https://naritaetuko.jp成田悦子の翻訳テキストとちょっとしたこと

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2019年8月20日火曜日

作詞家は生きているのに死亡と書かせて他の名で書き続けるのではなく先ずは謝罪しなければならない。

漣健児(さざなみけんじ)
1931年2月4日東京生まれの訳詞家(作詞家)。
本名、草野昌一。株式会社シンコーミュージック・エンタテイメント前代表取締役会長。1951年9月、早稲田大学第一商学部在学中に父親の経営する新興楽譜出版社に入社し『ミュージック・ライフ』を復刊させ、編集長をつとめた。
1957年、新田宣夫(にったのぶお)の名前で「赤鼻のトナカイ」を訳詞したのを皮切りに、自社出版物のソング・フォリオ用に訳詞を始める。
1960年10月、坂本九が歌う「ステキなタイミング」(ダニー飯田とパラダイス・キング)の訳詞を漣健児で発表。
以後、当時のアメリカンポップスをリアルタイムで400曲以上を日本語化した。
2005年6月6日、膵臓癌のため文京区内の病院で逝去(享年74)。
実弟の草野浩二は元東芝EMIの名物ディレクター。
次男の草野夏矢は現シンコーミュージック・エンタテイメント社長。



草野という苗字は、かわいそう。
野の草、草の野と明治政府が苗字をつけたのか?
それとも違法に入国して、違法に苗字を取得したのか?

シンコーミュージック、東芝EMI、渡辺プロダクションは、人の家に侵入して野菜にアンモニアをかけて腐らせたり、肉をトレイから抜いて盗んだり、古い肉や、安物の肉と入れ替えたりする。
当然、お金も盗むし、電気代から水道代まで請求書を改竄して上前をはねる。
貸している家を壊し、修理代を請求したり、住んでいる家の材木全てを抜いて、古材と変え、茶碗から箸、タオルハンカチまで盗む。
中尾ミエも伊藤ゆかりや森山良子も皆、窃盗犯に過ぎない。

漣健児という訳詞家は、いない。
私は、子供の頃から歌が好きで、英語も随分真面目に勉強して来たし、今でも英語の歌は熱心に覚えては歌っている。
伊藤ゆかりや森山良子などが歌ったのは、訳詩したものではなく、作詩したものだった。
訳詞誰々と名前が書いてあったのは、なかにしれいだけだった。
他の訳詞家の名前は、書いてあったためしがない。

外国人の作曲した曲に、著作権を無視して曲を盗み、下手で単純で馬鹿馬鹿しいだけの詩をつけた。
だから、作詞家は、生きているのに死亡と書かせて他の名で書き続けるのではなく、先ずは謝罪しなければならない。
当然、財産は全て没収しなければならない。
賠償金に当てるためだ。
彼らは、作詞する時も、私達の覗き見でやっと書いている。

日本のニューミュージック界を牽引してきたミュージシャンの一人、山下達郎が彼についてある取材で語った言葉が実に的を射ている。
「洋楽のメロディーに日本語の詞を乗せるという、我々が今も変わらずやっていることは、漣健児と岩谷時子、このお二方が書かれた詞の中で、ほとんどすべてが完結していたといっても過言じゃないんですよ。」
「例えばロックンロールなら漣さん、シャンソンだったら岩谷さん、といった感じで、ほとんどお二人の独壇場でしょう。その後のロックやフォークにまで至る、僕たちの言語感覚は、当時のカヴァー・ポップスの中から生まれたんだと思います。」


岩谷時子が訳詩をしていたなんて全く聞きも見も知りもしない。
岩谷は、顔のない、性別年齢不詳の、人物の定まらない誰かと誰かと誰かだった。
名前があって、人も顔もなかった。
私の言語感覚は、岩谷時子と全く無縁である。
山下達郎のつまらない詞の感覚は、岩谷時子並である。

山下達郎のバックは、竹下亘で、うちの欄間を盗み、古い茶碗や漆器、掛け軸、仏具まで盗んだNHK出身の国会議員で、菅官房長官(死んだはずの竹下登)の息子で、私の同級生竹下栄の兄である。
私のブログに侵入して私に無断でブログを削除した、詩、訳詩、翻訳物、絵の泥棒でもある。

2:15 2019/08/20火