheim might pretend there was a Bohemia worth its paint and pencils—but the blending of the bright gay, vigorous elements began then, and for the first time there appeared a society a little livelier than the solid mahogany dinner parties of Emily Price Post. If this society produced the cocktail party, it also evolved Park Avenue wit, and for the first time an educated European could envisage a trip to New York as something more amusing than a gold-trek into a formalized Australian Bush.

それから、瞬(またた)く間に、「ヤンガー・ジェナレイシャン」という認識が、ニュー・ヨーク生活の幾つもの要素の融合を成し遂げた。50の人々が、そこにはなお400あると言い張ってもかまわなかったし、又マクスウエル・ボウデン・ハイムが、そこには、ボヘミア価値、その絵具と筆ー何れにせよ輝かしい同性愛(ゲイ)の一体化があると言い張ってもよく、精力的本領は、、その時発起し、初めてそこにエミリー・プライス・ポウストゥの堅固なマハガニー晩餐会より少し活気のある社会を垣間(かいま)見せた。仮にこの社会が、力クテイル・パーティを演出したら、それも又、パーク・アヴェニュー・ウイットゥを進化させ、そして初めて、教育されたイゥァロプ人は、形式的オーストゥレイリアの藪に分け入る金―小旅行より何かもっと面白いものとして、ニュー・ヨークへの旅行を思い描けたろう。

For just a moment, before it was demonstrated that I was unable to play the role, I, who knew less of New York than any reporter of six months' standing and less of its society than any hall-room boy in a Ritz stag line, was pushed into the position not only of spokesman for the time but of the typical product of that same moment. I, or rather it was “we” now, did not know exactly what New York expected of us and found it rather confusing. Within a few months after our embarkation on the Metropolitan venture we scarcely knew any more who we were and we hadn't a notion what we were. 

瞬く間に、僕が、任務を果たせなかったと論証される前、僕、僕は、リッツ雄鹿戦闘部隊のホール―ルーム・ボウイより、その社会について、六カ月立ったままのどんなリポーターよりニュー・ヨークについて無知で、その当時のスポウクスマンだけでなく、その同じ瞬間の類型的な創作品も、務めの中に押し込まれた。僕は、と言うより寧ろ、それは今や、僕たちは、だったが、ニュー・ヨークが、僕たちに何を期待したか、を必ずしも分かってはいなかったし、寧ろそれに混乱を覚えた。僕たちの大都市冒険的事業への乗船後、数カ月以内では、僕たちが何者かを、これ以上殆ど僕たちは知らなかったし、僕たちがどれ程の者か、僕たちは、見解を持たなかった。

A dive into a civic fountain, a casual brush with the law, was enough to get us into the gossip columns, and we were quoted on a variety of subjects we knew nothing about. Actually our “contacts” included half a dozen unmarried college friends and a few new literary acquaintances—I remember a lonesome Christmas when we had not one friend in the city, nor one house we could go to. Finding no nucleus to which we could cling, we became a small nucleus ourselves and gradually we fitted our disruptive personalities into the contemporary scene of New York. Or rather New York forgot us and let us stay.

都市の源泉への飛び込み、法律相手の思いがけない小競り合いは、僕たちをゴシップ欄に陥れるのに十分だった。僕たちが何も知らなかった様々な話題に、僕たちは、引き合いに出された。現に、僕たちの「付き合い」は半ダースの未婚の学友や二、三の新しい文学仲間ー僕たちが街に友達の一人も、又、僕たちが尋ねられる家一軒も持たなかった時、一人っきりのクリスマスを僕は、覚えている。僕たちが執着できる中心が見当たらないまま、僕たちは、つまらない自己執着の状態に陥り、徐々に僕たちは、ニュー・ヨークの同時代の光景の中に、僕たちの分裂した人格をはめ込んだ。と言うより、ニュー・ヨークは、僕たちを忘れて置きながら、僕たちを留まらせる。

This is not an account of the city's changes but of the changes in this writer's feeling for the city. From the confusion of the year 1920 I remember riding on top of a taxicab along deserted Fifth Avenue on a hot Sunday night, and a luncheon in the cool Japanese gardens at the Ritz with the wistful Kay Laurel and George Jean Nathan, and writing all night again and again, and paying too much for minute apartments, and buying magnificent but broken-down cars. The first speak-easies had arrived, the toddle was passe, the Montmartre was the smart place to dance and Lillian Tashman's fair hair weaved around the floor among the enliquored college boys. 

これは、都市の変化の報告ではなく、都市に対するこの執筆者の感覚の変化である。1920年の混迷から、僕は、熱狂的日曜の夜に人影のない五番アヴェニューをタクシの先端に乗ったこと、それに物悲しそうなケイ・ローレイやジョージ・ジーン・ネイサンとのリッツの落ち着いた日本庭園での昼食、それに何度も何度も徹夜して書いたこと、それにちょっとの間のアパートゥマントゥのために随分たくさん支払ったこと、それに素晴らしいのにポンコツの車を買ったことを覚えている。最初の話の気楽さには、到達し、よちよち歩きは時代遅れで、モンマルトルは、ダンスをするには気の利いた場所で、リリアン・タッシュマンの金髪は、フロアを囲む大学生たちの間を縫うように進んだ。

The plays were “Declassee” and “Sacred and Profane Love”, and at the Midnight Frolic you danced elbow to elbow with Marion Davies and perhaps picked out the vivacious Mary Hay in the pony chorus. We thought we were apart from all that; perhaps everyone thinks they are apart from their milieu. We felt like small children in a great bright unexplored barn. Summoned out to Griffith's studio on Long Island, we trembled in the presence of the familiar face of the “Birth of a Nation”; later I realized that behind much of the entertainment that the city poured forth into the nation there were only a lot of rather lost and lonely people. 

その芝居は、「デクラスィ―(退役)」「神聖で世俗的愛」又、真夜中の遊戯では、あなたは、マリアン・デイヴィ―ズとすぐ隣で踊ったり、多分、ポウニー・コーラスで快活なメアリ・ヘイをピックアップしたりする。僕たちは、僕たちがその全てから離れていると思った。多分、それらは、それらの中心から離れていると誰もが思う。僕たちは、やけに明るい未探検の納屋の中の幼い子供のように感じた。ロング・アイランドゥの上のグリッフィスの放送室に招集され、僕たちは、「国家の生誕」という家族的表情に直面して身震いした。後日、僕は、多くのエンターテインマントゥに隠れてということ、都市は、国家の中に前方を注ぎ込む。只。そこには、たくさんの、いや、そうではなく、道に迷い、孤立した人々がいるだけだと悟った。

The world of the picture actors was like our own in that it was in New York and not of it. It had little sense of itself and no centre: when I first met Dorothy Gish I had the feeling that we were both standing on the North Pole and it was snowing. Since then they have found a home but it was not destined to be New York.

映画俳優の世界、それはニュー・ヨークにいながら、それ(ニュー・ヨーク)製ではない僕たちのものに似ていた。それは、それ自身の能力はほとんど持たず、中核がない。僕が、最初にドロスィ・ギッシュに会った時、僕たちは揃って北極に立っているという感触を抱き、雪が降っていた。それ以来、彼らは、一軒の家を探し出したところで、それがニュー・ヨークだと運命づけられてはいなかった。

When bored we took our city with a Huysmans-like perversity. An afternoon alone in our “apartment” eating olive sandwiches and drinking a quart of Bushmill's whisky presented by Zoe Atkins, then out into the freshly bewitched city, through strange doors into strange apartments with intermittent swings along in taxis through the soft nights.

うんざりすると、僕たちは、ユイスマンスーつむじ曲がりのような、を僕たちの街に連れて来た。オリーヴ・サンドゥウイッティを食べながら、ゾウ・アトゥキンスに贈られたブッシュミルのウィスキ、一クオートゥを飲みながら、僕たちのアパートゥマントゥで1人きりの午後、その時、生き生きと魔法をかけられた街の中を通り抜け、見慣れないアパートゥマントゥの中の見慣れないドアを通して、静かな夜じゅう、タクシの中を伝って断続的にスイングする。

At last we were one with New York, pulling it after us through every portal. Even now I go into many flats with the sense that I have been there before or in the one above or below—was it the night I tried to disrobe in the Scandals, or the night when (as I read with astonishment in the paper next morning) “Fitzgerald Knocks Officer This Side of Paradise”? Successful scrapping not being among my accomplishments, I tried in vain to reconstruct the sequence of events which led up to this denouement in Webster Hall. 

ついに、僕たちは、あらゆる橋門を通って、僕たちの後ろにそれを引き寄せながら、ニュー・ヨークと一体化した。今でも、僕は、前に、そこへ行ったことがあるという感覚と共にフラトゥに入る。又、そのものの中に、上に或いは下にー夜だったろうか、僕は、スカンドゥルの中で脱がせようとしたり、或いは、(僕は、翌朝、驚いて新聞に読み入るんだが)、「フィッツジェラルドゥは、『こちら側は、パラダイス』の幹事をこきおろす?夜、僕の功績の中にないはずの成功の断片、僕は、ウエブスター・ホールで、この終局に導いた出来事の連続を虚しく再現しようとした。

And lastly from that period I remember riding in a taxi one afternoon between very tall buildings under a mauve and rosy sky; I began to bawl because I had everything I wanted and knew I would never be so happy again.It was typical of our precarious position in New York that when our child was to be born we played safe and went home to St. Paul—it seemed inappropriate to bring a baby into all that glamour and loneliness. But in a year we were back and we began doing the same things over again and not liking them so much.

そしてやっと、藤色とバラ色の空の下、非常に高いビルディングの真ん中で、或る午後、タクシに乗り込んだのを僕は覚えている。欲しかったもの全てを僕は持ち、僕は二度とこれ程幸せにはならないだろうと僕は得心したので、大声で僕は叫び出した。それは、僕たちのニュー・ヨークでのあやふやな身分の典型だった。僕たちの子供が、生まれる筈だった頃、僕たちは、危険を冒さず、セイントゥ・ポール目指して家路に着いたーあの魅惑と孤独の真っ只中へ赤ちゃんを連れて行くことはいいことではないように思えた。しかし、一年の内に、僕たちは、後戻りし、僕たちは、それがそんなに好きでもないのに、又、同じことをし始めた。

 We had run through a lot, though we had retained an almost theatrical innocence by preferring the role of the observed to that of the observer. But innocence is no end in itself and as our minds unwillingly matured we began to see New York whole and try to save some of it for the selves we would inevitably become.

僕たちは。一つの定めを走り抜けて来た、監視人の内、それに監視される者の役割を好むことで。ほとんど芝居じみた無邪気さを僕たちは、持ち続けはしたが。しかし、無知は、そのものに終わりがなく、僕たちの考えが、しぶしぶ成熟するに連れ、僕たちは、ニュー・ヨーク全体を見始め、僕たちが必ず相応しくなろうとした自分自身のために、その一部を取って置こうとする。

It was too late—or too soon. For us the city was inevitably linked up with Bacchic diversions, mild or fantastic. We could organize ourselves only on our return to Long Island and not always there. We had no incentive to meet the city half way. My first symbol was now a memory, for I knew that triumph is in oneself; my second one had grown commonplace—two of the actresses whom I had worshipped from afar in 1913 had dined in our house.

それは、遅過ぎたのかー或いは早過ぎたのか。僕たちの所為で、都市は、当然のようにバッカスの娯楽、大人しいか、空想的、と連結された。僕たちは、ロング・アイランドゥ、必ずしもそこではなかったが、への僕たちの再訪に関してだけは、僕達自身を組織できた。僕たちは、都市と交わる動機を持たなかった。僕の最初の象徴は、今は単なる思い出、何故なら、勝利は、自分自身の中にあると知ったから。僕の二番目のそれは、普通の立場になりー僕が、1913年以来ずっと熱愛した女優二人は、僕たちの家で食事をした。

 But it filled me with a certain fear that even the third symbol had grown dim—the tranquillity of Bunny's apartment was not to be found in the ever-quickening city. Bunny himself was married, and about to become a father, other friends had gone to Europe, and the bachelors had become cadets of houses larger and more social than ours. By this time we “knew everybody”—which is to say most of those whom Ralph Barton would draw as in the orchestra on an opening night.

それでも、三番目の象徴まで、曖昧(あいまい)になってゆくのは、確かな不安を伴い、僕に迫った。-バニーのアパートゥマントゥは、常態的急進都市に見受けられることはなかった。バニーその人は、結婚して、一人の父親になろうとしていたし、他の友人たちは、イウァラプに去り、独り者は、僕たちの属するものより、大規模で社会的な劇場の幹部候補生になった。この時までに、僕たちは、「全ての人を知った」ー謂わば、開演の夜、オ―ケストゥラでのように、ラルフ・バートンが描こうとするそれらの大半をである。

But we were no longer important. The flapper, upon whose activities the popularity of my first books was based, had become passe by 1923—anyhow in the East. I decided to crash Broadway with a play, but Broadway sent its scouts to Atlantic City and quashed the idea in advance, so I felt that, for the moment, the city and I had little to offer each other. I would take the Long Island atmosphere that I had familiarly breathed and materialize it beneath unfamiliar skies.

しかし、僕たちは、既に力はなかった。僕の初めての本の人気に基づいた活躍上の蝿叩きは、1923年までにー何れにせよ東部では、時代遅れになってしまった。僕は、戯曲を持って、ブロゥドゥウエイに押し掛けることにしたが、ブロゥドゥウエイは、そのスカウトゥをアトゥランチク・スィティに送り、前もって着想を破棄した。そこで僕は、さしあたり、その街と僕は、互いに提供し合うことは殆どないのだと、察した。不慣れな空の下、僕は無遠慮に呼吸をし、それを実現するというロング・アイランドゥの環境を、僕は必要とするのだ。

It was three years before we saw New York again. As the ship glided up the river, the city burst thunderously upon us in the early dusk—the white glacier by the Battery swooping down like a strand of a bridge to rise into “uptown”a miracle of foamy light suspended by the stars. A band started to play on deck, but the majesty of the city made the march trivial and tinkling. From that moment I knew that New York, however often I might leave it, was home.

それは、僕たちがニュー・ヨークで再会する三年前だった。船が川を滑るように上るにつれ、その都市は、日が暮れ始めると、僕たちの上で雷鳴のように炸裂した。ー「アップタウン(住宅地区)」泡のような明かりの奇跡の中に乗り上げるため、まるで橋の座礁のように襲い掛かる一連の白い氷河は、星によって吊るされている。デックでバンドゥが演奏し始めた。それにしても、都市の威厳は、つまらない、音を立てるだけのマーチを作った。その瞬間から、ニュー・ヨークは、どんなに繰り返し僕がそれを置き去りにしても、故郷だった。

The tempo of the city had changed sharply. The uncertainties of 1920 were drowned in a steady golden roar and many of our friends had grown wealthy. But the restlessness of New York in 1927 approached hysteria. The parties were bigger—those of Conde Nast, for example, rivalled in their way the fabled balls of the nineties; the pace was faster—the catering to dissipation set an example to Paris; the shows were broader, the buildings were higher, the morals were looser and the liquor was cheaper; but all these benefits did not really minister to much delight. 

都市のテムポゥは、急に変わった。1920年の無常は、確固とした繁栄のどよめきにかき消され、僕たちの友人の多くが、裕福になった。それにしても、1927年のニュー・ヨークの動揺は、ヒスティアリアの域に近付いた。パーティは、より大規模になった。ーコンデ・ナストゥのそれは、例えば、彼らの流儀で張り合った90の作り物の玉、そのペイスは、より速くー濫費がちのケイタリングは、パリスにお手本を示した。そのショウは、より広範囲に亘り、ビルディングは、尚高くなり、モラルは更に弛み、酒はますます安くなった。しかし、これらの利益は、実際、多くの楽しみ全てに奉仕しなかった。

Young people wore out early—they were hard and languid at twenty-one, and save for Peter Arno none of them contributed anything new; perhaps Peter Arno and his collaborators said everything there was to say about the boom days in New York that couldn't be said by a jazz band. Many people who were not natural alcoholics were lit up four days out of seven, and frayed nerves were strewn everywhere; groups were held together by a generic nervousness and the hangover became a part of the day as well allowed-for as the Spanish siesta. Most of my friends drank too much—the more they were in tune to the times the more they drank. And so effort per se had no dignity against the mere bounty of those days in New York, a depreciatory word was found for it: a successful programme became a “racket”—I was in the “literary racket”.

若い人々は、早くに外に出た。ー彼らは、21にして勤勉だが熱意がなく、ピーター・アルノを除いて、彼らの内、誰一人、新たに何らかの寄与をした者はいない。多分、ピーター・アルノとその共著者たちは、ジャズ・バンドゥによって語られようもないニュー・ヨークの急発展期について、口を開こうとしたのだ。成るべくして成ったアルカホリックではなかった多くの人々が、7から解き放たれ4日を光の下に置かれ、すり減らされた神経は、至る所に撒き散らされた。群れは、一般的な興奮によって、互いに制御され合い、二日酔いが、スペイン風の午睡同様ー斟酌(しんしゃく)され、昼間の務めになった。僕の友達の大部分が、あまりにも飲み過ぎた。ー彼らは、一致して時代に便乗すればするほど、彼らはますます飲んだ。だから,努力そのものが、ニュー・ヨークのあの当時の単なる施し物の前では、なんの価値もない。軽蔑的な言葉が、そのため見受けられた。成功したプロゥグラムは、「ラキットゥ(大混乱)」になった。ー僕は、「文学のラキットゥ(大混乱)」の只中にいた。

We settled a few hours from New York and I found that every time I came to town I was caught into a complication of events that deposited me a few days later in a somewhat exhausted state on the train for Delaware. Whole sections of the city had grown rather poisonous, but invariably I found a moment of utter peace in riding south through Central Park at dark towards where the facade of 59th Street thrusts its lights through the trees. There again was my lost city, wrapped cool in its mystery and promise. But that detachment never lasted long—as the toiler must live in the city's belly, so I was compelled to live in its disordered mind.

僕たちは、ニュー・ヨークから2、3時間に住んだものの、僕が町に出かける度毎に、僕は、いざこざの縺(もつ)れに巻き込まれるんだと僕は気付いた。僕は、数日後、デラウェアに向かう車上、少しへとへとになってしまった。都市の全区域が、かなり有害になっていた。しかし、変わることなく、 59番ストゥリートゥの正面が、木々を通り抜けた明かりを押し分ける方向に暗闇のセントゥラル・パークを通って、南を走破する時に、全くの平穏の瞬間を僕は見い出した。そこに、再び、その神秘性と約束に包まれた僕の夢中になった街はあった。しかし、その超俗は、長くは続かなかったー使役人が、都市の腹部に住まなければならないように、そう、僕は、その乱れた心に、住まざるを得なかった。

Instead there were the speakeasies—the moving from luxurious bars, which advertised in the campus publications of Yale and Princeton, to the beer gardens where the snarling face of the underworld peered through the German good nature of the entertainment, then on to strange and even more sinister localities where one was eyed by granite-faced boys and there was nothing left of joviality but only a brutishness that corrupted the new day into which one presently went out. Back in 1920 I shocked a rising young business man by suggesting a cocktail before lunch. In 1929 there was liquor in half the downtown offices, and a speakeasy in half the large buildings.

その代わり、そこには、潜(もぐ)り酒場があった。ー豪奢なバーから、それは、イエイルやプリンストンの構内出版物に広告を出していたが、暗黒街の歯を剥いて唸(うな)る顔が、余興の、人の良いドイツ人を通してじっと見つめるビアガードゥンへ、それに、人が意固地な表情の少年たちによってじろじろ見られる、奇妙で、更に邪悪でさえある場所の方への引っ越しで、そこには陽気どころか粗野なところも全く残されていなかった。人が、今留守となると、新規巻き直しの日を駄目にした。1920年に遡(さかのぼる)と、僕は、昼食の前にカクテイルを勧めて、上り坂の若いビズニス・マンをぎょっとさせた。1929年には、繁華街の会社の半分に酒が、大きなビルディングの半分に一軒のもぐり酒場があった。

One was increasingly conscious of the speakeasy and of Park Avenue. In the past decade Greenwich Village, Washington Square, Murray Hill, the chateaux of Fifth Avenue had somehow disappeared, or become unexpressive of anything. The city was bloated, gutted, stupid with cake and circuses, and a new expression “Oh yeah?” summed up all the enthusiasm evoked by the announcement of the last super-skyscrapers. My barber retired on a half million bet in the market and I was conscious that the head-waiters who bowed me, or failed to bow me, to my table were far, far wealthier than I. This was no fun—once again I had enough of New York and it was good to be safe on shipboard where the ceaseless revelry remained in the bar in transport to the fleecing rooms of France.

人は、徐々にもぐり酒場とパーク・アヴェニューに気付いた。過去十年で、グリーンウイッチ・ヴィリッジ、ワシントン・スクエア、マレイ・ヒル、五番アヴェニューのシャトウクスは、何故か姿を消したり、或いは、何かしら筆舌に尽くしがたいものになってしまった。都市は、膨れ上がり、腸(はらわた)を抜かれ、女たらしとストリップショウで知覚を失い、新しい言い回し「オゥ イエア?」は、究極的超摩天楼の広告によって引き起こされたあらゆる熱狂を要約した。僕の床屋は、市場(しじょう)で50万賭けて辞め、僕は、僕にお辞儀をしたり、又、僕にお辞儀をし損ったりするウエイタ長は、僕の卓に比べれば、遥かに遥かに僕より裕福だということを自覚した。これじゃあ、何の面白みもない。ー今度も、僕は、ニュー・ヨークについて十分知ったし、フランスの無一文にするだけの一組の部屋に向かう、我を忘れてきりのないお祭り騒ぎがバーに残った船上で、安全でさえあれば良かった。

“What news from New York?”

「ニュー・ヨークからどんなニュース?」

“Stocks go up. A baby murdered a gangster.”

「株が上がってる。女の娘(こ)がガングを殺した。」

“Nothing more?”

「もっと何かない?」

“Nothing. Radios blare in the street.”

「何もない、通りに、レィディオゥの騒々しい音も。」

I once thought that there were no second acts in American lives, but there was certainly to be a second act to New York's boom days. We were somewhere in North Africa when we heard a dull distant crash which echoed to the further-est wastes of the desert.

僕は、アメリカ暮らしにどんな二幕目もないと、嘗て思いはしたが、ニュー・ヨークの急発展期にあっては、確かに二幕目もなければならなかった。砂漠の荒れ地の更に遠くへ最も遠くへとこだました僕たちが無感覚になる程遠方の音響を耳にした時、僕たちは、北アフリカのどこかにいた。

“What was that?”

「あれは何だったの?」

“Did you hear it?”

「貴方はそれを聞きました?」

“It was nothing.”

「そんなの何でもなかったよ。」

“Do you think we ought to go home and see?”

「僕たちは、家に帰って確かめるべきだと思わない?」

“No—it was nothing.”

「いやーそんなの何でもなかった。」

In the dark autumn of two years later we saw New York again. We passed through curiously polite customs agents, and then with bowed head and hat in hand I walked reverently through the echoing tomb. Among the ruins a few childish wraiths still played to keep up the pretence that they were alive, betraying by their feverish voices and hectic cheeks the thinness of the masquerade.Cocktail parties, a last hollow survival from the days of carnival, echoed to the plaints of the wounded: “Shoot me, for the love of God, someone shoot me!”, and the groans and wails of the dying: “Did you see that United States Steel is down three more points?” My barber was back at work in his shop; again the head-waiters bowed people to their tables, if there were people to be bowed.From the ruins rose the Empire State Building, lonely and inexplicable as the Sphinx and, just as it had been a tradition of mine to climb to the Plaza Roof to take leave of the beautiful city, extending as far as eyes could reach, so now I went to the roof of the last and most magnificent of towers. 

二年後の陰鬱な秋に、僕たちは又、ニュー・ヨークを目の当たりにした。僕たちは、妙に丁寧な得意先代理店を通過し、それから、下げられた頭と手の中の帽子と共に、僕は、反響するばかりの墓を恭(うやうや)しく歩いた。廃墟の間を2、3子供じみた幽霊が、彼らは生きているんだという見栄を張り続ける外(ほか)ないかのように、今尚遊んだ。彼らの熱っぽい声と紅潮した頬によって、その虚構の薄っぺらさを暴露した。カクテイル・パーティ、謝肉祭の日々からの究極の上辺だけの生存が、負傷者の告訴状に、「僕を射ち殺してくれ。神の愛の代わりに、誰か僕を射ち殺してくれ!」臨終の呻き声と咽(むせ)び声に共鳴した。「ユナイティドゥ ステイツ スティールが、三ポイントゥ以上下がっているのを、貴方気付きましたか?」僕の床屋は、彼の店の仕事に戻った。再び、ウエイタ長は、彼らの卓の人々にお辞儀をした。もし、そこにお辞儀をされる人々がいれば。廃墟から、スフィンクスのように人気(ひとけ)のない、不可解な、まるで美しい都市に分かれを告げるために、プラザ・ルーフに登ることが、僕の一家の伝統だったかのように、目が捉(とら)えられる限り延長しているエムパイア・ステイトゥ・ビルディングを浮かび上がらせた。だから今、僕は最上の最も豪勢なタウアのてっぺんに向かった。