Sinnò me moro

Amore, amore, amore, amore mio, In braccio a te, me scordo ogni dolore! Vojo resta co'te, sinnò me moro, Vojo resta co'te, sinnò me moro, Vojo resta co'te, sinnò me moro…  Nun piagne amore

Sinno me moro(Un maledetto imbroglio 刑事)

自己紹介 成田悦子毎日少しずつ主に英文学の過去の小説を紹介しています。私の遣り方は原文をそのまま生かし、イギリス人、イギリスという国そのものの文字を通した姿を過去に遡って見せ、貴方同様私が学ぶ

自分の写真
暑いし, リチウム電池入りロボ県内, Japan
GooNTTレゾナントは私のブログを4つ非表示にし、「詩を全部削除しろ」と詩人である私に言っています。

Gooは猥褻サイトの記事は問題がないと言います。私の住所・氏名・電話番号まで書き込んで「きちがい、前科三犯」と書くサイトの規約違反を指摘しても、「貴方は一体どうしたいのですか?」と言います。削除して欲しいに決まっています。そんなことも分からないのに、「鳥居正宏」という偽名の社民党員の要請で四つのブログを非表示にしています。私は「鳥居正宏」の中傷記事を書いたことは一度も無く、中傷されたコメントを載せたことが一度あっただけです。しかしそのコメントは、社民党と自公政権が不正に侵入して直ぐに削除して非表示の要請があった時にはありませんでした。あれから20数年Gooも消えます。私が消えていないことはいい兆し。正義は私の下にある。当面翻訳中心の生活です。

成田悦子翻訳小説.orgで翻訳中 「Youth 」Joseph Conrad, The Grapes of Wrath Jhon Steinbeck

https://naritaetuko.org

https://naritaetuko.org 成田悦子翻訳小説.org Youth Joseph Conrad https://naritaetuko.jp成田悦子の翻訳テキストとちょっとしたこと

ブログ 成田悦子翻訳小説.org Youth Joseph Conrad, The Grapes of Wrath Jhon Steinbeck

ブログ アーカイブ

2019年2月26日火曜日

東大全共闘、全国全共闘連合代表山本義隆加藤一郎の日本国土略奪日本人淘汰2

東大闘争は、医学部闘争に便乗したもので、東大生に改善したい事も、改善しなければならない事も、全くなかった。
マルクスエンゲルスを説いた大河内学長は、責任を問われて退官し、加藤一郎が東大総長におさまった。

加藤一郎が師と仰ぐ我妻栄理論を読むと、尤もらしいが、騙しに過ぎない。
持たざる者が、持つ者から、或いは、持つ者が、持たざる者から理不尽に奪う事を、いかに正当化するかの法制定を、我妻栄、加藤一郎両者は進めた。
1962年から1963年にかけてのハーバード大学ロースクール留学で、アメリカの指示を仰ぎ、東大闘争を影から扇動した。
1968年、東京大学法学部長、同年東大紛争により東京大学総長代行、1969年から1973年まで同総長を務める。
この間、東大医学部は、東大生だけでなく、全国の全共闘の学生、その家族の脳に機械を入れ、ロボトミー手術を施した。
アメリカのロボットの大量生産の心算だろうが、うまくいっていると思っている政治家も学者もいない。
私達は、ヒトである事を、貴方方がいとも簡単に捨てた様に捨てる事はない。

その後、加藤一郎は、脳死、臓器移植の法制定に向かう。
所有権は、物資の個性を捨てて自由なものとなり・・・の我妻栄理論(悪魔の論理)を全うし、ヒト不在、人工知能、ロボット優先社会の構築に力を貸す。



WIKIPEDIAより
加藤一郎は、
我妻栄の指導の下、戦中時より民法の研究に従事する。
戦後の1946年、横浜経済専門学校(現・横浜国立大学)講師となる。
1948年には東京大学法学部助教授となり、1957年には同大の教授。
その間、師である我妻栄の下で民法改正や農地法制定などの調査作業を行った
1954年、青年法律家協会の発起人となった。
1957年、理論的な体系書『不法行為』(有斐閣法律学全集)を出版。
1961年、法学博士号(東京大学、学位論文「不法行為」)を取得。
1962年から1963年にかけてハーバード大学ロースクールへ留学
1968年、東京大学法学部長、同年東大紛争により東京大学総長代行
1969年から1973年まで同総長。
1978年から1983年まで東京大学社会科学研究所教授併任。

WIKIPEDIAより
我妻栄は、師である鳩山の研究に依拠したドイツ法由来の解釈論を発展させて、矛盾なき統一的解釈と理論体系の構築を目指すとともに、資本主義の高度化によって個人主義に基礎を置く民法の原則は、取引安全、生存権の保障といった団体主義に基づく新たな理想によって修正を余儀なくされているので、条文の単なる論理的解釈では社会生活の変遷に順応することはできないとした上で、「生きた法」である判例研究の結果に依拠した法解釈を展開した。
このような我妻理論・体系は、鳩山、末弘、穂積の学説を総合したものといえ、理論的に精緻であるだけでなく、結論が常識的で受け入れやすいとの特徴があったことから学界や実務に大きな影響を与え続け長らく通説とされた。

我妻の生涯の研究テーマは「資本主義の発達に伴う私法の変遷」であり、その全体の構想は、所有権論、債権論、企業論の3つからなっている。

後掲「近代法における債権の優越的地位」は1925年から1932年に発表された論文を収録したもので、債権論と所有権論がテーマとなっているが、その内容は以下のとおりである。前近代的社会においては、物資を直接支配できる所有権こそ財産権の主役であったが、産業資本主義社会になると、物資は契約によって集積され資本として利用されるようになり、その発達に従い所有権は物資の個性を捨てて自由なものとなり、契約・債権によってその運命が決定される従属的地位しか有しないものとして財産権の主役の座を追われる。これが我妻の説く「債権の優越的地位」であるが、その地位が確立されることにより今度は債権自体が人的要素を捨てて金銭債権として合理化され金融業の発達を促す金融資本主義に至る。我妻は、このような資本主義発展の歴史をドイツにおける私法上の諸制度を引き合いに出して説明し、このような資本主義の発達が今後の日本にも妥当すると予測した。

我妻は、金融資本主義の更なる発達によって合理化が進むと、企業は、人的要素を捨てて自然人に代わる独立の法律関係の主体たる地位を確立し、ついには私的な性格さえ捨てて企業と国家との種々の結合、国際資本と民族資本との絶え間なき摩擦等の問題を産むと予測し、企業論において、会社制度の発展に関する研究によって経済的民主主義の法律的特色を明らかにするはずであったが、その一部を含む後掲『経済再建と統制立法』を上梓したのみで全体像は未完のままとなっている。上掲のとおり我妻の予測は現代社会にそのまま当てはまるものも多く、「近代法における債権の優越的地位」は日本の民法史上不朽の名論文とされている。

つづく

0:51 2019/02/26