東大全共闘、全国全共闘連合は、30近い山本義隆民青日本共産党員と東大医学部の「気に食わない奴は、ぶん殴れば黙り、それでも駄目なら押し潰すのが弾圧で、弾圧即ち、暴力が身に降りかかれば、暴力によって抵抗し、大学側、機動隊を糾弾する。」という闘争の理念を、20にもならない学生に強要した。
安田講堂陥落後の大衆運動組織化の為に何人もの安田講堂攻防戦から抜けられる者を作った。
その中に山本義隆と民青日本共産党員、警察のスパイが入った。
山本義隆は、講堂に残ると言いながら、大衆運動の組織者として欠かせないと仲間に言わせる。
4000人近い人々を集められるのは、社会党と共産党以外にない。
東大全共闘、全国全共闘連合の大学生に、労働運動家が自分を助けてくれるという甘い考えを持たせるには、デモや集会は、最適だ。
しかし、連帯など幻で、一人になれば、親の顔もまともに見られない、学士の資格さえない無力な人間だ。
山本義隆も東大医学部助手も、今日から食べていける資格を持っていた。
巧妙な台湾人、朝鮮人、中国人、フィリピン人、共産党、社会党、自民党に、戦争で生きて帰った日本人の優秀な子孫は葬られた。
山本義隆は、安田講堂にベッドを置いた。
終日バリケードを築き、それを機動隊も大学側も知っていて放置した。
バリケードをきずかせたのは、機動隊と大学側である。
安田講堂内の備品を勝手に使い移動し、講堂に投石用の穴まで開けた。
この時点で、山本義隆東大医学部関係者は逮捕拘留されなければならない。
学生をそそのかし、金品を奪い、未来を閉ざし、希望を捨てさせた。
1:24 2019/03/06水