https://naritaetuko.jp成田悦子の翻訳テキストとちょっとしたこと

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2016年11月20日日曜日

坊がつる賛歌は芹洋子の楽曲ではない

坊がつる賛歌は、芹洋子がヒットさせた歌ではありません。
2004年、私が札幌に帰った時、よく歌った歌で、坊がつる賛歌を歌う歌手は、一人もいません。
芹洋子がNHK紅白歌合戦で、坊がつる賛歌を歌った事はありません。
NHK、キングレコード、角川ひろしが共謀して芹洋子の楽曲という事にしています。
「『坊がつる讃歌』(ぼうがつるさんか)は、NHK「みんなのうた」で1978年6月-7月に放送された芹洋子の楽曲である。」というのも嘘です。

芹洋子
八尾市立清友高等学校卒業
キングレコード
関連会社
講談社
パナソニック
三洋電機
東京放送ホールディングス
Wikipedia・・・①の太字の部分は、嘘です。

「1974年には、北海道の広尾線(現在は廃線)の愛国駅から幸福駅の区間にちなんだ『愛の国から幸福へ』がヒット。
以降『四季の歌』(ミリオンセラーを記録)、『赤い花白い花』『坊がつる讃歌』と順調にヒットを飛ばし、1978年の「第29回NHK紅白歌合戦」(歌は「坊がつる賛歌」)にも出場した。
『坊がつる讃歌』は広島高等師範学校(現広島大学)山岳部の部歌であったものが九州の山岳愛好家の間に広がったものである。芹は阿蘇山麓の野外コンサートに出演した際この曲を教えられて大いに気に入り、「みんなのうた」で歌った(1978年(昭和53年6月?7月))。

1981年には 日中文化交流音楽大使として北京公演を行い(日本人の歌手では初)、以降中国公演は12回に及ぶ。またこの年所属プロダクション社長と結婚した。
1992年、交通事故により外傷性クモ膜下出血となり、意識は回復したものの逆行性健忘を生じ自身が歌手であったことや持ち歌すべての記憶を失う。しかし懸命のリハビリによって歌手として復帰。

2008年5月、胡錦濤国家主席来日時、公にこそされていないが胡主席、芹洋子、所属事務所代表伊東佳男、長女・伊東亜美との対談が実現。
「坊がつる讃歌」(ぼうがつるさんか)は、NHK「みんなのうた」で1978年6月-7月に放送された芹洋子の楽曲である。」


キングレコードは、講談社の会社で、次の歌手は、翻訳を盗み、ADSによる音声送信、性的虐待、窃盗、殺人に深く関っています。
特に性質の悪い者は太字にします。


ペギー葉山
森 昌子
梅沢 富美男
神野 美伽
角川博
美輪明宏
中山美穂
森口博子
水樹奈々
AKB48
布施明
梓みちよ
大月みやこ
前田敦子
すぎやまこういち

塩崎恭久厚生労働大臣は、厚生労働省、妻、息子、姉と米子に滞在し、米子市民を殺しては、預金や年金を盗ります。
今、私のパソコン内のドキュメントを改竄しています。

22:31 2016/11/20日