僕は僕の真後ろの誰かが大真面目で「ありがたい。」と言うのを聞いた。中尉を除くと彼らはその大多数がドイツ人だった。向こうに農場‐ビルディングの一群があった、中尉は真っ先に入った壁に沿って進みながら、そして僕達は一つの縦列、6フィートゥの間隔で従った。それから男達は再び指示なしに農場の至る所に散らばった。命はそれを見捨ててしまっていたー一羽のめんどりさえ後に残されていなかった、何が居間であったにしても、壁に掛かっているのは、神聖ハートゥと母と子の二つのぞっとする油絵風版画だった、それはビルディング群に全ての今にも崩れそうなイウアラプの雰囲気を与えた。誰もがこれらの人々は、喩え誰が彼の信仰を分かち合わなくても、彼らは人間で、ただの灰色の水を抜き取られた死体ではない事を知っていた。
おおよそ戦争は周りを囲んで居座り、何をするでもなく、誰か他の者を待っている。貴方が残した時間の意義に何の保証もなく、貴方には思考の列車さえ発車する価値、それがあるようには思えない。前に随分頻繁に彼らがした事をしながら、歩哨らは出動した。僕達の前方で動き出した何かは敵だった。中尉は彼の地図に印を付け、僕達の位置を無線(レイディオウ)で報告した。正午の静けさが垂れ下がった、臼砲まで治まり、空に飛行機もなかった。一人の男が農場の泥の中で小枝を持っていたずら書きをした。暫く、それは戦争によって忘れられていたかのようだった。僕はフオンが僕のスーツを洗濯屋に送ってくれていたらと願った。冷たい風が囲い地の麦わらを波立たせ、一人の男が彼自身を楽にさせるために納屋の後ろに控えめに向かった。僕はハノイの英国領事に彼が僕にくれたフイスキのボトゥル代金を払って置いたかどうか思い出そうとした。
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