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Ⅰ
僕がサイゴンから離れて一週になるだろうと僕は考えていたが、僕が引き返す以前に三週近く時間がかかった。初めての地にあって、それは入るために掛かるよりファトゥ・ディエムから外に出る方がずっと難しいとそれが証明した。道はナム・ディンとハノイの間で寸断され、ともかくそこにいるべきではなかった一人のリポータのために航空輸送機が割(さ)かれるはずがなかった。それから僕がハノイに着いた時、通信員らは最近の勝利のブリーフィングに向けて飛び立っていた、そして彼らを連れ戻す機には僕のために残された席は全くなかった。パイルは彼が着いた朝ファトゥ・ディエムから離れた。彼は彼の使命をーフオンについて僕に話す事を十分に果たし、そこに彼を留め置くものは何一つなかった。臼砲火が5時30分に止むと、僕はぐっすり眠る彼をほったらかして、会議室で一杯のカフィとビスキトゥ数枚から僕が帰った時には彼はそこにいなかった。彼は散歩に行ったと憶測したーナム・ディンから川を下ってその道すがら平底小舟を漕いだのでは、数人の狙撃兵は彼を気にもしなかったのだろう。彼が他者に齎す可能性のある痛みを想像出来なかったと同様、彼は彼自身に向かう痛み、或いは危険を想像出来なかった。
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