1936年3月16日、東京外国語大学英語部文科文学卒。
写真は、最近撮ったものばかりで、本人かどうか分からない、
東京外語大が、戦前あったかどうかというと、なかったの方が現実的。
世界に幾つの国があり、日本が幾つの国と付き合う必要があったか?
戦前は、未だ空の運輸が充実しておらず、国内の空港も整備していない。
船による輸送が全てだったから、気軽に他国と交わる事は、出来なかった。
外国語を話す必要も、読む必要もなく、紙がないから、洋書出版も極めて限定的。
又、英文等での政府間、企業間の文書のやり取りも皆無に近かった。
結論を言うと、新美南吉は、経歴詐称の作家で、存在自体疑問である。
カタカナを用いた童話は、新美南吉の書いたものではない。
美智子婆さんが英訳した「朝は」は、新美南吉が、書いたものではない。
薄気味悪いこんな詩をよく翻訳するなあ・・・・・
新美南吉 1937年
朝は影が長いので
少女の頭が
私の足元にとどく
朝風はやさしいので
髪の一房が私の足元でうごく
ー好きな少女の朝の影
私はその影をふまないで
朝露の真珠にふちどらせ
ぢっと見てゐる
11:45 2019/02/12火