https://naritaetuko.jp成田悦子の翻訳テキストとちょっとしたこと

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2019年3月1日金曜日

東大全共闘、全国全共闘連合代表山本義隆加藤一郎の日本国土略奪日本人淘汰6

原子核は原子と比べて非常に小さく、水素の原子核(陽子)が最も小さい。
水素原子核以外では、その狭い空間に正電荷をもった陽子が複数存在するため、互いに大きな斥力(電磁気力)を受ける。
この斥力に打ち勝って原子核を安定に存在させているのは、中性子の作用である。

中性子(neutron)とは、原子核を構成する粒子のうち、無電荷の粒子。
平均寿命は約15分でβ崩壊を起こし陽子となる。
原子核は、陽子と中性子と言う2種類の粒子によって構成されている為、この2つを総称して核子と呼ぶ。

陽子(ようし、羅: 蘭: 独: 仏: 英: proton)とは、原子核を構成する粒子のうち、正の電荷をもつ粒子である。
陽子とともに中性子によって原子核は構成され、これらは核子と総称される。
水素(軽水素、1H)の原子核は、1個の陽子のみから構成される。
電子が離れてイオン化した水素イオン(1H+)は陽子そのものであるため、化学の領域では水素イオンをプロトンと呼ぶことが多い。
陽子、中性子の核子間には中間子を媒介した核力が引力として働き、これが電磁気的反発力に打ち勝って原子核を安定化させている。
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湯川秀樹は、
1934年(昭和9年)に中間子理論構想を、
1935年(昭和10年)に「素粒子の相互作用について」を発表し、中間子(現在のπ中間子)の存在を予言する。
日中戦争の激化に伴い欧米諸国から孤立しつつあった日本の科学者は海外からなかなか評価されなかったが、湯川は1939年のソルベー会議に招かれた。
会議自体は第二次世界大戦勃発で中止されたものの、渡米してアインシュタインらと親交を持った。

湯川秀樹は、1907年(明治40年)1月23日に生まれる。
湯川秀樹の父は、1908年京都帝国大学教授に就任する。
大学教授が大学卒とは限らない時代、義務教育が始まっていない時代に、湯川秀樹の父は、1908年京都帝国大学教授に就任する。
湯川秀樹の父も湯川秀樹も、義務教育も受けていないと、私は断定する。

素粒子の相互作用は、加熱、磁力、摩擦、硫酸etc.の化学薬品などの特定の力を用いているくせに、相互作用があると科学者は、決まって言う。
粒粒があって、そこに置いてあるだけで、相互に作用する筈がない。
中間子(現在のπ中間子)の存在の予言だけなら、誰でも出来る。
中間子は、危険な何か、倫理に反する何かである。

1949年(昭和24年)にノーベル物理学賞を受賞した。
私が生まれた年である。
湯川秀樹は、日本人の体内に電池を入れ、磁力を生み出し、放射能生成装置である電気製品の大衆化を促進する。
何時でも病気にして、何時でも怪我をさせ、何時でも殺せるようにした。
ノーベル物理学賞を受賞の研究内容が、よく変わるのは、物理学自体に問題がある事と、ノーベル賞にも問題があるから。

山本義隆は、湯川秀樹である。
湯川秀樹は、三浦光一で五木ひろしである。

22:02 2019/03/01金