ミュニック(ミュンヘン)、僕達が不気味だと気付いたービアと煙草の煙の嫌な臭気、それにレスタラントの食事中の一心不乱の音;路面電車や汽車内の暑いほど装った、異常に膨れ上がった人の数;凶暴な役人達。そこに、子供達が訪れることを許されなかった、脅えさせるだけの遺体安置所。死んだどんな名士も遺体安置所に連れて行かれた、彼らは僕達に告げた、予(あらかじ)め椅子に収めて、一両日の間、威厳を持って座っているように。もし軍司令官、彼が彼の軍服を身に着けていたら;或いは市長の妻、彼女が彼女のシルクと宝石を身に付けていたら。糸は彼らの指に結ばれ、たった一本の糸のほんの僅かな動きで大きなベルの音を鳴らすだろう、もしも全ての後、死体に少しでも生命が残っていたら。僕は一度もこれの真実を確かめたことがなかった、しかしそれは僕にとっては十分真実だった。僕の祖父が死んだ時、およそ一年後、僕達の最後の訪問、僕は遺体安置所で彼を写真に写した、彼のもじゃもじゃの白髪、彼のモーニング・コウトゥ、彼のストゥライプのズボン、彼のシルクハトゥ、手袋、それに彼の傍らのテイブルの上の杖を。してみる、夜夢の中で、生きていることに;しかし彼は死んだと思い知るばかり。
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