安田講堂は、安田財閥の創始者・安田善次郎の、匿名を条件での寄付により建設された。
安田銀行は、諸官庁の両替及び金銀取り扱いの御用達となり、無利子で官金を引き受け運用し業務を拡大して行った。
寄付による建設は、国へのお礼と今後も変わらぬお付き合いを、という意味だろう。
安田銀行は、1929年(昭和4年)台湾銀行頭取の鳥取県出身森広蔵を番頭に抜擢する。
東大と東大出身官僚、安田銀行、芙蓉グループが、台湾系とも言われかねない偏った状態になったのは、この事が影響していると考える。
森広蔵が、終戦の前年に死んでいる事も気になる。
日本の戦時の国家予算が、台湾閨閥と化した安田銀行、芙蓉グループに渡り、日本は逼迫の度を極める。
安田銀行、芙蓉グループから台湾国民党政府蒋介石へ、更に中国共産党毛沢東へと金塊が手渡される。
それが、第二次世界大戦の目的の一つだった。
安田講堂は、美しい。
東大医学部に進んだ恵まれた学生やインターンの待遇に一般学生が同調して、何時までも占拠する事など、絶対ないと断言する。
自分達が他に移動すれば機動隊による放水も破壊もない。
大学側が、9ヶ月も傍観に近い状態でいたのも、故意であり、怠慢であり、安田講堂解体を望んでの事と思われかねない。
0:05 2019/02/28木
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