I felt a Funeral, in my Brain,
And Mourners to and fro
Kept treading — treading — till it seemed
That Sense was breaking through —
私は私の頭に野辺送りの列を思い浮かべていた
実際、悲しんで嘶(いなな)く者は、行ったり来たり
抑え続けていた ― ひたすら抑えていた ―
気持ちが張り裂けそうに感じられるまで
And when they all were seated,
A Service, like a Drum —
Kept beating — beating — till I thought
My Mind was going numb —
それから、人々が皆着席すると
儀式というものは、ドラムに似て―
打ちのめし続けた ― ただただ鞭打つ ―
正気が感覚を失くしてしまいそうだと思うまで ―
And then I heard them lift a Box
And creak across my Soul
With those same Boots of Lead, again,
Then Space — began to toll,
その時、馬を入れる仕切りを持ち上げる音が聞こえた
そして更に、例の(乗馬)ブーツとリード(手綱)の力によって
両側に跨(またが)った私の魂を軋(きし)らせる
それから虚空に ― 鐘を打ち鳴らし始めた
As all the Heavens were a Bell,
And Being, but an Ear,
And I, and Silence, some strange Race
Wrecked, solitary, here —
至福は悉(ことごと)くベルのようで
そして存在は ― 聴覚に過ぎない
けれどもこの私、無口、どこか変わった人種
打ちひしがれて、一人、此処に―
And then a Plank in Reason, broke,
And I dropped down, and down —
And hit a World, at every plunge,
And Finished knowing — then —
するとその時、筋書き通り厚板が開いた
と同時に私は落下した、何処までも―
進退極まって、ようやくこの上なく大切な事に気付く
理解する事はもうお終いにした―その時―
・・ Emily Dickinson・・
・Mourner・・「悲しんで言う人」の意味です。
しかし、この詩では競馬の馬を人に喩えていますので、「悲しんで嘶(いなな)く者」と訳しました。
・those same・・例の
・a Bell・・「ゴールは幸せ」競馬の始まる鐘の音と、Anne・Bronte、Charlotte・Bronte、Emily・Bronte姉妹の筆名と、二つの事をa Bellと表現しています。
シャーロットは『ジェーン・エア』、エミリーは『嵐が丘』、アンは、『ワイルドフェル屋敷の人々』を発表しています。
教会の鐘の音の意味も含んでいます。
Emily Dickinsonは、洗礼を拒否した事があると言われていますから、教会への思い入れは、人一倍だったはずです。
幸福(鐘の音)になる事、幸福であると感じる事は、この詩を書いた当時のEmily Dickinsonにとって、強制されたものであったと考えます。
人は幸福でなければならないと、現在でも頻りに世間が言います。
幸福というものは、ある様でない様で、あったからと言ってどうという事もなく、不幸だからと言って幸福ではないというものでもありません。
不遇は、それはそれで生きる意欲をそそるものです。
16:35 2012/07/03火曜日
19:31 2012/07/25水曜日
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東大でも、国際基督教大学でも、他のどの大学の英文科に行っても、
葬式を頭の中に感じる教授に
理性に背もたれや板があり、壊れる事を、習わなければなりません。
破れる感覚は、海に、世界にぶっつかると教えます。
日本中の英文科には、入学価値は全くありません。
又私の翻訳プリント、詩奴隷のプリントを何日分も盗まれています。
日本中の大学教授、詩人、小説家、エッセイストは泥棒です。
泥棒に翻訳が出来ない事を私が皆様に教えます。
私の翻訳した詩は、検索に載せません。
私と家族の住所・氏名・電話番号を書き込んでいる恐喝脅迫強要政治家のサイトの恐喝記事や、大嘘の翻訳はどんどん検索出来ます。
総務省が犯罪を犯しています。
恐喝強要脅迫を続けている保坂展人を総務省顧問として、恐喝脅迫強要犯行実行中も採用しています。
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①亀井俊介
わたしは葬式を感じた、頭の中に、
そして会葬者があちこちと
踏み歩き——踏み歩き——とうとう
感覚が破れていくように思えた——
・・・・
・・・・
それから理性の板が、割れてしまい、
わたしは落ちた、下へ、下へと——
そして落ちるごとに、別の世界にぶつかり、
そして——それから——知ることを止めた——
亀井俊介=訳 「わたしは葬式を感じた、頭の中に」
亀井俊介=編 『対訳 ディキンソン詩集』 アメリカ詩人選(3)
岩波文庫 1998/11
②加藤菊雄
私は頭脳の中に葬式を感じた。
弔問者があちらこちらに
足を踏み、足を踏みつづけ、とうとう
感覚がすっかり破れかかった。
・・・・
・・・・
やがて理性の板が割れ、
私は下へ下へと落ちていった。
そして落ち込む毎に世界にぶっつかり
それから知ることが終ってしまったのだ。
エミリィ・ディキンスン=作 加藤菊雄(かとう・きくお)=訳 (280)
『完訳エミリィ・ディキンスン詩集』 研友社 1976/09/27
③中島完
私の頭の中ではお葬式があるらしかった
会葬者のあちこち往来(ゆきき)する足音が
ずしりずしりと重く続いて
私の「感覚」はこわれてしまいそうになった
・・・・
・・・・
しばらくして「理性」にさし渡した踏板が割れ
私はどんどん下へと落ちた
すべてを突き破りとある一つの世界にぶつかった
そしてもう私は「知ること」を終えたのだ
中島完=訳
『エミリ・ディキンスン詩集 続自然と愛と孤独と』
国文社 改訂版 1999/02 所収
『エミリ・ディキンスン詩集 続自然と愛と孤独と』
国文社 1973/01
国文社改訂版 1999/2
③新倉 1972, 1976
わたしは頭の中で葬儀を感じた
会葬者たちがあちこちと
歩きまわって 歩きまわって とうとう
意識が破れるかと思われた
・・・・
・・・・
それから理性の板がこわれ
下へ下へとわたしは落ちていった
つぎつぎに別の世界につき当り
とうとう なにもわからなくなった——
ディキンソン=作 新倉俊一=訳
a. 『豪華版 世界文学全集38 世界詩集』 アメリカ編
講談社 1976/10/20 所収
b. 『世界文学全集48 世界詩集』 アメリカ編
講談社 1972/01/06
講談社 1976/10/20
岩田典子
わたしは頭のなかに 葬式を感じた
会葬者があちこち
踏みつづけ
感覚がなくなるかと思った
・・・・
・・・・
理性の背もたれも壊れ
わたしは下へ下へ落ち
つきあたっては 新しい世界へ入った
するともうなにもわからなくなってしまった——
エミリ・ディキンスン=作 岩田典子(いわた・みちこ)=訳 P280
『エミリ・ディキンスン—愛と詩の殉教者』 創元社 1982/11/20