https://naritaetuko.jp成田悦子の翻訳テキストとちょっとしたこと

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2011年6月19日日曜日

カントに帰ろう

高校一年生の時に曽田先生という講師の方に現代国語を習いました。

国語は小学生の頃からどの科目より好きでした。
小学生の間、私はいつも兄弟の辞書を使いました。
私は複式の小学校に通い、兄弟とは年子でしたから、同じクラスになることもありました。
兄弟の辞書を借りるということが、恥ずかしいことのように思ったこともありました。
最初に辞書を買って貰ったのは、おそらく小学校高学年か、中学生になってからです。

今もBloach「ni-na」「涸れた倦み」に毎日詩を書いています。
一日に二つ書くのは大変な日もあります。
私の考え方は、カントに近いことを知り、今、知性、理性、感性、弁証法等を詩にしています。
高校三年生の時に、純粋理性批判は、少し読みました。
今読むと又違って見えるのではないかと思い、カントの哲学書五冊を注文しました。

純粋理性
ア・プリオリ(先験的、先天的)な認識の能力
狭義では、感性・悟性と区別されイデーに関わる高い思考能力
広義では、感性・悟性・狭義の理性を含むア・プリオリな認識能力全体を指す
カントは、純粋理性を批判しています。

・感性
感覚によって呼び起こされ、それに支配される体験
従って、感覚に伴う感情や衝動・欲望をも含む
理性によって制御されるべき欲望
・悟性
感性的所与を対象とし、それに基づいて概念を構成し、判断及び推論を行なう精神活動
論理の規則に従って思考する能力
広く、知性一般のこと
・理性
概念的思考能力
カントの用法
ア・プリオリな原理の能力の総称
認識に関するもの理論理性
行為の原動力となるもの実践理性

カントは、認識は対象の模写ではなく、主観(意識一般)が感覚の所与を秩序付けることによって成立すると言っています。
認識は経験と共に始まるが、先験的(ア・プリオリ)形式によって形成され、物自体を不可知とした。

実存哲学、プラグマティズム、マルクス主義哲学等の台頭により認識論の優位、認識論を形而上学の根拠付けと見るカント的哲学は批判の対象となった。

形而上
形式を離れたもの、無形
形がなくて心だけに知られるもの

以上、基本的な、言葉の説明を広辞苑、百科事典を、辞書を使って記して置きます。

私が高校一年生の時に習った講師の曽田先生は、こう言っています。

美しいことば、美しい文章は、声に出してもらいたがっています。
自分たちの美を残りなく汲み取ってもらうために、そうして国語をいっそう愛してもらうために、彼らはあなた方の口と耳とをもっと働かせたがっているのです。

私は自分の詩を声に出して読みます。
声に出して読んだ時に美しいと思える詩を書きます。
私は、私が声を出して読んだ詩は、文字を読んだ詩の何倍ものことを貴方に伝えることが出来ると思っています。

13:03 2011/06/19土曜日