scorpions love of my life
LOVE OF MY LIFE
Music: Freddie Mercury
Lyrics: Freddie Mercury
Love of my life
You´ve hurt me
You´ve broken my heart
And now you leave me
Love of my life
Can´t you see
Bring it back, bring it back
Don´t take it away from me
Because you don´t know
What it means to me
誰よりも愛した人
僕を傷つけることの出来る唯一人の人
僕は悲しい
そして今、君は僕のもとを去る
誰よりも愛した人
気付いて欲しい
思い返して、思い返して
愛を連れ去らないで
君がいなくなると僕がどうなるか、君には分っていない
Love of my life
Don´t leave me
You´ve taken my heart
You now desert me
Love of my life
Can´t you see
Bring it back, bring it back
Don´t take it away from me
Because you don´t know
What it means to me
誰よりも愛した人
分かれたくない
君は僕の心を抱き締めてくれる
それなのに君は僕から去る
誰よりも愛した人
気付いてほしい
思い返して、思い返して
愛を連れ去らないで
君がいなくなると僕がどうなるか、君には分っていない
You won´t remember
When this is blown over
And everything´s all by the way
When I get older
I will be there
At your side to remind you
How I still love you, I still love you
このことが忘れ去られ、順調な日々を取り戻す
君はもう僕のことを思い出しはしないだろう
時が経過し、僕は君を想い出す
君の傍ら、其処に僕はいる
僕はどんなに今も君を愛していることだろう
僕はまだ君を愛している
Back, bring it back
Don´t take it away from me
Because you don´t know
What it means to me
Love of my life
Love of my life
返して、思い返して
愛を連れ去らないで
君がいなくなると僕がどうなるか君には分っていない
僕が愛した唯一人の人
・
・
・
*・・・・・・・・・・・・・・・・・*
子供は、生まれて先ず、いのちを守る必要のある言葉から習得し、大人である私達は、言語の習得基準がでたらめであり、その必要性を男女関係に求めたりする。
そうすると、言語の積み木は脆いものとなり、崩れるに任せられ、積み上げられた言語ではなく、散らばった、雑然とした言語となる。
習得した言語を容易に忘れるのは、その所為である。
必要性のないものから忘れるのも、その所為である。
・
言語の早期教育、すなわち、人のいのちが要求する言語は、積み上げ可能だが、母国語の崩壊、日本人としての自我の崩壊を招き、呼び寄せる。
要するに心の拠り所を失くしてしまう。
人間は言葉を遣う。
人間は言葉を遣ってモノ(物、者)と繋がる。
言葉があって、人は生きる。
私が言葉を失えば、私は貴方を知ることが出来ない。
私から言葉を奪えば、私は此処で、この部屋のこの椅子の上で、いのちを終えるしかない。
言葉は、人のいのちである。
・
言語はいつでも習得可能であるが、早期教育は、国家と国家の文化の滅亡、日本の滅亡を意味する。
文部科学省と言語学者は、 言語をいかに習得させべきかを知らない。
言語は、生きる為の道具の一つであることを考えることから始めると、容易に言語習得に効率の良い教科書を作ることが出来る。
現在文部科学省が雇っている無能極まりない、此処まで日本語の崩壊を推し進めた言語学者とその他国語学者の総入れ替えをお願いしたい。
・
小学校からの早期英語教育は、最低限に留めなければならない。
アメリカ英語は、既に言語として崩壊している。
日本語も同じである。
私が翻訳を始めたとき、いかに今までの日本の翻訳家による翻訳というものがいい加減であるかを、文部科学省は知った。
今も、文部科学省脳科学戦略推進プログラムは、私を追っている。
今日書いたことを文部科学省は、検討して欲しい。
・
短期で言語を習得するにはどうすれば良いか、必ず早期英語教育とそれに伴う日本語喪失の弊害を最小限に食い止める為のヒントになったと思う。
私は、国家=人間の役に立つのであれば、進んで私の考え方を提供する。
文部科学省の在り方を変え得るのは、私しかいないと思っている。
・
単に日本を愛するだけの人間を作るのではなく、一人の「人」を作ることを目指すのである。
どのような日本情勢、世界情勢にも対応出来る人間を作るのである。
今求められているのは、一人の「人」である。
日本語を満足に話し、満足に書くことが出来れば、それで良い。
言語こそ人のいのちであるなら、そのいのちを守り、豊かに育てること、それが大切である。