2011年7月23日土曜日

官能表現と欲望の煽動:アスクレピオスの愛人

WHO職員をモデルにした小説を書く。
週刊新潮が2008年七月七日号に、そのモデルを作者林真理子がWHOに訪ね、ツーショットの写真を写し、「あくまでもフィクション。・・・さんをモデルに借り、奔放で美しい官能的なヒロインを描くつもりです」と書いている。
奔放であるということは、男を誘い、男と寝るのが趣味で、性的にだらしないことを言うのだろうか?
林真理子の言う「官能的」とは、何を言うのだろう?

官能と云うのは、感覚器官の働き、性的な感覚のことである。
性的な感覚とは、何を云うのだろう?
性器そのものの快感と感覚器官である目、耳、鼻、舌、皮膚の快感のことを言うのだろうか?
誘う女、性を煽る女、性を前面に出す女・・・ヒロイン志帆子・・・

登場人物の言葉で、ヒロイン志帆子の体つき、男性の趣味などが語られる。
「肉感的な腰まわり・・」、「外人専門・・」、「日本人は家来にされるだけ・・」などといった下品で官能とは程遠い、単なる気味の悪い叔父さん言葉で官能を表現する。
直截(せつ)的、露骨で単純な言葉の使用とその文章で、奔放であるとか、官能的であるとかといったこととは程遠い。
本を売りたい、読者の欲望を駆り立てたい、それを目的とした官能の追求である。
官能の追求と言うより単なる動物の欲望の追求である。
如何に「官能 」を追求し、どのように表現しようか?といった作家としての純粋さ、真面目さが見えない。
官能を言葉で表現することは、多くの小説家が挑戦して已(や)まないことである。
叔父さん趣味の「腰まわり云々」では、小説家として官能がどうした・・・などと言えることではない。

「官能的ヒロインは、WHO職員である」と公言し、モデルの経歴も発表している。
「あくまでもフィクション・・」と書いてみても、 読者は、「WHO職員は、性のことばかり考えてろくに仕事もしない・・」と思われてしまう。
林真理子は肩書きでけなし、肩書きで人を判断する人である。
「島根の田舎の高校卒業」と書き、ヒロインの名前を「志帆子」にしている。
私を意識して書かれた作品であることは、最初から分かっている。
「島根の田舎の高校卒業ではいけない」と書いたのは、自民党、公明党、民主党、社民党や医師会、日弁連であるから、「なるほど ・・」と私は思う。

田舎で生まれ、田舎で育つことは、動物であるヒトとして幸福なことである。
海を知り、山を知る、それこそヒトが生きること其のものである。
海と山を知るものは、世界を知ることが出来る。 
世界を深く理解する人間は、世界の明日を創る。


気になることがある。
・「インターネットで調べた志帆子の経歴が・・・」
・「厚労省から出向している熊田さんが・・・」
読点を打つ箇所が間違っている。

12:39 2011/07/23土曜日