自己紹介 成田悦子毎日少しずつ主に英文学の過去の小説を紹介しています。私の遣り方は原文をそのまま生かし、イギリス人、イギリスという国そのものの文字を通した姿を過去に遡って見せ、貴方同様私が学ぶ

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暑いし, リチウム電池入りロボ県内, Japan
GooNTTレゾナントは私のブログを4つ非表示にし、「詩を全部削除しろ」と詩人である私に言っています。

Gooは猥褻サイトの記事は問題がないと言います。私の住所・氏名・電話番号まで書き込んで「きちがい、前科三犯」と書くサイトの規約違反を指摘しても、「貴方は一体どうしたいのですか?」と言います。削除して欲しいに決まっています。そんなことも分からないのに、「鳥居正宏」という偽名の社民党員の要請で四つのブログを非表示にしています。私は「鳥居正宏」の中傷記事を書いたことは一度も無く、中傷されたコメントを載せたことが一度あっただけです。しかしそのコメントは、社民党と自公政権が不正に侵入して直ぐに削除して非表示の要請があった時にはありませんでした。あれから20数年Gooも消えます。私が消えていないことはいい兆し。正義は私の下にある。当面翻訳中心の生活です。

成田悦子翻訳小説.orgで翻訳中 「Youth 」Joseph Conrad

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2012年7月3日火曜日

I felt a Funeral, in my Brain280/Emily Dickinson翻訳

I felt a Funeral, in my Brain,
And Mourners to and fro
Kept treading — treading — till it seemed
That Sense was breaking through —
私は私の頭に野辺送りの列を思い浮かべていた
実際、悲しんで嘶(いなな)く者は、行ったり来たり
抑え続けていた ― ひたすら抑えていた ―
気持ちが張り裂けそうに感じられるまで

And when they all were seated,
A Service, like a Drum —
Kept beating — beating — till I thought
My Mind was going numb —
それから、人々が皆着席すると
儀式というものは、ドラムに似て―
打ちのめし続けた ― ただただ鞭打つ ―
正気が感覚を失くしてしまいそうだと思うまで ―

And then I heard them lift a Box
And creak across my Soul
With those same Boots of Lead, again,
Then Space — began to toll,
その時、馬を入れる仕切りを持ち上げる音が聞こえた
そして更に、例の(乗馬)ブーツとリード(手綱)の力によって
両側に跨(またが)った私の魂を軋(きし)らせる
それから虚空に ― 鐘を打ち鳴らし始めた

As all the Heavens were a Bell,
And Being, but an Ear,
And I, and Silence, some strange Race
Wrecked, solitary, here —
至福は悉(ことごと)くベルのようで
そして存在は ― 聴覚に過ぎない
けれどもこの私、無口、どこか変わった人種
打ちひしがれて、一人、此処に―  

And then a Plank in Reason, broke,
And I dropped down, and down —
And hit a World, at every plunge,
And Finished knowing — then —
するとその時、筋書き通り厚板が開いた
と同時に私は落下した、何処までも―
進退極まって、ようやくこの上なく大切な事に気付く
理解する事はもうお終いにした―その時―

・・ Emily Dickinson・・

・Mourner・・「悲しんで言う人」の意味です。
しかし、この詩では競馬の馬を人に喩えていますので、「悲しんで嘶(いなな)く者」と訳しました。
・those same・・例の
・a Bell・・「ゴールは幸せ」競馬の始まる鐘の音と、Anne・Bronte、Charlotte・Bronte、Emily・Bronte姉妹の筆名と、二つの事をa Bellと表現しています。
シャーロットは『ジェーン・エア』、エミリーは『嵐が丘』、アンは、『ワイルドフェル屋敷の人々』を発表しています。
教会の鐘の音の意味も含んでいます。
Emily Dickinsonは、洗礼を拒否した事があると言われていますから、教会への思い入れは、人一倍だったはずです。
幸福(鐘の音)になる事、幸福であると感じる事は、この詩を書いた当時のEmily Dickinsonにとって、強制されたものであったと考えます。
人は幸福でなければならないと、現在でも頻りに世間が言います。
幸福というものは、ある様でない様で、あったからと言ってどうという事もなく、不幸だからと言って幸福ではないというものでもありません。
不遇は、それはそれで生きる意欲をそそるものです。

16:35 2012/07/03火曜日


思潮社は、私の翻訳を盗んで翻訳者を犯罪に巻き込む事を止めなさい。
学者や詩人個人に責任を押し付けてはいけません。
思潮社は、今後こういうやり方をしていると、詩人、翻訳者から背を向けられるでしょう。
思潮社から出版する詩人と翻訳者を国民が拒否する日が必ず来ます。

中国も台湾も、アメリカの詩人の翻訳は出来ませんから・・・
翻訳を盗む事など明らめなさい。

共産圏にこの詩を翻訳出来る人はいません。
日本語と過去の日本人の在り様(よう)は、英語と英語圏の人々によく似ています。
ですから年を重ねた私は翻訳することが出来ます。
海外詩の翻訳者は、英其の他の外国語文学者の場合が多く、彼らに過剰な期待をし、翻訳が完璧であると確信して来た出版社の考え方が間違っています。

灵石
我觉得脑子里有一场葬礼,
往来的悼念者脚步杂沓,
踩啊——踩啊——到了后来
所有感觉仿佛慢慢坍塌——
……

然后,意识里的木板突然断裂,
我不由自主地往下掉,往下掉——
掉一层就撞上一个新的世界,
然后,我就不再知晓——然后——

狄金森 - 我觉得脑子里有一场葬礼
灵石 译
E-text at 中华诗库:国际诗库:外国诗歌:狄金森诗选

[訳者未確認]
我感觉葬礼,在我脑中举行
哀悼者来来往往
不停踱步——踱步——直至
我的感官如开裂一般
(……)

旋即理智的木板,断裂
我往下跌落,往下——
每次跌落,撞击一个世界
继而——失去知觉——

狄金森 - 我感觉葬礼,在我脑中举行
E-text at 狄金森诗抄_六经七尺_新浪博客

岩田典子 1982・・岩田さんの訳し方は、世界の翻訳の主流で、全部を占めています。
わたしは頭のなかに 葬式を感じた
会葬者があちこち
踏みつづけ
感覚がなくなるかと思った

(……)

理性の背もたれも壊れ
わたしは下へ下へ落ち
つきあたっては 新しい世界へ入った
するともうなにもわからなくなってしまった——

エミリ・ディキンスン=作 岩田典子(いわた・みちこ)=訳 P280
『エミリ・ディキンスン—愛と詩の殉教者』 創元社 1982/11/20