梶井基次郎の「蒼穹」は、四ページにも満たない昭和三年三月に書かれた小説です。
昭和初期は、小説そのものが、詩と成り得た時代です。
梶井基次郎が当たり前のように持っていた言葉は、私の中にありません。
何時の間にか失われた日本人の言語と表現が創り出す小説の世界は、日本独特の情緒を誘い、何とも言えない満たされた気持ちにさせてくれます。
彼らの時代は、モノを書くということが現在に比べるとかなり楽だったのではないか、と思います。
・
「蒼穹」の感想は、又書きます。
・
内閣総理大臣吉田茂は、昭和二十一年十一月十六日各官庁に内閣訓令第八号を告示します。
・
「国語を書きあらわす上に、従来のかなづかいははなはだ複雑であって、使用上の困難が大きい。
これを現代語音にもとづいて整理することは、教育上の負担を軽くするばかりでなく、国民の生活能率をあげ、文化水準を高める上に、資するところが大きい。それ故に、政府は、今回国語審議会の決定した現代かなづかいを採択して本日内閣告示第三十三号をもって、これを告示した。今後各官庁においては、このかなづかいを使用するとともに、広く各方面にこの使用を勧めて、現代かなづかい制定の趣旨の徹底するように努めることを希望する。」
・
吉田茂のプロフィールは頻繁に変更されます。
特に戦争前後の記述は私の目の前で変更されています。
国会議員はプロフィールをよく変更しますから、信頼出来る情報であると断言は出来ません。
が、勉強の出来る、学業優秀だったとは言えない人です。
たった一人の、子供の頃勉強嫌いだった男が、日本語の仮名遣いと発音を変えてしまいました。
「複雑である」というのがその理由です。
・
吉田茂や国会議員達にとって複雑であっても、現代仮名遣いしか知らない私でさえ、旧仮名遣いなど実に簡単なのに??
「国会議員というものは、何時の時代もアタマワリイなあ」と思います。
旧仮名遣いは、簡単です。
私は昭和二十四年(1949)生まれで、旧仮名遣いを習っていません。
習ったことがなくても、全部知っています。
・
生活能率をあげ
文化水準を高める
はあ?
現在、 首都は真っ暗闇、東海地方以北太平洋側は壊滅状態、マスク人間、不審なマスク警官等が横行・・・
生活能率と文化水準は高まりました?
第一、生活能率を高めるとはどういうことなのか?
文化に水準や基準があるのですか?
・
生活能率は、言語の変更によって高まるとは思えません。
又、生活の能率というものを重要視すること自体無意味です。
私は性格上、非常に能率的に生活しています。
しかし、言葉は複雑である程良い、私に似合った非効率的で美しい言葉である程良いと考えます。
言葉は一音であっても良いし、二音であっても良い。
一音で表される言葉もあるにはある。
五音で表される言葉もある。
様々な単語の組み合わせを複雑にすればする程表現し易く、絵画(くわいが) といった具合に、表記と発音が違っている方が、面白い。
考える力を養うのは、複雑な言語です。
言語が複雑であればある程、人の思考は複雑化し、且つ、表現する場合においても、分かり易い。
・
私は詩を書いています。
現代仮名遣いより、旧仮名遣いを使う方が創作意欲が湧きます。
当用漢字の制定などによって、梶井基次郎が生きた明治、大正、昭和初期に比べ、私達が使う漢字、単語自体、大幅に減っています。
日本政府が故意に減らして来ました。
子供達の言葉を聞いて下さい。
巻き舌を使い、発音の切れが悪く、一音一音が流れます。
今や大河ドラマは、幼稚な発音の出演者によって、幼稚園の芝居並み、吉本のお笑い番組並みになってしまいました。
・
言語によって、人の生活は確かに大きく変わります。
但し、吉田茂の云うこととは逆方向の変化を齎します。
言語の簡素化が及ぼす影響は、計り知れません。
・
「壁の絵の説明をしたい」、と私が思います。
使うことの出来る単語は、三つより八つの方が分かり易く説明出来ます。
表記は、発する音とずれている方が豊かな気持ちになります。
日常的に使う言語は、複雑であればあるほど、豊かな文化を育てます。
現在は、出版社が乱立し、読まれもしない本が数多く出版されています。
嘗(かつ)ては、出版社の数も少なく、出版社など全く無かった時代もあります。
出版される本は少なかったのですが、愛しいと思える本がたくさんありました。
・
日本語は、母、父から子供に受け継がれます。
特に子供を産み、乳幼児期に子供と接する時間が長い母親の果たす役割は非常に大きく、
母親が子供の言語能力を決定すると言って良いでしょう。
既に失われてしまった日本語を取り戻さなければなりません。
時間がかかります。
理由は、母親が日本語の伝承者としての役割を果たすことが出来ない状態になってしまっていること、教師も同じ状態であるからです。
・
しかし、未だ団塊世代と団塊ジュニア世代がいます。
この世代に日本の能力が結集しています。
言語能力に関しても同じです。
日本政府は、この世代の活用を考えなければなりません。
有識者という名で括られる人々が、この日本語の惨憺たる結果を招いたのですから、出来たら選別の上、除外することを考えて欲しいと思います。
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2:17 2011/05/29日曜日
昭和初期は、小説そのものが、詩と成り得た時代です。
梶井基次郎が当たり前のように持っていた言葉は、私の中にありません。
何時の間にか失われた日本人の言語と表現が創り出す小説の世界は、日本独特の情緒を誘い、何とも言えない満たされた気持ちにさせてくれます。
彼らの時代は、モノを書くということが現在に比べるとかなり楽だったのではないか、と思います。
・
「蒼穹」の感想は、又書きます。
・
内閣総理大臣吉田茂は、昭和二十一年十一月十六日各官庁に内閣訓令第八号を告示します。
・
「国語を書きあらわす上に、従来のかなづかいははなはだ複雑であって、使用上の困難が大きい。
これを現代語音にもとづいて整理することは、教育上の負担を軽くするばかりでなく、国民の生活能率をあげ、文化水準を高める上に、資するところが大きい。それ故に、政府は、今回国語審議会の決定した現代かなづかいを採択して本日内閣告示第三十三号をもって、これを告示した。今後各官庁においては、このかなづかいを使用するとともに、広く各方面にこの使用を勧めて、現代かなづかい制定の趣旨の徹底するように努めることを希望する。」
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吉田茂のプロフィールは頻繁に変更されます。
特に戦争前後の記述は私の目の前で変更されています。
国会議員はプロフィールをよく変更しますから、信頼出来る情報であると断言は出来ません。
が、勉強の出来る、学業優秀だったとは言えない人です。
たった一人の、子供の頃勉強嫌いだった男が、日本語の仮名遣いと発音を変えてしまいました。
「複雑である」というのがその理由です。
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吉田茂や国会議員達にとって複雑であっても、現代仮名遣いしか知らない私でさえ、旧仮名遣いなど実に簡単なのに??
「国会議員というものは、何時の時代もアタマワリイなあ」と思います。
旧仮名遣いは、簡単です。
私は昭和二十四年(1949)生まれで、旧仮名遣いを習っていません。
習ったことがなくても、全部知っています。
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生活能率をあげ
文化水準を高める
はあ?
現在、 首都は真っ暗闇、東海地方以北太平洋側は壊滅状態、マスク人間、不審なマスク警官等が横行・・・
生活能率と文化水準は高まりました?
第一、生活能率を高めるとはどういうことなのか?
文化に水準や基準があるのですか?
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生活能率は、言語の変更によって高まるとは思えません。
又、生活の能率というものを重要視すること自体無意味です。
私は性格上、非常に能率的に生活しています。
しかし、言葉は複雑である程良い、私に似合った非効率的で美しい言葉である程良いと考えます。
言葉は一音であっても良いし、二音であっても良い。
一音で表される言葉もあるにはある。
五音で表される言葉もある。
様々な単語の組み合わせを複雑にすればする程表現し易く、絵画(くわいが) といった具合に、表記と発音が違っている方が、面白い。
考える力を養うのは、複雑な言語です。
言語が複雑であればある程、人の思考は複雑化し、且つ、表現する場合においても、分かり易い。
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私は詩を書いています。
現代仮名遣いより、旧仮名遣いを使う方が創作意欲が湧きます。
当用漢字の制定などによって、梶井基次郎が生きた明治、大正、昭和初期に比べ、私達が使う漢字、単語自体、大幅に減っています。
日本政府が故意に減らして来ました。
子供達の言葉を聞いて下さい。
巻き舌を使い、発音の切れが悪く、一音一音が流れます。
今や大河ドラマは、幼稚な発音の出演者によって、幼稚園の芝居並み、吉本のお笑い番組並みになってしまいました。
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言語によって、人の生活は確かに大きく変わります。
但し、吉田茂の云うこととは逆方向の変化を齎します。
言語の簡素化が及ぼす影響は、計り知れません。
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「壁の絵の説明をしたい」、と私が思います。
使うことの出来る単語は、三つより八つの方が分かり易く説明出来ます。
表記は、発する音とずれている方が豊かな気持ちになります。
日常的に使う言語は、複雑であればあるほど、豊かな文化を育てます。
現在は、出版社が乱立し、読まれもしない本が数多く出版されています。
嘗(かつ)ては、出版社の数も少なく、出版社など全く無かった時代もあります。
出版される本は少なかったのですが、愛しいと思える本がたくさんありました。
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日本語は、母、父から子供に受け継がれます。
特に子供を産み、乳幼児期に子供と接する時間が長い母親の果たす役割は非常に大きく、
母親が子供の言語能力を決定すると言って良いでしょう。
既に失われてしまった日本語を取り戻さなければなりません。
時間がかかります。
理由は、母親が日本語の伝承者としての役割を果たすことが出来ない状態になってしまっていること、教師も同じ状態であるからです。
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しかし、未だ団塊世代と団塊ジュニア世代がいます。
この世代に日本の能力が結集しています。
言語能力に関しても同じです。
日本政府は、この世代の活用を考えなければなりません。
有識者という名で括られる人々が、この日本語の惨憺たる結果を招いたのですから、出来たら選別の上、除外することを考えて欲しいと思います。
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2:17 2011/05/29日曜日