My Lost Cityを今日から40日位で全部翻訳します。
村上春樹の翻訳と違って、私は作者が書いた通りを読者に分かるように訳します。
一切の英単語の省略もしません。
又、削除改竄されるでしょうが。
昨夜から取り掛かったところ、今日は、加藤という家に10台もの車が乗り付けています。
東大、京大、筑波、早稲田、慶応、立教、青山学院、上智等各大学、岩波、文芸春秋社、新潮社、中央公論社、講談社、角川書店等出版社、巨人、西武、ダイエー、楽天等各球団、全映画会社、全新聞社、TV局その他が入っています。盗むことが目的です。
村上春樹と比べて下さい。
私が見ていない時だけ変えるというような事を、文部科学省がしていなければ、比べ物にならない程いい翻訳です。
My Lost City
Francis Scott Key Fitzgerald
There was first the ferry boat moving softly from the Jersey shore at dawn―the moment crystallized into my first symbol of New York. Five years later when I was fifteen I went into the city from school to see Ina Claire in The Quaker Girl and Gertrude Bryan in Little Boy Blue. Confused by my hopeless and melancholy love for them both, I was unable to choose between them一so they blurred into one lovely entity, the girl. She was my second symbol of New York. The ferry boat stood for triumph, the girl for romance. In time I was to achieve some of both, but there was a third symbol that I have lost somewhere, and lost for ever.
I found it on a dark April afternoon after five more years.
'Oh, Bunny,' I yelled. 'Bunny!'
先ず、ジ+ージー海岸から、夜明けに音もなく滑り出すフェリーボウトゥがあった。一 その瞬間が、ニュ一ヨークの僕の最初の象徴に結晶するのだ。五年後、僕が15になった時、ザ クエィカー・ガールの中のアイナ・クレアやザ・リトゥル・ボゥイ・ブルーの中のガートゥルードゥ・ブライアンを見たくて、僕は、学校から街中(まちなか)に出かけた。彼女達のどちらも追い求める、僕の為す術のない、切なく熱い思いに当惑し、僕は、彼女達の間(はざま)にあって選ぶに選べなかった。一挙句の果て、彼女達は、その娘(むすめ)、一人の魅力的な存在の内に影を潜めた。彼女は、ニュ一ヨークの僕の二番目の象徴だった。フェリーボウトゥは、成功の姿を、その娘(むすめ)は恋の姿をしていた。その内、僕は、両者の何れかを手に入れる筈だった。が、何処かで見失い、そして永遠に失ってしまった三番目の象微が現れた。
僕は、更に五年後、暗い四月の午後、それを知った。
「オーイ、バニ一。」僕は叫んだ。「バニ一!」