自己紹介 成田悦子毎日少しずつ主に英文学の過去の小説を紹介しています。私の遣り方は原文をそのまま生かし、イギリス人、イギリスという国そのものの文字を通した姿を過去に遡って見せ、貴方同様私が学ぶ

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暑いし, リチウム電池入りロボ県内, Japan
GooNTTレゾナントは私のブログを4つ非表示にし、「詩を全部削除しろ」と詩人である私に言っています。

Gooは猥褻サイトの記事は問題がないと言います。私の住所・氏名・電話番号まで書き込んで「きちがい、前科三犯」と書くサイトの規約違反を指摘しても、「貴方は一体どうしたいのですか?」と言います。削除して欲しいに決まっています。そんなことも分からないのに、「鳥居正宏」という偽名の社民党員の要請で四つのブログを非表示にしています。私は「鳥居正宏」の中傷記事を書いたことは一度も無く、中傷されたコメントを載せたことが一度あっただけです。しかしそのコメントは、社民党と自公政権が不正に侵入して直ぐに削除して非表示の要請があった時にはありませんでした。あれから20数年Gooも消えます。私が消えていないことはいい兆し。正義は私の下にある。当面翻訳中心の生活です。

成田悦子翻訳小説.orgで翻訳中 「Youth 」Joseph Conrad

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2023年11月16日木曜日

The Quiet American Graham Greene 成田悦子訳

 Ⅱ


何週も移り変わり、ところがどうした事か、僕は未だに僕自身新しいフラトを探さずにいた。僕は時間がないなんて、それはなかった。戦時の一年の難局は繰り返し通り過ぎた。暑く湿った霧雨は北の上に定着した:フレンチはホア・ビンの外にいた。トンキンの稲-作戦、ラオスの阿片-作戦が終わった。ドミンゲスは、北で必要とされる全てを簡単に取材できた。ついに僕はカンチネンタル・ホテルの向こう、カティナトゥ通りのもう一方の端に立ったいわゆる近代ビルディング(パリス博覧会1934?)の中の一つのアパートゥマントゥに巡り合った。それは母国に帰ろうとしているゴム農園主のサイゴン仮住まいだった。彼はそれを錠、在庫と樽を売りたかった。僕は何時も樽には何が入っているのかしらと思った:在庫はと言うと、そこには1880と1900の間のパリスサロンからの大量の彫刻があった。それらの最高級の下品な要因は、驚くべきヘア‐スタイルとなぜか何時も裂けた尻を剝き出しにして戦場に隠れた紗の掛け布を纏(まと)った大きな胸をした女だった。バス・ルームで、農園主はそれ以上に彼のロプスの模造品と並んで大胆だった。

 「貴方は芸術が好きですか?」僕は尋ね、陰謀を企む大学の評議員のように彼は僕ににやにや笑い返した。彼はささやかな黒い口髭と十分ではない頭髪を持ち、太っていた。

 「僕の最高の絵画はパリスにある、」彼は言った。居間のそこには彼女のヘアにボウルを忍ばせた裸婦のように作られた驚くほど背の高い灰-皿があり、そこには虎を抱いている裸の少女の中国装飾があり、一つは極めて風変わりで、少女の一人は自転車に乗りながら腰まで脱いでいた。ベドゥ・ルームには、彼の巨大なベドゥの向かいに、一緒に眠っている二人の少女の大きな光沢のある油絵があった。僕は彼のカレクション抜きのアパートゥマントゥの値段を彼に尋ねた、しかし彼はその二つを切り離す事に同意しようとはしなかった。

 「君はカレクタじゃないの?」彼は言った。

 「まあ、違います。」

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