2012年5月30日水曜日

The Spur/William Butler Yeats翻訳

YOU think it horrible that lust and rage
Should dance attention upon my old age;
They were not such a plague when I was young;
What else have I to spur me into song?
・・William Butler Yeats・・

渇望と感動は、僕の年で配慮を欠くと、人はうんざりする
僕が若かった頃、そうした事は、大した事ではなかった
詩歌の内に、常に僕を駆り立てようとするものが何か他にあるのか?

16:01 2012/05/30水曜日

lust and rage
Yeatsの詩をそう沢山読んでいません。
翻訳ミスが多く、日本語で読む価値はありません。
Yeats協会は、私が買った詩集を盗み、一度長い詩ばかりが載っている詩集に変えました。
しかし、私が気付くと、さすがに長い詩ばかりでは不自然で、困った様で、元の詩集に変えました。
協会を挙げて翻訳をし直した訳詞を其の詩集に掲載しましたが、相変わらず詩人にあるまじき下卑た翻訳が多いのが特徴です。
イギリス、アイルランド、William Butler Yeatsが気の毒です。

lust and rageを「情欲と怒り」と翻訳しています。
考えて見ましょう。
私は詩人です。
私に詩を書かせるものの中に「怒り」がないとは言いません。
しかし、「怒り」だけで詩を書く事は出来ません。
「怒り」の詩は、「怒り」によって書いているのではなく、寧ろ、怒りに向かう「自己と対照の分析」、「怒りの解消法の模索」「未来への誘導」が、私に詩を書かせます。
rageには「怒り」という意味があります。
感動という意味もあります。
Yeatsの詩に「怒り」を?
「怒り」もないとは言えないでしょうが、「感動」の方が、より人を芸術に向かわせます。

結局、翻訳ミスがあるから、Yeatsを理解出来ない、William Butler Yeatsの詩を全く理解していないと言えます。
William Butler Yeatsの人への眼差し、世の中への眼差しは、非常に優しい。
それは、感動的でさえあります。

日本の全ての学者は、William Butler Yeatsを全く分かっていません。
それが私の考え方です。

lustには、「情欲」の意味があります。
「渇望」の意味もあります。
Yeatsが「肉欲」の詩?
少なくとも私は、男と寝たい詩は書きません。

情欲による詩は、書けます。
私なら、コミカルな感じに仕上げます。
しかし、それは「情欲」が「情欲」の詩を書かせているのではありません。

それを書いているのが、小池昌代と井坂洋子で、性器と薄気味悪い下品な肉欲の詩ばかり書いて、NETで評論家、記者、編集者、新聞、雑誌社に大宣伝して貰って、本人も、彼らも恥ずかしげもない様子。
しかも、小池昌代は、私が翻訳のミスを見つけた途端、ホームページの内容と翻訳本を一変しました。
直後、立教大学を辞めました。
まあ、あれでは立教大学と云えども恥ずかしくて、置いておく訳には行かないでしょう。
其の頃、私を不正措置入院させた鳥取県西武総合事務所、米子保健局で小火がありました。
当然、中原中也賞、翻訳者協会が関係しています。