彼が神経質に「週に一時間。それは大いに貴女を救います。」と言った時、頼むのは些細なことのように思った。それに、今、私は時間の全てを持っていないか?私は本を読んでもいい、又映画に行っても良く、私は言葉を解さず、又映像を思い出せない。私自身と私の持つ惨めさが、私の耳の中で太鼓を打ち、私の目に溢れる。この午後のちょっとの間に、私はそれを忘れた。「はい、」私は言った。「私は来ます。時間を割くのは、それは貴方にも望ましい。」私は言った。私は、彼の保護の中で私に可能な全ての望みをシャヴルで掬いながら、神に祈りながら、彼は、私を救済すると誓っていた、「私を彼に用いて下さい。」
1945・10月2
今日、それはとても暑く、その上雨が滴り落ちていた。そこで私は、暫く腰を下ろす為に、パーク・ロウドゥの角の暗い教会の中に入って行った。ヘンリは家に居たが、私は彼を見たくなかった。私は、朝食時、優しいということを思い出そうとする、彼が家にいる昼食時の優しさ、夕食時の優しさ、そして時々私が忘れると、彼は逆に優しい。命ある限り互いに優しくあろうとする二人。私が入り、座って、辺りを見た時、そこは、石膏の塑像と悪趣味な美術品、写実主義的美術品で溢れ返ったロウマン教会だと悟った。私は、塑像やクライストゥ受難の像、あらゆる人体の強調を嫌った。私は人間の体から逃げ出そうとしていたし、全くそれが急務だった。私は私達自身とは無縁に生み出された或る種、神のようなもの、何か曖昧で無定形で、宇宙的なものを信じられると思った。それに対して、私は何かを誓い、そしてそれは、お返しとして私に何かを授けた―有形の人間の生命へと曖昧さの外へ伸びる椅子と壁の間を精力的に動く蒸気のように。
157