それは金かも知れない;封印された瓶の中のトウモロコシの蓄えによく似て、或いは或る種の武器ーグリーク(ギリシャ)火薬、おそらく。僕がオウフセスの者や彼らの執事について知っていることから、その容器は嘗て彼らの骨董の中のよりましな
ものを持って来た、そこは想像を絶する。霊は城を歩いた、「赤い騎士」として知られた元男爵の霊、彼の恐ろし気な肖像画が、僕達のベドゥルームに導く小塔梯子(はしご)段を上る途中にずらっと掛けてあった。僕達はフェザ‐ベドゥに僕達の人生で初めて眠った。
ラフツァン、僕の祖父が買って破滅した状況から復活させた、はオウフセスの持つ伝統には肩を並べることはできなかった。そこは、暫(しば)しバヴァリアン(バイエルン)国王の狩猟用山荘ではあったが。今なお二つの霊はその場所と共に歩んだ;農園の労働者達は頻繁に彼らを見かけた。その内の一つは、馬なしで猛然と漕いでやって来る乗り物だった、自動車の時代の前、真近に迫る恐怖を広めた。子供の頃から晩さん会のホールに出かけもしないで、その実寸を思い出すにしてもそれは難しいと僕は気付く。それは大聖堂と同じ大きさのような気がした。ステインドゥグラスの家紋の窓があり、剥き出しの床板がテイブルと椅子の小さな島々のある四隅に備え付けられているだけ;燕(つばめ)が天井の側面に沿ってずっと巣の列を築き上げて来た。
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