今この時、僕に備わった装置のままであろうとして、僕は詩を書き始めた;そのハウスは僕の髪に乗せた形だけの麦藁より狂気のより強固な証拠と考えた。詩という強みの上に立って僕は校内雑誌に送った、The Carthusian、校内詩歌クラブー最も優れた7人のメムバに入るよう誘われた。その会合、詩の朗読と討論、はガイケンドールの寮で一月に一度開催された、当時学校の学年担任、今やハムステドゥの大学付属か理事スクールの校長。そのメムバは、4人は6学年、そして2人の男子は僕より1年半年上だった。僕自身と同じハウスの者は一人もいなかった。カルトゥジオ修道会で、違うハウスとか年齢の男子間ではどんな友情も成立しない。
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